Yahoo!ニュース

合意を先送りしたトランプと金正恩の政治的思惑

田中良紹ジャーナリスト

 ベトナムのハノイで開かれた2回目の米朝首脳会談は、非核化を求める米国と経済制裁解除を求める北朝鮮とが折り合わず、ホワイトハウスは「合意に至らなかった」と発表した。そのため会合後に予定されていた昼食会も共同宣言の署名式も中止された。

 米国と北朝鮮の双方がどこまで譲歩するかに注目し、盛んにシミュレーションを行ってきた各国のメディアは見事に肩透かしを食らったが、私はトランプ大統領が再三口にしてきた「非核化交渉は急がない」という言葉が現実になったことで、トランプの思惑が外れたとは考えない。

 おそらく影響したのは、米朝交渉と同じタイミングで米国議会が行ったマイケル・コーエン元顧問弁護士の証人喚問である。コーエンはトランプが不倫相手に口止め料を支払った小切手を証拠として提出するなど、トランプに不利な証言を行い、トランプを「人種差別主義者、詐欺師、ペテン師」と批判した。

 米国のテレビは米朝首脳会談よりコーエンの議会証言に時間を割いた。米国民にとってもそちらの方の関心が高かったと思う。そのタイミングでメディアが「譲歩」と受け止める交渉結果を出すことには政治的リスクがある。段階的に非核化を進めるしかないのが現実だが、それをやればメディアは一斉に「独裁者に譲歩」とトランプを批判する。

 従って交渉結果を発表するタイミングではないと判断されたと思う。金正恩委員長にとっては不満だったかもしれないが、しかしトランプの立場を守るためには仕方がないと判断したのだろう。従って交渉は決裂したのではない。タイミングを仕切り直しするしかなくなったということだ。

 トランプは、2020年の大統領選挙で再選されるため、北朝鮮の非核化を最大限に利用することを考えている。それに金正恩が協力する約束をしたことから、シンガポールでの歴史的な米朝首脳会談が実現した。トランプが「恋に落ちた」と言うのはそういう意味だ。それが私の見方である。

 従って大統領選挙に最も効果的なタイミングで非核化を実現させることをトランプは考えている。非核化を実現させ、朝鮮戦争を終わらせ、シリアからもアフガンからも米軍を撤退させれば、トランプは有力なノーベル平和賞候補になり、大統領再選の確率が高まる。

 しかしそれを実現するには、従来の米国の政策を変更する必要がある。クリントン大統領は最後の冷戦体制を終わらせるためいったんは朝鮮戦争終結を主導しようとした。しかしジョセフ・ナイやリチャード・アーミテージら「ジャパン・ハンドラーズ」と呼ばれる面々が、日本の軍事的貢献を増やすために中国と北朝鮮の脅威を残すべきだと進言した。

 ブッシュ(子)大統領は同時多発テロへの報復として「テロとの戦い」を宣言するが、その際に「イラク、イラン、北朝鮮」を「悪の枢軸」と呼んだ。そして大量破壊兵器を持たないイラクを先制攻撃してサダム・フセイン大統領を処刑した。それを見た北朝鮮は先制攻撃を防ぐため核兵器開発を本格化させるしかなくなった。

 米国では北朝鮮が民主主義とは相容れない独裁国家で「テロ支援国家」であることが強調され、米国には理解不能な危険な国としての印象が強い。しかしすぐ隣に韓国があることから武力攻撃すれば韓国に甚大な被害が及ぶ。従って北朝鮮の核開発を力で抑えることは不可能だ。

 クリントン、ブッシュ(子)時代の負の遺産を清算しようと登場したのがオバマだが、「世界の警察官をやめる」と宣言しながら、米軍撤退も北朝鮮対応も不完全なままに終わった。トランプはそれをオバマとは異なる手法で成し遂げようとしている。そこで真似をしているのがニクソン大統領がベトナム戦争を終わらせたやり方である。

 ベトナム戦争は米国経済に深刻な打撃を与えたが、ニクソンは共産中国と電撃的な和解に踏み切って世界のパワーバランスを変え、また同盟国に経済負担を押し付けて米国を泥沼から脱出させようとした。それを真似てトランプは米国に核の脅威を与える北朝鮮と電撃的に和解し、NATOや日本、韓国など同盟国に負担を負わせようとしている。

 北朝鮮の非核化を実現するのに障害なのは、クリントン、ブッシュ(子)時代に作りだされた北朝鮮に対する考え方である。米国は北朝鮮の経済的将来性をクリントン時代に既に分かっていた。しかしその時代は北朝鮮の軍事的脅威を宣伝することに力点が置かれた。

