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安倍国葬は分断に象徴される「安倍政治」を葬送することにつながるか

田中良紹ジャーナリスト

フーテン老人世直し録(669)

長月某日

 参議院選挙の応援演説中に銃撃され死亡した安倍元総理の「国葬」が、27日、日本武道館で行われた。総理経験者の「国葬」は戦後2例目で、1967年の吉田茂元総理以来55年ぶりとなる。

 吉田元総理の「国葬」は法的根拠がないまま超法規的に行われ、当時の国民は冷ややかな反応を見せた。その反省から佐藤栄作元総理は「国民葬」、その他の総理経験者は内閣と自民党の「合同葬」という形で行われるのが慣例となった。

 ところが岸田総理は安倍元総理の死後6日目にそうした前例を覆して「国葬」を発表した。安倍元総理を支持する保守派の圧力があったとする説もあるが、フーテンは岸田総理自身が決断したとみている。それは安倍元総理の死後2日目に行われた参議院選挙の結果に驚愕したからだ。

 メディアは議席数だけを見て「与党大勝利」と報道したが、自民党の比例獲得票数は前回の安倍政権時代の参議院選挙より600万票も減らした。岸田総理は安倍元総理の「岩盤支持層」に背を向けられていることを痛感する。「岩盤支持層」が亡き安倍元総理に代わる人物を擁立する動きが出れば厄介である。

 そのため岸田総理は選挙後初の記者会見で「安倍総理の遺志を継ぐ」と発言し、憲法改正と拉致問題の解決に全力を挙げると強調した。次に安倍元総理に戦後4人目となる最高位の勲章を与え、さらに55年ぶりとなる「国葬」の実施を決めた。すべては「岩盤支持層」に自分が安倍元総理の後継者であることを認めさせるためである。

 「国葬」が国民の反発に遭うことを予想しながら、また安倍元総理が旧統一教会の広告塔になっていたため銃撃されたことも知りながら、つまり「国葬」と旧統一教会問題が絡まることを承知で、岸田総理は「国葬」を決断した。

 当然ながら岸田総理に対する国民の反発は大きくなる。内閣支持率は急落する。それでも「国葬」は断固やり抜く。そうなれば「岩盤支持層」は岸田総理の足を引っ張るわけにいかなくなる。安倍元総理のために支持率を急落させても頑張っていることになるからだ。

 それは政権の存続にとって危険な賭けではあるが、幸いなことにこれから3年間は国政選挙がない。自民党内から引きずりおろしが始まるのは、その時の総理が「選挙の顔」にならないと判断された場合で、選挙がなければその恐れはない。

 また支持率を急落させても「国葬」を実現しようとする岸田総理を、党内最大派閥の安倍派が支持しない訳はない。だから支持率を急落させても「国葬」実現にメリットはある。岸田総理はそう考えた。

 その上で岸田総理は、「国葬」の実施を死後81日目となる9月27日にすると決めた。コロナの感染を考慮して中曽根元総理の「合同葬」が延期された例はあるが、感染の恐れが軽減されたのに死後81日というのは前例のない大幅な先送りである。不思議なことにメディアはその理由を誰も追及しない。

 政府は日本武道館が空いていなかったと説明しているらしいが、それをフーテンは疑っている。フーテンが考えたのは、9月29日が日中国交正常化50周年の記念日であり、岸田総理はそれに近づけようとしたのではないかということだ。

 「国葬」にする理由として政府は弔問外交の意義を強調していた。27日を「国葬」の日とすれば、26,27,28日が弔問外交の日程になる。それに続けて29日に中国の習近平国家主席とのオンライン会談が実現すれば、岸田総理は「宏池会」出身の総理として先輩と肩を並べることができる。

 日本の田中角栄総理と中国の周恩来首相は、50年前の9月29日に「日中共同声明」に署名した。田中総理を支えたのは大平正芳外務大臣である。彼はその後「宏池会」で2人目の総理となった。

 日中国交正常化10周年には、鈴木善幸総理が北京で記念講演を行った。鈴木総理は「宏池会」3人目の総理である。日中国交正常化20周年は、「宏池会」4人目となる宮沢総理が天皇皇后の中国訪問を実現させた。そして宮沢総理以来30年ぶりに誕生したのが「宏池会」5人目となる岸田総理である。

 日中国交正常化30周年は小泉純一郎総理の時で、靖国参拝を巡り日中関係は冷却化していた。そして40周年は民主党の野田佳彦総理の時で、尖閣諸島を日本が国有化したことから中国に反日運動が巻き起こり、40周年どころではなくなった。

 それから10年、奇しくも日中国交正常化50周年の年に自分が総理を務める以上、「宏池会」出身の総理として、大平、鈴木、宮沢に次いで日中友好に貢献しなければならない。

 おそらく岸田総理はそう考え、昨年10月の組閣で同じ「宏池会」の林芳正を外務大臣に起用した。林外務大臣は就任前まで日中友好議員連盟会長を務めていた親中派の筆頭である。

 これに猛反発したのが安倍元総理だ。安倍元総理と林外務大臣は同じ山口県の選挙区で親の代からのライバル関係にある。そして林外務大臣は就任直後に行われた衆議院選挙で参議院から衆議院に鞍替えして当選した。鞍替えの意味は総理を目指す意欲である。

 安倍元総理は岸田政権を早く終わらせ、自分が3期目の総理を狙おうとしていたから、林外務大臣の意欲は許されるものではない。それも含めて日中国交正常化50周年の今年は、それを成功させたい岸田総理に対し安倍元総理は勝負をかけなければならなかった。

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ジャーナリスト

1969年TBS入社。ドキュメンタリー・ディレクターや放送記者としてロッキード事件、田中角栄、日米摩擦などを取材。90年 米国の政治専門テレビC-SPANの配給権を取得。日本に米議会情報を紹介しながら国会の映像公開を提案。98年CS放送で「国会TV」を開局。07年退職し現在はブログ執筆と政治塾を主宰■オンライン「田中塾」の次回日時:5月26日(日)午後3時から4時半まで。パソコンかスマホでご覧いただけます。世界と日本の政治の動きを講義し、皆様からの質問を受け付けます。参加ご希望の方は https://bit.ly/2WUhRgg までお申し込みください。

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