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岸田総理がいち早く国葬を決め、しかし実施は2か月以上先という疑問を追及しない国会

田中良紹ジャーナリスト

フーテン老人世直し録(666)

長月某日

 8日に行われた安倍元総理の「国葬」を巡る衆参の閉会中審査は、フーテンの疑問に何も答えてくれなかった。かみ合わない議論の繰り返しで訳が分からず、外国人が見たらこれが議会なのかと驚いたに違いない。

 フーテンの疑問とは、まず岸田総理は銃撃事件の6日後にいち早く安倍元総理を「国葬」にすると発表したが、しかしその時点で山上徹也容疑者の殺害動機は政治的ではなく、旧統一教会に人生を破壊された恨みであると警察は発表していた。

 総理には全ての情報がいち早く報告されるから、岸田総理が銃撃事件の動機や詳細を知らないはずはない。にもかかわらず岸田総理は旧統一教会問題が大きくならないと判断したのか、戦後一例しかない「国葬」を決断したのである。なぜもう少し待ってから判断しようとしなかったのか。

 岸田総理は「国葬」にする理由として、憲政史上最長の在任期間、内政・外交にわたる政治的実績、海外からの弔意、民主主義の根幹たる選挙中の非業の死の4つを挙げたが、いずれもフーテンが納得できるものではない。「国葬」にすると決めてから探した後付けの理由に思える。しかし岸田総理は閉会中審査でもそれを繰り返すだけだった。

 この判断は一人だけで行ったのか、それとも誰かと相談したのか、相談したとすればそれは誰か、そして戦後の一例である吉田茂元総理の「国葬」の記録を調べたのか、あるいは戦前の「国葬」についても調べた上で判断したのか、それらを閉会中審査では探り出して欲しかった。

 前にも書いたが、戦前の総理でおよそ8年という憲政史上最長の在位期間を記録した桂太郎は「国葬」にならず、同じ時期に桂と交互に総理を務めた西園寺公望は在位期間が桂の半分以下なのに「国葬」にされている。

 戦後では安倍元総理に抜かれるまで戦後最長と言われた佐藤栄作元総理が、国民の悲願であった沖縄返還を実現し、また非核三原則を唱えてノーベル平和賞を受賞したのに「国葬」にならなかった。何故ならなかったのかを調べれば、在位期間が長いから「国葬」になるわけではないことが分かる。

 次の内政・外交の政治的実績について、岸田総理は東日本大震災からの復興、アベノミクス、日米同盟強化を挙げた。しかしフーテンには安倍元総理が東北の復興に特別の力を尽くしたと思えない。被災した方々に聞いてみれば良い。その方々が安倍元総理に感謝し「国葬」して欲しいと声を上げるならフーテンも納得する。しかしそうなるとは思えない。

 アベノミクスも評価は様々だ。米国の経済学者ポール・クルーグマンは当初は評価したがすぐに否定的になった。そして円安誘導の金融政策は目標を達成できず、それどころか現在の円安の抜き差しならない状況を見れば、日本を奈落の底に突き落とす起点を作ったかもしれない。

 日米同盟強化と言っても、トランプという異形の大統領にすり寄っただけだ。外交で最大の課題だった拉致問題を解決できず、北方領土問題を解決し日露平和条約を結ぶことにも失敗した。

 いずれにしても政治的実績はまだ評価が定まったとは言えない。安倍元総理本人もそう思っていたから、派閥に後継者を作らず、自分がもう一度総理に返り咲くのを狙っていた。そのため安倍元総理は早いうちに岸田総理を潰す気でいた。銃撃されなければ参議院選挙後は岸田VS安倍の戦いが始まるところだった。

 海外から弔意が多く寄せられたことは、世界で最も治安が良く、しかも銃犯罪のない国で、政治家が演説中に銃撃された衝撃による。我々も驚いたが海外はもっと驚いた。それが予想外の反響を呼んだ。しかも選挙中の銃撃だから民主主義を破壊するテロと受け止められた。

 しかし銃撃は、安倍元総理の言論を暴力で封殺しようとしたのではなく、安倍元総理がカルトの広告塔だったことへの恨みである。そうなると4番目の理由は理由とは言えなくなるし、3番目の理由もその通りと考えることはできない。

 銃撃の衝撃が冷めやらぬうちは、トランプ米前大統領、オバマ米元大統領、マクロン仏大統領、メルケル独前首相らが弔問に訪れると報道されたが、閉会中審査で岸田総理が披露した弔問客の中に彼らの名前はなかった。

 この銃撃が民主主義に対する挑戦ではなく、カルトの広告塔であったための事件だと世界に伝えられ、反応が変わってきたとフーテンは思う。それなのに岸田総理は閉会中審査で、海外からの弔意をことさら強調し、それを「国葬」の理由とした。

 「海外から多くの弔意が寄せられたが、それは日本国民全体に対する哀悼の意だ」。だから「日本国として、海外からの敬意や弔意に礼節を持って応える必要がある」と岸田総理は語った。「国葬」でないと礼節を欠くと言うのなら、戦後の総理経験者の葬儀をなぜみな「国葬」にしなかったのか。

 戦後一例だけの吉田茂の「国葬」に国民は冷ややかだった。そのためそれ以降は「国葬」でなく、ノーベル平和賞受賞の佐藤栄作も「国民葬」だった。そしてそれ以降は内閣と自民党の「合同葬」が慣例となった。

 しかし岸田内閣はそれを覆そうとしている。岸田総理は「国葬」の決定権は行政府にあることを強調し、時々の政府が国内状況や国際状況を総合的に勘案して決定できると言った。法的根拠がなくともできるという。それがなぜかをフーテンは知りたい。

 岸田総理が「国葬」を決断したのは、7月10日に開票された参議院選挙で、自民党が安倍政権時代より600万票も比例票を減らしたことが分かった時点である。安倍元総理を支持する「岩盤支持層」が自民党離れを起こし、それを繋ぎ留めるために岸田総理はいち早く「国葬」にすることを決断したのではないか。この推理が当たっているか、閉会中審査でその手掛かりをつかみたかった。

 岸田総理は7月22日に「国葬」を閣議決定し、9月27日に実施すると発表した。フーテンの第二の疑問は、なぜ2か月以上も先に葬儀を設定したかである。フーテンの推理はいち早く「国葬」を決めることで、安倍元総理の「岩盤支持層」を自民党に繋ぎ留める一方、「国葬」を9月29日の「日中国交正常化50周年記念日」に近づけることで、「岩盤支持層」が嫌う中国との友好にも岸田総理は力を入れようとしているのではないか。

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ジャーナリスト

1969年TBS入社。ドキュメンタリー・ディレクターや放送記者としてロッキード事件、田中角栄、日米摩擦などを取材。90年 米国の政治専門テレビC-SPANの配給権を取得。日本に米議会情報を紹介しながら国会の映像公開を提案。98年CS放送で「国会TV」を開局。07年退職し現在はブログ執筆と政治塾を主宰■オンライン「田中塾」の次回日時:5月26日(日)午後3時から4時半まで。パソコンかスマホでご覧いただけます。世界と日本の政治の動きを講義し、皆様からの質問を受け付けます。参加ご希望の方は https://bit.ly/2WUhRgg までお申し込みください。

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