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日本没落の「三十年」を終わらせることはできるのか(2)

田中良紹ジャーナリスト

 戦後日本の政治に大きな影響を与えた吉田茂の口癖は「日本は軍事でアメリカに負けたが外交で勝つ」だったという。その後継者らは自民党と社会党が役割分担して米国を騙す「狡猾な外交術」を生み出した。

 米国の歴史学者マイケル・シャラーは著書『「日米関係」とは何だったか』(草思社)で竹下登が語った「狡猾な外交術」のからくりを「事実はそのとおりだった」と認めている。軍事負担を軽減する一方で経済に力を入れる日本の策略は見事に成功し、日本は世界で最も格差の少ない経済大国を実現した。

 1987年に総理に就任する前、全国遊説を行った竹下登の演題は「世界一物語」である。何が世界一かと言えば、日本は格差が世界一小さいという話だった。しかし一方で平和憲法を守り軍隊を作らない日本人は「企業戦士」となって諸外国の市場に侵攻し、特に70年代から米国は日本経済を米国の安全保障を脅かす最大の脅威と見るようになる。

 1971年に共産主義の中国を電撃的に訪問したニクソン大統領の目的は、中国の力を借りてベトナム戦争を終わらせることと、日米安保条約は日本の力を強めないための「ビンの蓋」であることを説明するためだった。米国は日本に憲法改正させて再軍備させるより、平和憲法を守らせ軍事を米国に委ねさせることで日本を従属させる方向を目指すようになる。

 中曽根・レーガン時代を「日米蜜月」と言う人もいるが、実態は日本に輸出攻勢をかけられ続けた米国が反撃に転じ、日米貿易戦争が始まった時代である。日本は輸出自主規制に追い込まれ、またエレクトロニクスや半導体、医薬品など分野別に協議が行われて米国の要求を飲まされていく。

 1985年、日本が世界一の債権国になった年は、「プラザ合意」によって急激な円高に誘導され、日本の輸出産業が大打撃を受けた年でもある。翌86年には「日米半導体協定」が結ばれた。内容は非公表だが、日本の半導体が安い価格で米国に輸出されれば米国の安全保障を脅かすとして、政府の監視強化を求めたものだ。

 米中はいまファーウェイの5Gを巡って激しく対立するが、中国政府はかつての「日米半導体協定」を教訓に米国の要求に一歩も引かない姿勢である。それは次世代の技術で米国の言うがままになった日本を中国が反面教師にしているからだという。

 そして87年の「ルーブル合意」で、日本は米国から低金利政策を飲まされた。その時、敗戦後は日本と同じ運命をたどった西ドイツが米国の要求を飲まなかった。欧州では冷戦の終わりが感じられていたからか、ともかく西ドイツは日本と異なる方向に歩み出す。

 そして低金利政策と共に米国から要求された内需拡大策によって日本経済はバブルに陥った。当時の日本は貿易で金を稼ぎ、その金を貸して利息収入も得る。世界中からマネーが流れ込んだ。そのままにすれば物価が上がってインフレになる。マネーを土地と株に吸収させてインフレを起こさせないというのがオモテの説明だった。

 株価と地価がどんどん上がる。素人までが株買いや土地投機に走った。官僚たちもかつてとは異なる顔になる。薄給でも国家国民のために働く意識だった官僚が、「坂の上の雲」にたどり着いた成功感からか、分け前に預かろうとする意識に変わる。民間への天下りが始まり、内需拡大策に便乗して役所が官業ビジネスを始めた。

 日本中がバブルに浮かれる中で「三十年」前の1989年、ベルリンの壁が壊れ、米ソ冷戦は終結した。冷戦が終われば「狡猾な外交術」は効力を失う。日本経済を上り坂にしてきた「からくり」が出来なくなるのに、誰もそのことに気付いていないように私には見えた。

