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総理大臣と記者との会食が引き起こしている問題の深刻さに気付かないメディア

立岩陽一郎InFact編集長
記者会見する安倍総理(写真:ロイター/アフロ)

年明け早々、メディアの在り方に少なからぬ人が怒りを覚えたことを、メディアは知らないようだ。それは、首相の動静をチェックしてツイッターで発信している「総理!今夜もごちそう様!」に書かれた内容だ。

総理と記者の会食を伝えるツイート

(店名)にて、いつもの腐れメンバー(朝日:曽我、毎日:山田、読売:小田、NHK:島田、日テレ:粕谷、日経:石川、田崎しゃぶ郎)と総理はご会食なされました

そのツイートを1月12日に私がリツイートしたところ、たちまち2000を超えるリツイートで拡散した。常日頃の私のツイートに対する反応の実に100倍だった。

ここは個々の参加者というより、参加の形態に注目したい。何れも日本を代表するメディアから1人が参加している。これが会食の肝であり、同時にそれが問題点であることは後述したい。

この安倍総理と「くされメンバー」との会食は度々批判されてきた。それは、森友、加計問題から桜を見る会の問題にいたるまで、国民の多くが抱いている疑問に総理とその政権が応えていない中で、メディアが取り込まれているという印象が強くもたれているからだ。特に、桜を見る会については安倍総理は勿論、夫人の関与も明らかになっている。こうした中で「いつもの」のメンバーが総理と会食したという事実は、ジャーナリストの見識の無さを物語って余りある。

一つ言えることがある。これは少なくとも私が知るアメリカのジャーナリズムの世界では記者の倫理違反になる。

私はNHKに在職していた2010年から2011年まで、アメリカのジャーナリズム・スクールに在籍した。また、NHKを退職した2017年にも再び、フェローとして在籍した。

そこで教えられることは、コンピューターやFOIA(情報公開法)を駆使した取材法などだが、実は、最も重視されているのが、ジャーナリストの倫理だ。これは基本中の基本として教えられるし、常に議論をしている。担当していたリン・ペリー教授は次の様に語った。

例えば、取材先と食事をしたり、取材先に過度な贈り物をしたりするのは、取材者としての倫理に違反することになります

ペリー教授はアメリカの全国紙であるUSAツデーで記者、デスクを経験したベテラン・ジャーナリストだ。私は次の様に問うた。

「日本では、取材者は取材先の懐に入り込むことが重視されます。その際に、食事をしたり酒を飲んだりといったことが奨励されているが、それはアメリカでは違うのでしょうか?」

ペリー教授の答えは明快だった。

私自身は30年近い記者生活で、取材先から食事に誘われたことは何度も有りますが、そうしたものに応じたことは有りません

つまりアメリカでも、取材される側がジャーナリストを食事に誘うことは有るということだ。では、ペリー記者はなぜ断ったのか?

それは単なる癒着だからです。例えば、取材先と親しくなって得た情報で記事を書いても、それは評価されません。それは単に、相手に利用されているだけとみなされる危険も有ります。そうなったらジャーナリストとしては終わりです

その時、なるほどと思わされたのは、日米のジャーナリズムの質の違いだ。それを説明する前に、補足しておきたい。

情報は権力を持った人間に集まる。それは日本でもアメリカでも同じだ。その情報は、あらゆる人に対して甘い蜜を発する。だからアリが蜜に吸い寄せられるように日本のジャーナリストは権力に群がろうとする。

その権力とは、総理大臣を頂点に、有力政治家、高級官僚、捜査機関のトップ、自治体の長、財界トップ、有力企業のトップなどだ。

しかし、そうして得られる情報は、権力の側に都合の良いものであるケースがほとんどだ。結果、日本のメディアには権力側の広報機関のような報道が蔓延することになる。カルロス・ゴーン氏が検察、日産への批判と同時に、日本のメディアへの批判を展開したのはそれを指しているし、これまでもそうした批判は有った。

ところが、アメリカのジャーナリストにとってその蜜は実はあまり甘くないということだ。

元日本経済新聞編集委員でコロンビア大学ジャーナリズム・スクールを卒業している牧野洋氏も、その点を指摘する。

例えば、日米でジャーナリストに与えられる賞が有ります。アメリカではピューリッツアー賞、日本は新聞協会賞。日経は大型企業の合併をスクープしたとして何度か受賞しています。ところが、世界的な企業の合併を何度もスクープしているウォールストリート・ジャーナルはそれらでは受賞していない

