Yahoo!ニュース

安倍総理の解散理由をファクトチェック そこには「事実」とは異なる内容も

立岩陽一郎InFact編集長
党首討論(10月8日)(写真:ロイター/アフロ)

解散会見の発言をファクトチェック

10月10日、総選挙が公示され、選挙戦の幕が切って落とされた。この選挙は安倍総理が国会を解散したことによる。安倍総理が語った解散の正統性を支えるいくつかの事実を主婦や学生らとチェックしてみた。すると、大手メディアの伝えない意外な「事実」が見えてきた。

ファクトチェックの会議の様子
ファクトチェックの会議の様子

「(消費税の)2%の引き上げにより、5兆円強の税収となります」

9月25日に安倍総理は会見を開き、衆議院の解散を明言するとともに、解散の理由を語った。この中で消費税を2019年に予定通り増税する考えを明らかにし、その際の税収の使途を国民に問うと語った。

官邸You tubeより
官邸You tubeより

それは使途を、従来の計画だった借金の返済に充てるのではなく、子育てや介護といった少子高齢化の対策に充てるというもの。

その際、「(消費税の)2%の引き上げにより、5兆円強の税収となります」と語っている。

つまり、この「5兆円強」は今回の解散の理由を考えるとき、極めて重要な基礎となる数値だと言って良い。

では、どうやってこの「5兆円強」は算出されたのだろうか?

財務省主税局総務課に確認したところ、意外なほど単純な計算式だった。

「5兆円強は、前の年度の消費税の総額を消費税率で割って1%あたりの消費税額を出し、それに上げ率をかけたものです。税率は国税分だけなので6.3%です」

財務省(財務省フェイスブックページより)
財務省(財務省フェイスブックページより)

現在の消費税率は8%だが、国税分は6.3%だ。去年の消費税の国税分の総額は約17兆1850億円。これを6.3%で割って1%あたりの税収を算出すると2.7兆円。これを2%分として5.4兆円。これが安倍総理の語った「5兆円強」の根拠だ。

はたして、「5兆円強の税収」と断言できるのか?

あくまでも予測の値でしかない。はたして、これは「5兆円強の税収になります」と断言できるほどのものなのだろうか?

過去、消費税は2度引き上げが行われている。その状況を調べてみた。

最初は1997年。3%から5%(4%が国税)に引き上げられている。この時は、実際に増収となった額は3.2兆円で、予測値を1兆円余り上回っている。

そして、2度目の引き上げは2014年で、この時は5%から8%(国税分が6.3%)。この時の国税分の増収額は5.2兆円だったが、予測は6.21兆円。実は1兆円余り予測を下回っている。

これについて京都大学大学院の西村周三名誉教授(経済学)は次のように話した。

「最初の消費税の引き上げ時は、その時に給与の引き上げも行われたため、引き上げによって消費動向が影響を受けなかった。2度目の引き上げの時は、景気が十分に回復する前に行われたので、消費者に負担感を強く感じさせるものとなった」

では、2019年10月に行われる予定の今回の引き上げは、どちらに状況は近いのだろうか? 西村名誉教授は次のように話した。

西村周三京都大学大学院名誉教授
西村周三京都大学大学院名誉教授

「どちらに近いとは言えない。消費動向を予測するのはそう簡単なものではないからだ。経済学者の視点から言うと、予測値はあくまでも予測値だ。これをもって、あたかも実際に5兆円強の税収があるかのように話すのは避けるべきだ」

今回の消費税の増税に合わせて、軽減税率が適用される。このため、飲食料品は消費税の増税対象からは外れることになる。これをもって即、予測値を下回るとは言えないだろうが、過去の事例よりも不確定な要因が増えるため、予測が困難な状況となることは間違いない。

東京オリンピック・パラリンピックによる外国人観光客の増加は好材料と見えなくもない。例えば、みずほ総合研究所は、2020年に訪日する外国人を3629万人と試算している。そして1人当たりの消費額は17万5000円と見積もっている。これによる消費の総額は6兆3000億円となる計算だ。消費税が2%上がって10%となれば、消費税額は6300億円となる。これは大きな額だが、実際には外国人の買い物は免税扱いとなるものも大きい。仮に、この数字が正しかったとしても、そのまま6000億円を超える消費税収が期待できるわけではない。そう考えると、マイナス要因が大きくなった場合、それでも消費税額の増額を下支えする要因になると考えるのは難しい。