「三十年」前の年末の株価は史上最高値の3万8千円超をつけた。しかし年が明ければ暴落が始まる。バブルは崩壊したのに誰もそれを認めたがらない。バブル時代を象徴したディスコ「ジュリアナ東京」は実はバブル崩壊の2年後にオープンした。そしてバブル崩壊後5年間も営業を続け国民は踊り狂っていた。

 冷戦終結までの世界は米ソの二極構造だった。それが2年後の91年にソ連が崩壊し、米国だけが超大国として世界を支配することになる。それは何をもたらすか。冷戦終結から次の時代を見据えて議論していた米国議会の結論は「混沌の世界が始まる」ということだった。そのため諜報能力強化と世界的な米軍再編、及び軍事力の強化が図られた。

 一方の日本には全く冷戦後を巡る議論がなかった。宮沢総理に至っては「これで日本も平和の配当を受けられる」と米国とは逆に楽観的な見通しを語った。そして日本は冷戦終結後の最初の戦争である「湾岸戦争」で世界から馬鹿にされた。あの「狡猾な外交術」のため国民に刷り込んだ「9条神話」を転換することが出来なかったからだ。

 日本経済の生命線である中東で戦争が起きても、日本は国会を開いて議論することをしなかった。「9条神話」があるため議論が神学論争になることを官僚が恐れたためだ。そして米国にカネを渡して他人任せにしようとした。それは世界に通用しなかった。

 「湾岸戦争」で馬鹿にされた日本は、その負い目から今度は何でも米国の言うことを聞くようになる。米国は日本の経済構造を分析し、それを崩して自分たちと同じ構造に変えようとし始める。クリントン大統領は宮沢総理に「年次改革要望書」の交換を要求、しかし交換と言っても一方的に要求を飲ませようとするものだった。

 さらに「IT革命」で甦った米国経済を確かなものにするため、クリントンは中国や韓国と手を組んで日本を無視する。デジタルに乗り遅れた日本をしり目に中国と韓国のIT産業はみるみる成長し、日本はその後塵を拝するようになった。

 「年次改革要望書」は小泉政権時代にその存在が明らかとなるが、米国に二度と経済的脅威を与えないように日本を作り変えようとするものだ。霞が関の官僚にとっては「年次改革要望書」に応える事が総理の指示より重要だった。日本に初の政権交代が起きる2009年まで「年次改革要望書」は続けられた。

 こうしてこの「三十年」、日本はひたすら坂道を転げ落ちる。そしてどこまで落ちるか、その先が見えない。私は40年ほど前から日本政治の最重要課題は「少子高齢化」への対応だと考えてきた。「少子化」にはフランスの成功例があるから、それを真似すれば良い。

 難しいのは「高齢化問題」で、長寿国日本はそのトップランナーだから、真似する対象がない。自分たちの知恵で解決法を考えなければならない。しかも子供と違って老人は個人差が大きい。そこに政治の知恵が必要になる。

 しかしこの「三十年」、「少子化」も「高齢化」も対策はまったく進んでいない。フランスの経済学者は「日本人は馬鹿」と呆れている。なぜかを私なりに考えると、日本人はまだ「三十年」より前の成功物語に酔っていて、「ジュリアナ東京」のようにバブルが終わったのに踊り狂っているからではないか。

 日本政治のからくりが効力を持たない時が来ると私が思ったのは1985年である。米国議会の調査団が日本に来て若手政治家、政治学者、政治記者らと懇談した。私も参加したが、日本になぜ政権交代が起きないのかを説明することは非常に困難だった。彼らは首をひねるばかりで帰って行った。

 すると86年にフィリピンのマルコス政権が倒れ、88年に韓国の全斗煥政権が倒れた。両方とも親米反共政権だが、倒す側を米国が支援していた。米国は「親米反共」でも「独裁二十年」や「軍事政権」を認めないことが良く分かった。当時の自民党は30年以上単独政権を続けていた。これを米国から「独裁」と看做されないか、私は心配した。