 次のブッシュ(子)時代は「ネオコン」に代表される力で世界を抑えようとする強硬派が主流で、それら強硬派は今でも共和党内に根強い。その強硬派の目を他に移さないと北朝鮮との和解は難しい。

 トランプは昔の「モンロー主義」を思い出させるようにアメリカ大陸での米国主導を発揮する。メキシコとの国境に「壁」を作り、カナダとメキシコを恫喝して北米自由貿易協定を米国有利に作り変え、さらにベネズエラのマドゥロ政権を武力で打倒する構えまで見せている。

 トランプと金正恩との蜜月関係は米国のリベラル派から「独裁者に屈服」と批判される。そのため独裁者と戦う姿勢を他で見せる必要がある。だからベネズエラの独裁政権を武力で打倒し、それを強硬派のボルトン補佐官に担当させて、北朝鮮対応から一歩引かせた。

 今回の米朝首脳会談を前に、ボルトンは日本と韓国の担当者を韓国の釜山に呼んで三者会合をやろうとした。事前に米国が北朝鮮に厳しい姿勢を見せつける会合になると思われた。ところがその会合は中止され、ボルトンがベネズエラ問題に対応にするためと発表された。

 私はボルトンが北朝鮮の非核化で前面に出てくることを好まないトランプが、ベネズエラを口実にやらせなかったのではないかと思った。ボルトンが出てくると、完全非核化が実現しない限り制裁は解除しない路線になる。

 しかし北朝鮮は段階的非核化を行い、制裁も段階的に解除することを求めている。北朝鮮と実務者協議を行ったビーガン特別代表は「同時並行」という言葉を使ったから、トランプの考えは「非核化と制裁解除の同時並行」である。ボルトンの強硬姿勢は遠ざけたい。

 しかし共和党内の強硬派に反発されても困るのでボルトンを補佐官にして強硬派を安心させている。政治というのはそういう綱渡りをするものだ。つまりトランプの敵は金正恩ではなく米国内の強硬派や独裁者を認めないリベラル派なのである。

 そして今トランプは「ロシア疑惑」で民主党の攻勢を浴び、まもなくモラー特別検察官の捜査結果が報告される時期を迎えている。そうした時に「独裁者に譲歩」と言われることは避けたかった。その事情を金正恩も了解したから、急きょ合意は先延ばしされた。従ってどの点で折り合えなかったのかを追求しても意味がない。

 双方とも譲歩案は持っていたがそれを表に出すタイミングではなかったということだ。私は以前から2月末から3月はトランプにとって正念場になると書いてきたが、米朝首脳会談とコーエン議会証言が同時に行われたことはそれを象徴的に物語る。

 今回は金正恩がトランプに貸しを作る形になった。次にトランプに貸しを作る立場になれるのは中国の習近平国家主席である。トランプの別荘で貿易摩擦を巡る米中首脳会談が行われる。それが終わると日本の自動車を巡って安倍政権がトランプを助けなければならない立場に置かれる。トランプは今日の記者会見でそれを匂わせた。まもなく安倍総理も正念場を迎えるということだ。

ジャーナリスト

1969年TBS入社。ドキュメンタリー・ディレクターや放送記者としてロッキード事件、田中角栄、日米摩擦などを取材。90年 米国の政治専門テレビC-SPANの配給権を取得。日本に米議会情報を紹介しながら国会の映像公開を提案。98年CS放送で「国会TV」を開局。07年退職し現在はブログ執筆と政治塾を主宰■オンライン「田中塾」の次回日時:5月26日(日)午後3時から4時半まで。パソコンかスマホでご覧いただけます。世界と日本の政治の動きを講義し、皆様からの質問を受け付けます。参加ご希望の方は https://bit.ly/2WUhRgg までお申し込みください。

「田中良紹のフーテン老人世直し録」

税込550円/月初月無料投稿頻度:月3、4回程度(不定期)

「フーテン老人は定職を持たず、組織に縛られない自由人。しかし社会の裏表を取材した長い経験があります。世の中には支配する者とされる者とがおり、支配の手段は情報操作による世論誘導です。権力を取材すればするほどメディアは情報操作に操られ、メディアには日々洗脳情報が流れます。その嘘を見抜いてみんなでこの国を学び直す。そこから世直しが始まる。それがフーテン老人の願いで、これはその実録ドキュメントです」

※すでに購入済みの方はログインしてください。

※ご購入や初月無料の適用には条件がございます。購入についての注意事項を必ずお読みいただき、同意の上ご購入ください。欧州経済領域(EEA)およびイギリスから購入や閲覧ができませんのでご注意ください。

田中良紹の最近の記事