東京2020オリンピック・パラリンピックイメージ画像(東京都HPより)
東京2020オリンピック・パラリンピックイメージ画像(東京都HPより)

安倍総理の発言は、あたかも「5兆円強」の税収が約束されているかのような印象を与えるものとなっているが、あくまでも予測値であることを明示すべきだろう。

「正社員になりたい人がいれば、かならず1つ以上の正社員の仕事がある?」

この会見で、安倍総理は消費税増税の判断材料として経済状況が好転していることを強調している。そして以下のように語っている。

「正社員の有効求人倍率は調査開始以来初めて1倍を超えました。正社員になりたい人がいれば、かならず1つ以上の正社員の仕事がある」

安倍首相解散会見(官邸You tubeより)
安倍首相解散会見(官邸You tubeより)

これもファクトチェックした。

正社員の有効求人倍率については、(ハローワークの正社員有効求人数)/(ハローワークの常用フルタイム有効求職者数)によって算出されたもので、直近の数値は1.01倍を示している。このため、「正社員の有効求人倍率は調査開始以来初めて1倍を超えました」は事実と確認できた。しかし、「正社員になりたい人がいれば、かならず1つ以上の正社員の仕事がある」とまで言えるのか、更に調べた。

ハローワーク(ロイター/アフロ)
ハローワーク(ロイター/アフロ)

先ずこのデータを、都道府県別に調べた。すると、正社員の有効求人倍率が1倍を超えているところは東京、愛知、大阪などで、その数は47都道府県の半数に満たない22となっている。最も低い沖縄では0.48倍、次に低い高知は0.68倍となっている。全ての国民が、「かならず1つ以上の正社員の仕事がある」と言う状況ではない。

更に詳しい状況を調べようとしたところ、厚生労働省からは、年齢別、職業別の有効求人倍率についての資料は公表していないと言われた。その理由は答えなかった。

特に、職業別の状況を見ずに、有効求人倍率の実態を語ることはできない。このため、厚生労働省が別にまとめた「職業別労働市場関係指数」を調べた。これは、パートを省く全ての職種についてまとめたものだ。

以下に、倍率の高い、つまり職に就ける可能性の高い職種を挙げた。

保安(警備業務など)   7.3倍

建設職業 4.26倍

介護サービス 2.96倍

自動車運転(タクシーの運転手など) 2.69倍

これらの職業は何れも過酷な労働環境から、もともと人手不足が指摘されている職種でもある。

その代表的なものが、介護サービスだ。倍率の2.96倍を詳しく見ると、有効求人数が全有効求人の1割にあたる約11万5000人で、求職数は約3万8000にとどまっている。これは、1人の介護士にかかる過重な労働に反して待遇の悪さが原因となっており、安倍総理自身が会見の中でこの点を指摘し、改善の必要性を強調しているものでもある。

一方で、ホワイトカラーの職業である事務的職業の有効求人倍率は0.4倍にとどまっている。

安倍総理の会見での発言は、正社員についてのものであり、これらは参考値に過ぎない。しかし、介護サービスなど労働環境の厳しいことが指摘されている職業が有効求人倍率を押し上げている状況は正社員も変わらないと推測される。

介護士が厳しい肉体労働の現場であることは知られている。病院で正社員として採用されても、厳しい労働環境とそれに見合わない待遇で続けられない人も多い。そうした職業によって求人倍率が高められても、それは安倍総理が「正社員になりたい人がいれば、かならず1つ以上の正社員の仕事がある」と胸を張って言えるものではない。

従ってこの発言は、根拠はあるものの、その内容は必ずしも事実とは言えないと判断せざるを得ない。

総選挙ファクトチェック参加者の思い

この取り組みは「総選挙ファクトチェック」として、今年6月に発足したFIJ(ファクトチェック・イニシアチブ・ジャパン)によって始められた。私たち「NPOニュースのタネ」以外にも、バズフィードなどいくつかの団体が参加して、総選挙に絡む政治家の発言やメディアの発する情報を確認するものだ。希望の党の小池代表の発言を「不正確」と認定したり、日本維新の会の松井代表の発言を「虚偽ないし根拠なしに相当する」と認定するなどしている。