 そして「三十年」前の1989年には、「リクルート事件」で竹下政権が倒れ、参議院選挙で社会党が大勝した。しかし社会党に政権担当能力はない。政権担当能力のある野党を作る「政治改革」が日本政治の最大の課題となった。

 難しいのは戦後日本人の意識に刷り込まれた与党と野党の関係だと思った。それまでの野党は政権を奪わないのが前提だから、何でもかんでもひたすら政府与党を攻撃する。それも激しければ激しいほど国民の喝さいを浴びる。

 その結果、個人や地方自治体がやるべきことまで霞が関の責任にして追及する。するとそのことで霞が関の権能が増え、逆に何でも霞が関にお伺いを立てなければならなくなる。国民には霞が関の役人を激しく攻め立てるのが野党というイメージがあり、攻めれば役人の権力を増大させる結果になることに気付かない。

 より深刻なのが「狡猾な外交術」を可能にするため刷り込まれた「9条神話」だ。軍事負担を軽減して経済に集中するために作られた「神話」だが、今では米国がその「神話」を逆手に取るようになった。9条を守らせれば、日本は米国の軍事力に頼るしかなくなり、軍事的にも経済的にも従属させることが出来る。

 米国には9条を変えて日本に軍隊を持たせようとする者はいない。軍隊の亜流のような自衛隊で結構だと思っている。日本が軍隊を持てば米国と対等の立場に立つことになるが、共同行動する場合はどちらが指揮権を持つか協議しなければならない。しかし軍隊の亜流の自衛隊が米軍を指揮することはありえない。だから自衛隊を米軍の指揮下に置いて世界中で活用できれば米国は満足だ。

 安倍総理が言う憲法改正は「自衛隊を明記する」のだから米国の意向通りである。それは「三十年」下り坂を下った日本と何も変わらず、ますます米国の言いなりにさせられる道である。その安倍総理に対し「9条守れ!」と言って反撃するのは、反撃にならないと私は思う。

 「狡猾な外交術」が効果を発揮した時代は「三十年」前に終わった。その時の頭をまっさらにして「混沌の世界」がどこに向かっているのか、その中で日本人が自立する道は何かを追求し、もう一度「次なる狡猾な外交術」を生み出す必要がある。

 今年の干支は子年で「ものみな始まる年」だという。つまり「新規まき直し=ニュー・ディール」である。敗戦後の日本は上り坂の44年と下り坂の「三十年」を経験した。「三十年」は天国から地獄に落ちるほどの激変がある時間の流れだということも学んだ。

 そこで今年はいよいよ頭をまっさらにして「ニュー・ディール」に挑む年だと思うのである。大晦日のゴーン逃亡劇に触発され、元旦を迎える中で私はこんなことを考えた。

ジャーナリスト

1969年TBS入社。ドキュメンタリー・ディレクターや放送記者としてロッキード事件、田中角栄、日米摩擦などを取材。90年 米国の政治専門テレビC-SPANの配給権を取得。日本に米議会情報を紹介しながら国会の映像公開を提案。98年CS放送で「国会TV」を開局。07年退職し現在はブログ執筆と政治塾を主宰■オンライン「田中塾」の次回日時:5月26日(日)午後3時から4時半まで。パソコンかスマホでご覧いただけます。世界と日本の政治の動きを講義し、皆様からの質問を受け付けます。参加ご希望の方は https://bit.ly/2WUhRgg までお申し込みください。

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「フーテン老人は定職を持たず、組織に縛られない自由人。しかし社会の裏表を取材した長い経験があります。世の中には支配する者とされる者とがおり、支配の手段は情報操作による世論誘導です。権力を取材すればするほどメディアは情報操作に操られ、メディアには日々洗脳情報が流れます。その嘘を見抜いてみんなでこの国を学び直す。そこから世直しが始まる。それがフーテン老人の願いで、これはその実録ドキュメントです」

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