そこに日米のジャーナリズムの違いが有ると牧野氏は指摘する。

合併の記事は何れは発表されるものです。それを先に書いただけのことで、それはアメリカでは評価されない

当然の話だが、企業の合併話とは、ジャーナリストが頑張って書かなくても何れ発表される内容だ。発表を待って書いたところで、社会にとって何の不都合もない。合併記事に限らず日本のいわゆる「スクープ」にはそうしたものが多い。否、正直言うと、ほとんどがそうしたものだ。そして、それが評価される。

そう考えると、なぜ日本ではメディアが権力に吸い寄せられるのかが理解できる。それが「スクープ」を生み、自身のジャーナリストとしての評価を上げることになるからだ。その結果が、「いつもの腐れメンバー」による総理大臣との会食となる。

例えば、「日米貿易協定の締結へ」とか「安倍総理、トランプ大統領と会談へ」、「ゴーン会長逮捕へ」などといった報道は、そうした日本ジャーナリズムの産物だ。

しかし考えなければいけないのは、それはあくまで「」付きのスクープでしかないという点だ。否、ここは明確に書いた方が良い。何れ発表される内容を先駆けて書くのはスクープではない。本来、そこに日米の差は無い。それをことさら高く評価するのは日本のメディアの悪しき慣習でしかない。

前出の牧野氏は、企業合併の「スクープ」には顕著な点があると指摘する。

そうした企業合併のスクープで使われる言葉が、『業界再編が加速する』です。つまり、それは良いこと、それによって社会が良くなるという意味付けをする。まさに、リークする側はそれを求めているわけで、それを思ったように書いてくれる記者にリークするわけです

つまり、後に発表される情報を先駆けて「スクープ」するという作業そのものが、ジャーナリズムが権力のしもべになる過程になっているということだ。

それについてわかりやすい事例は、「~へ」という記事が顕著なNHKの政治報道だ。それを「スクープ」と称して自画自賛している。勿論、あらゆる報道機関にとって政治日程を事前に入手することは意味が無いわけではない。事前に準備が進められるという内向きな側面以外にも、それを多くの人に知らせることに意味が有ることも間違いない。しかし、それを報じるためにのみジャーナリストが権力に吸い寄せられる現状はそろそろ終わりにしないといけない。

ここで今回のツイートに戻りたい。安倍総理との会食に参加したのは主要メディアから各社1人だ。ここがまさに、安倍総理の狙いでもある。実は、日本の記者は他社との競争以上に、自社内での競争を意識している。これは間違いない。そうした心理をうまくついて、「あなたの会社で私が信頼しているのはあなただけです」と言葉を投げるわけだ。この「信頼」とは、裏を返せば、「あなたは私の信頼を裏切りませんね」ということになる。まさに、権力によるジャーナリストの懐柔以外の何物でもない。

そう指摘すると、「私の筆は会食をしても鈍ることはない」と大見えを切る自称「大物記者」がいる。しかし、そうした記者が取材先を一刀両断にした記事を私は読んだことがない。

この会食についてメディア各社は、「それは記者の個人的な取材活動だ」としてコメントを避ける。しかし、私のリツイートに書かれたコメントを読んでいると、そういう状況ではなくなっていることがわかる。

例えば、コメントの中に次の様なものがあった。

毎日(新聞)が頑張っているので購読を始めたが、毎日(新聞)も参加していることを知り解約した

容易に想像がつくのは、この書き込みをした人は意識の高い人だ。そういう人にとって、記者が定期的に総理大臣と会食するという行為は、不祥事と等しく感じられるようになっているということだ。極めて健全な反応であり、その声を重く見た方が良い。

ジャーナリストとはどうあるべきか?メディアの役割とは何か?もう一度、考え直す時が来ている。

InFact編集長

InFact編集長。アメリカン大学(米ワシントンDC)フェロー。1991年一橋大学卒業。放送大学大学院修士課程修了。NHKでテヘラン特派員、社会部記者、国際放送局デスクに従事し、政府が随意契約を恣意的に使っている実態を暴き随意契約原則禁止のきっかけを作ったほか、大阪の印刷会社で化学物質を原因とした胆管癌被害が発生していることをスクープ。「パナマ文書」取材に中心的に関わった後にNHKを退職。著書に「コロナの時代を生きるためのファクトチェック」、「NHK記者がNHKを取材した」、「ファクトチェック・ニッポン」、「トランプ王国の素顔」など多数。日刊ゲンダイにコラムを連載中。

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