「ニュースのタネ」のファクトチェックには、前述の通り主婦や学生、それに研究者、会社経営者、児童書編集者など様々な立場の男女10人が参加して行われた。安倍総理の解散会見の中でも、何をファクトチェックするかで議論はあった。参加者の1人は、森友学園や加計学園の疑惑について「丁寧に説明する努力を重ねてまいりました」とした発言を調べるべきだと話した。しかし、これは安倍総理の認識を語った部分だ。ファクトチェックは事実を確認するもので、認識や意見をファクトチェックすることはできない。

参加者は試行錯誤の中で、ネットで関連資料を探しては読み込み、専門家を探しては話をきくなどして調べを進めた。

参加者の1人、主婦の中川佳子さんは障害を持つ子供を育てながらの参加となった。「5兆円強」の調査に関わった。

西村名誉教授に取材する中川佳子さん
西村名誉教授に取材する中川佳子さん

「子供を育てる中で、特に311の震災以降、何が正しいのかわからなくなり、こうした取り組みが必要だと感じていた。実際にファクトチェックをしてみて、政治家は嘘はつかないけど、その発言が事実かと突き詰めると必ずしも事実ではないということを目の当たりにした気がした。そして、その知恵袋が優秀な官僚なのだとあらためて実感した」

中川さんは、主に消費税の動向についての基礎情報を集めた。これはネットを検索すればかなりの資料が集まる。問題は、それらの資料の正当性の確認だ。丹念に資料を読み込む必要がある。大学時代に経済学を学んでいたが、それでも資料集めは大変だったと話した。

「学生時代に、教授から、経済学を学ぶのは騙されないためだと言われていたのを思い出しました」

専門家探しも担った。最終的に記事の根幹となった西村名誉教授は中川さんが取材した。

「自分で集めた内容を読み込んでも、やはり専門家の先生に聞いてみて、やっと理解できることがあると感じました」

チームでは、参加者それぞれがネットを使うなどして資料を集め、それを皆で読み込んだ。最も困難だったのは、資料から読み解いた結果の確認だった。最終的には、筆者と「ニュースのタネ」のメンバーが財務省や厚生労働省に直接確認を行った。

会社経営の傍ら参加した池田由利子さんは、主に有効求人倍率の発言を調べた。

ファクトチェックに参加した池田由利子さん
ファクトチェックに参加した池田由利子さん

「こういう取り組みはこれまで無いと思って参加しました。経営者として知っている知識もありましたが、勉強しながら他の人の意見を参考にして議論を続けた感じです」

困難だったのは、結論を出す時の議論だったと話した。議論は、筆者も加わり、数日にまたいで行われた。

「私は会社を経営しているので、統計が実態を物語っていないだろうことは感覚的にわかっているんですが、議論は多くの人が参加しているので、新鮮でした。ただ、議論をまとめるのは大変だと感じました」

一方で、ファクトチェックに違和感を覚えた点もあるという。

「事実のみを確認するということでしたが、数字に偏り過ぎてないかと感じました。重箱の隅をつついていると感じたこともあります」

大学3年の松井俊樹さんも議論が沸騰したところが最も印象に残っていると話した

ファクトチェックに参加した松井俊樹さん
ファクトチェックに参加した松井俊樹さん

「時間がなくて調査にあまり寄与できませんでした。でも、調査結果を議論する皆さんの姿を見て刺激を受けました。僕も、もう少し政治とか勉強しないといけないと感じました」

「ニュースのタネ」は、今後も多くの人の参加を得て政治家の発言をファクトチェックしていくことにしている。

【この記事は、Yahoo!ニュース個人の企画支援記事です。オーサーが発案した企画について、編集部が一定の基準に基づく審査の上、取材費などを負担しているものです。この活動は個人の発信者をサポート・応援する目的で行っています】

InFact編集長

InFact編集長。アメリカン大学(米ワシントンDC)フェロー。1991年一橋大学卒業。放送大学大学院修士課程修了。NHKでテヘラン特派員、社会部記者、国際放送局デスクに従事し、政府が随意契約を恣意的に使っている実態を暴き随意契約原則禁止のきっかけを作ったほか、大阪の印刷会社で化学物質を原因とした胆管癌被害が発生していることをスクープ。「パナマ文書」取材に中心的に関わった後にNHKを退職。著書に「コロナの時代を生きるためのファクトチェック」、「NHK記者がNHKを取材した」、「ファクトチェック・ニッポン」、「トランプ王国の素顔」など多数。日刊ゲンダイにコラムを連載中。

立岩陽一郎の最近の記事