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安倍一強が消えたら岸田総理の「政敵」が消えただけだった

田中良紹ジャーナリスト

フーテン老人世直し録(705)

文月某日

 あの衝撃の銃撃事件から1年目の7月8日、岸田総理は安倍元総理の一周忌法要とその関連行事を済ませると、郷里の広島に戻った。翌9日は在任期間が派閥と郷里の両方で大先輩に当たる宮沢喜一元総理と肩を並べる644日目で、岸田総理はその日を郷里で迎えた。

 岸田総理は派閥の会長を辞めないことでも分かるように、保守本流の「宏池会」が出身派閥であることにこだわりを持つ。自民党総裁選に勝利した時、真っ先に口に出たのは「宏池会」が宮沢政権以来30年ぶりに総理の座を獲得した感慨だった。

 岸田総理は記者から宮沢元総理と在任期間で肩を並べたことの感想を問われると、「重要なのは長さではなく中身だ」と言ったが、派閥の先輩で言えばすでに4月に大平正芳元総理の338日を超え、来年2月には鈴木善幸元総理の864日を、さらに2026年1月末まで総理を続ければ、派閥の創始者である池田勇人元総理の1575日を超えることになる。

 それを岸田総理がまったく意識していないと言えば噓になるとフーテンは思う。そう思うのはこの1年で岸田総理の「政敵」になる人間がまったく見えなくなったからだ。その意味であの銃撃事件が日本政治にもたらした影響は大きい。

 フーテンは銃撃事件が起きた直後に「眠りこけたような国家で起きた本格的テロ事件の衝撃」と題するブログを書いた。なぜ日本が眠りこけたような国家に見えたかと言えば、安倍元総理の政治手法は、勝てる時に解散を打ち、選挙の争点を明確にしないことで投票率を下げ、それによって与党が常勝して野党を無力化する。

 それは自民党内でも安倍派を膨張させて他派閥を従わせ、内閣人事局を使って人事権で官僚機構をコントロールし、各省庁を超えて官邸が政策を主導する。つまり「安倍一強」は国会を支配し、自民党を支配し、官僚機構を支配してきた。

 それに慣らされた国民は選挙に行かず、つまり権力闘争に参加しようとせず、SNSでうっぷん晴らしをするのがせいぜいだ。それが眠りこけた国家でなくて何なのか。そこに安倍元総理銃撃事件が起き、権力の中枢が突然不在になった。

 権力に穴が開いたのだからその穴を巡って闘争が起こるのは避けられない。フーテンはそう思って政治の動きに目を凝らした。しかし権力闘争は起こらなかった。安倍元総理が不在になったことで岸田総理の「政敵」が消え、「安倍一強」に引きずられた政治の世界から安倍元総理に代わる「政敵」が登場することはなかったのである。

  銃撃事件が起きる前、フーテンは7月10日投票の参議院選挙が終われば「安倍vs岸田」の戦争が起こると予想していた。なぜなら岸田総理は人事で安倍元総理に喧嘩を売っていたからだ。

 まず最初の人事で岸田総理は林芳正氏を外務大臣に起用し、さらに直後の衆議院選挙で林氏が参議院から衆議院に鞍替えするのを許した。それは次の総理候補に育てようという意味になる。

 その林氏は安倍元総理にとって親の代からの「天敵」である。中選挙区制時代に安倍晋太郎氏と林義郎氏の親同士は激しく戦い、その対立は今でも下関市を舞台に地方選挙で繰り広げられている。それを知りながら岸田総理は自分の後継者として林氏を抜擢した。

 弱小派閥の中曽根康弘元総理が最大派閥の田中角栄氏に対し、人事で決して逆らわなかったのを見てきたフーテンには驚きの人事だった。そして安倍元総理が祖父の岸信介氏以来の親台湾派であるのに対し、林氏は自民党きっての親中派である。まさに安倍元総理の神経を逆撫でする人事だった。

 この人事に反撃するかのように、安倍元総理は2021年12月に台湾のシンクタンクのシンポジウムにオンラインで参加し、「台湾有事は日本有事」と発言した。これに中国政府が激しく反発した。

 2022年は日中国交回復50年の節目の年だった。それが友好的に行われるのかどうか、不穏な情勢になった。日中国交正常化は「宏池会」の先輩である大平正芳氏が外務大臣として尽力した成果である。

 以来、国交回復10周年は鈴木総理が、20周年は宮沢総理が重要な役割を演じた。50周年は自分がその役割を果たさなければならないと岸田総理は考えていたはずだ。日中国交回復を友好的に行うかどうかで安倍元総理と岸田総理は対立していた。

 次に岸田総理は昨年6月、安倍元総理の秘書官を6年半も務めた島田防衛事務次官を、安倍元総理や岸信夫防衛大臣の猛反対を押し切って退官させた。従って7月10日投票の参議院選挙の後に、この人事に対する報復としてフーテンは「安倍vs岸田」の戦いが始まると予想した。

 しかし銃撃事件で安倍元総理は帰らぬ人となった。すると岸田総理は「安倍元総理の継承者」としての売込みを始める。最大派閥を支える岩盤支持層を取り込むためだ。その最大の売込みが戦後は吉田茂の一例しかない「国葬」の実現だった。それを岸田総理は国会で了承を取り付けることなく決定した。

 野党は反発し国民からも批判の声が上がる。内閣支持率はみるみる下がる。しかし反対があればあるほど岩盤支持層には評価される。それも計算の内だったとフーテンは思う。むしろフーテンが注目したのは「国葬」が安倍元総理死去から2か月以上も経った9月27日に設定されたことだ。なぜそんなに遅らせたのか。

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ジャーナリスト

1969年TBS入社。ドキュメンタリー・ディレクターや放送記者としてロッキード事件、田中角栄、日米摩擦などを取材。90年 米国の政治専門テレビC-SPANの配給権を取得。日本に米議会情報を紹介しながら国会の映像公開を提案。98年CS放送で「国会TV」を開局。07年退職し現在はブログ執筆と政治塾を主宰■オンライン「田中塾」の次回日時:5月26日(日)午後3時から4時半まで。パソコンかスマホでご覧いただけます。世界と日本の政治の動きを講義し、皆様からの質問を受け付けます。参加ご希望の方は https://bit.ly/2WUhRgg までお申し込みください。

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