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23年前の米兵暴行事件の時と似てきた沖縄の状況

立岩陽一郎InFact編集長
那覇市の奥武山公園で開かれた県民大会(8月11日)立岩撮影

「あの時と似てきた」

8月11日、降りしきる雨の中、身動き一つせずに演壇を注視する人々を見てそう思った。

「あの時」とは、1995年10月に行われた県民総決起大会だ。米兵3人が少女に暴行したおぞましい事件に怒りを覚えて集まった人々は主催者発表で8万5000人にのぼった(警察発表は約6万人)。当時、取材をしていた私は、集まった人々が黙って示す政府への怒りに、沖縄県民の本気度を見た。

今回の大会は、翁長知事が死去するという突然の事態の中で開かれた。生きていれば、この場で辺野古の埋め立て工事の中止に向けた結束を呼び掛けたことは間違いない。

壇上では、翁長知事の思いを引き継ごうとの呼びかけが続く。この日、沖縄は台風の接近で強い雨が降り続いている。集まった人々は傘をさしたり雨合羽を着たりしているが、強い雨で既にびしょ濡れになっている人も多い。

家族で来ている人も多いようで、お年寄りから子供までが集っている。強い雨にうたれても、帰ろうとする人はいない。

「静かな、怒り・・・」

23年前もそうだった。声高に叫ぶのではない。シュプレヒコールなどあげない。極めて冷静に、そして理路整然と不条理を語る。NHK記者として沖縄で基地問題を取材していた私は、その時の雰囲気を昨日の事の様に覚えている。あの時ほど日本政府は恐怖を感じたことは無かったはずだ。

そして、今回の大会で受けた印象は、その時のそれに近い。

「出来るだけ前に詰めてください。お願いします。まだまだ多くの人が来られます」

参加者は帰るどころか、逆に増えている。

「主催者発表は6万としていましたが、それからまた増えています。7万と訂正させて頂きます」

一橋大学大学院社会学研究科特別研究員で沖縄の政治や社会を研究している坂下雅一氏も大会に来ていた。

坂下氏も、1995年の大会をその場で目撃している。坂下氏も私と同じ印象を持ったと言う。

それは、「普段政治に関わることの無い人」の参加だと話した。確かに、1995年も、家族連れでの参加が目立った。

「翁長知事の死去のインパクトは、普段は政治に関わることの無い人に、考えさせる機会になっているのでしょう」

更に続けた。

「沖縄の政治は、いくつかの事件が過去の歴史的な記憶を呼び起こして(沖縄県民の)感情を高めるようなタイミングが有る。今回、翁長知事が癌になっても公務を続けて死去したという事実も、またそのようなタイミングにつながっていって、翁長知事が文字通り死を賭して公約を守ろうとした、大きな政府にひかなかったということを想起させたと言えるのではないか。それによって、普段は政治的にアクティブでない人に考えさせるきっかけになって、尚且つ翁長知事の、最後まで職務を全うしようとしたところが人々の心を動かしている。同時に、翁長知事を通じて戦後の沖縄の歴史を思い起こさせる結果になっている」

翁長知事が主導した「オール沖縄」は名護市長選の敗北や内部分裂で、その勢いに陰りが見えていたのも事実だ。

坂下氏は、流れが変わる可能性が有ると語った。

「これから知事選になりますが、政治的に言えば、「弔い合戦」となりますから、オール沖縄の求心力が再び高まる1つのきっかけにはなる可能性が有る」

8月17日に、政府は辺野古基地建設のための土砂の投入を開始することにしている。

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InFact編集長

InFact編集長。アメリカン大学(米ワシントンDC)フェロー。1991年一橋大学卒業。放送大学大学院修士課程修了。NHKでテヘラン特派員、社会部記者、国際放送局デスクに従事し、政府が随意契約を恣意的に使っている実態を暴き随意契約原則禁止のきっかけを作ったほか、大阪の印刷会社で化学物質を原因とした胆管癌被害が発生していることをスクープ。「パナマ文書」取材に中心的に関わった後にNHKを退職。著書に「コロナの時代を生きるためのファクトチェック」、「NHK記者がNHKを取材した」、「ファクトチェック・ニッポン」、「トランプ王国の素顔」など多数。日刊ゲンダイにコラムを連載中。

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