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安倍元総理の国葬を強行する岸田総理の野望

田中良紹ジャーナリスト

フーテン老人世直し録(658)

文月某日

 岸田政権は22日の閣議で、暗殺された安倍元総理の「国葬」を9月27日に行うことを正式決定した。国葬が行われるのは55年前の吉田茂元総理に次ぐ戦後2例目で、「国民葬」となった佐藤栄作元総理を除けば、歴代総理の葬儀は内閣と自民党の「合同葬」というのが普通である。今回の国葬は異例の扱いだ。なぜ国葬なのか。

 岸田総理は国葬にする理由として、8年8か月という憲政史上最長の在位期間を務めたこと。内政・外交の様々な分野で実績を上げたこと。国内外から多くの哀悼の意が寄せられていることを挙げた。

 しかし在位期間が長いから国葬になるというのは説得力がない。安倍元総理が抜くまで在位最長記録を保持していた桂太郎元総理は国葬の対象になっていないのだ。次に「アベノミクス」や「俯瞰する外交」に代表される安倍政治の実績には、評価もあるが批判もあり、まだ評価が定まったとは言い難い。

 国の内外から多くの哀悼の意が寄せられたことは事実だ。それは世界で最も治安が良いと思われる日本で、選挙期間中にしかも応援演説のさなかに元総理が暗殺されたためだと思う。民主主義に対する挑戦と受け止められ、世界中に衝撃を与えたからだ。

 岸田総理は「安倍元総理を追悼することで、我が国は暴力に屈せず、民主主義を断固として守り抜いていく決意を示す」と語ったが、安倍元総理を銃撃した山上容疑者の動機が明らかになるにつれ、安倍元総理に対する言論封殺ではなく、旧統一教会に恨みがあり、旧統一教会と安倍元総理の密接な関係から安倍元総理を狙ったことが分かってきた。

 従って「民主主義を守り抜く決意を内外に示すため」というのも国葬にする理由とは言えない。ではなぜ岸田総理は早々に異例の国葬に踏み切ったのか。『国葬の成立 明治国家と「功臣」の死』の著者である宮間純一中央大学教授は、今回の国葬のやり方を明治初期に暗殺された大久保利通の葬儀と重ね合わせている。

 大久保はまだ国葬令が出来る前に、明治政府に不満を抱く士族によって暗殺されたが、暗殺された3日後には伊藤博文や西郷従道、大山巌らが主導して大がかりな葬儀が催された。それは政府の最高実力者が不平士族に暗殺されたことで、反政府運動が活発化することを恐れたためである。

 まだ盤石とは言えない明治政府の基礎を固めるため、天皇が「功臣」の死を悲しんでいる様子を国の内外に見せる目的で大規模な葬儀を行い、それに一般の人々を巻き込み、葬列はさながらパレードのようだった。暗殺された大久保の葬儀は明治政府を盤石にするための政治利用だった。

 その後、明治政府は国葬令を作り、天皇の「功臣」とみなされた者が国葬の対象となった。国葬の日に天皇は仕事に就かず、国民は歌舞音曲をやめ、死刑執行は停止される。地方自治体や神社、学校でも追悼の儀式が行われた。それは天皇を中心とする国家体制を国民の意識に植え付けるためのものであった。

 1883年の岩倉具視から1945年の閑院宮まで21名が国葬されたが、敗戦後GHQの「神道指令」により、国葬をはじめとする公葬は禁止され、1947年には国葬令も失効した。

 戦後唯一の例外として55年前に行われた吉田元総理の国葬について、佐藤栄作元総理は「苦難に満ちた時代にあって、7年有余の長きにわたり国政を担当され、強い祖国愛に根差す民族への献身とすぐれた識見をもって廃墟と飢餓の中にあった我が国を奇跡の復興へと導かれた」と理由を述べた。

 そして日本武道館で行われた国葬に当時の皇太子夫妻(現在の上皇、上皇后)が出席し、九段下には8500人を超える群衆が詰めかけたというが、しかし戦前のように国民がもろ手を挙げて賛成する国葬にはならなかった。革新自治体では通常通りに業務を行い、共産党や民主団体は反対の街頭演説を行った。

 岸田政権は今回の安倍元総理の国葬に当たり、国民に喪に服することを強制しないし休日にもしないという。つまり戦前のように国を挙げての葬儀ではないようだ。それでは何のための国葬なのか。フーテンは宮間教授が大久保利通の葬儀と重なると言ったように、まだ盤石ではない岸田政権が安定した体制を固めるための政治利用と考えている。

 岸田総理は、安倍元総理の遺産を自分の物にして内政・外交の両面で政権強化に利用しようとしているのである。安倍元総理が死去したことで、安倍元総理の遺産を引き継いだ者が岸田政権にとって最大の敵になると考え、それをさせる前に自分が安倍元総理の遺産を奪い取ることを決意したのだと思う。

 内政面から説明する。前々回のブログで書いたように岸田自民党は安倍政権時代より選挙で票を減らしている。昨年10月の衆議院選挙もこの前の参議院選挙も、表向きは与党大勝と言われているが、実は自民党の比例の獲得票は激減している。

 安倍政権の最後の選挙は3年前の参議院選挙である。その選挙で自民党は比例で2400万票強を獲得した。ところが岸田政権に代わり、最初の選挙である昨年の衆議院選挙の比例獲得票数はおよそ2000万弱で、430万票余りを失った。

 それが今回の参議院選挙でさらに1800万票強に減った。165万票余りが減ったことになる。つまり安倍政権から岸田政権に代わったことで「岩盤支持層」と言われる600万票が自民党から逃げ出した。これを繋ぎ留めないと自民党は先細りすること間違いない。

 だから岸田総理は事件後すぐに「安倍元総理の遺志を引き継ぐ」、「憲法改正を成し遂げたい」、「拉致問題を解決する」と繰り返している。安倍元総理が総理に返り咲く野望を抱いていたため、後継者を作らなかったことを幸いに、自分が後継者になると宣言して「岩盤支持層」を繋ぎ留めようとしているのである。

 世論調査の第一人者である松本正生・埼玉大学名誉教授が調べた興味深いデータがある。安倍内閣と菅内閣と岸田内閣の世代別の支持率を比較したものだ。安倍内閣と菅内閣は同じ傾向にある。つまり若者の支持率が高く、年齢が上がると支持率が下がる。

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ジャーナリスト

1969年TBS入社。ドキュメンタリー・ディレクターや放送記者としてロッキード事件、田中角栄、日米摩擦などを取材。90年 米国の政治専門テレビC-SPANの配給権を取得。日本に米議会情報を紹介しながら国会の映像公開を提案。98年CS放送で「国会TV」を開局。07年退職し現在はブログ執筆と政治塾を主宰■「田中塾@兎」のお知らせ 日時:4月28日(日)16時から17時半。場所:東京都大田区上池台1丁目のスナック「兎」(03-3727-2806)池上線長原駅から徒歩5分。会費:1500円。お申し込みはmaruyamase@securo-japan.com。

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