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台湾の調理家電「電鍋」が日本で人気 コロナ禍で「ご飯どうしよう」と悩む人の助けに

田中美帆台湾ルポライター
スープ作家有賀さんの使う鍋。左から2台目が台湾メイドの電鍋(写真提供:有賀薫)

オンラインで使い方を知る

 買ったばかりの電器製品は、ドキドキ感がつきものだ。あのドキドキにある不安を飛び越え、新しい世界を切り開くかどうかは当の本人が味わうことだろう。けれども、時にはその不安に付き合ってくれる人いたほうがいいことだってある。

 「電鍋初心者に指導するの巻」

 台北の問屋街、迪化街でセレクトショップ「你好我好」のインスタライブの配信タイトルだ。その模様はYouTubeチャンネルにアーカイブ化されている(動画リンク)。

 オーナーの青木由香さんが電鍋を買ったばかりの友人兼仕事仲間に、オンラインで電鍋の使い方を直伝する、という企画だ。実際に電鍋と格闘するお相手は、青木さんの自著で撮影を担当してきたカメラマン、衛藤キヨコさん。衛藤さんは電鍋を買ったものの、電源さえ入れていなかったのを、青木さんに促されて使うことになった。

 動画では、青木さんの解説を受けながら、衛藤さんが事前に準備していた野菜を鍋に入れ、スープを作っていく様子が進んでいく。ベテランが新人に教えるがごとく、体験談にこぼれ話を交えながら、友達の家の台所で一緒に料理を作る。見ている側は、その台所に一緒にいるような気分になる。

 実はこの電鍋を早々に日本へと紹介してきたのも、青木由香さんその人である。

 「最初に紹介したのは、2006年に出した自著でした。それからも、ずっと『いいよ』と電鍋を推してきました」

 推しメンならぬ、推し家電。青木さんが2002年に台湾での暮らしをスタートさせた最初から、電鍋は身近な家電だった。2005年に台湾で刊行された青木さん初の著作『奇怪ねー 台湾』にはこんな記述がある。

 「めんどくさい大豆が、柔らかく煮えた。学校に行く前に仕込んだポトフが、お昼には食べられた。焦げる心配がない。蓋を開けなければ、圧がかかって火の通りが早い。ほっといて良い。スイッチ・ポンでハンドフリー」(2012年日本語版/大同電鍋より)

 その後も、ガイドブックやネット記事、時にはラジオやテレビ番組で、台湾の良品を紹介する機会があるたびに、電鍋の使い勝手のよさを伝え続けてきた。

 それから15年。今やたくさんの人たちが電鍋を知り、台湾に来てしか買えなかった電鍋は、2015年には日本で販売がスタート。この時にも青木さんは、日本版に付属するレシピを料理家の山田英季さんと一緒に制作した。ちなみに、8月末に配信された電鍋動画の第2弾では、その山田さんが手羽中のスンドゥブチゲを作っている。

 コロナ禍で台湾旅行ができない今、自宅で楽しむのは、いわば台湾発のライブコマースだ。ゆっくりだけれど、着実にまたそのよさが広がっている。

スープ作家有賀薫さん、電鍋を買う。

 スープ作家として活躍する有賀薫さんが、自身のTwitterで電鍋を買った、とツイートしたのは今年1月のこと。

 有賀さんのフォロワーは10万人を超える。投稿は瞬く間にシェアされ、8月末現在で2,076の「いいね」が押されている。それからしばらくの間、ツイートで電鍋を使って調理したスープを披露され、翌月、ご本人のnoteでは「2021年の気分にぴったりくる調理器具、大同電鍋」が公開された。(記事リンク

 これまで電鍋は、台湾リピーターやフリーク、もしくは台湾料理に詳しい料理家が使って紹介する調理家電だった。それは、「台湾が好き」「何度も旅行したことがある」「台湾料理が好き」といった、台湾とセットのアイテムに過ぎなかったし、何より台湾を紹介する文脈のなかで取り上げられるのが常だった。

 だからこそ、スープを語る有賀さんが電鍋を買って電鍋を語る——これは、初めて台湾の文脈を越えた「事件」であった。そのうえ「2021年の気分にぴったり」とはどういうことなのか。有賀さんにお話を伺った。

コロナ禍と家ごはんの関係

 まず「2021年の気分」について、有賀さんのnote記事には次のようにある。

 「この一年、家でごはんを作る人たちは本当に大変だったと思います。外食という選択肢がぐっと狭められ、リモートワークの人は昼食も用意しなければならなくなった。さらに、旅行や飲み会など娯楽も奪われた中で、食には楽しみとしての役割も求められました。一人暮らし、家族と一緒にかかわらず、苦労があったのではないでしょうか」

 確かに、コロナ禍になってからというもの、「3度3度、ご飯を準備するのがしんどい」という悲痛な叫びのような投稿がSNSに流れてくるのを目にする機会が増えた。SNSだけではない。日本にいる筆者の友人たちも、口々に同じ感想をこぼした。

 だが、こうした食事づくりに対する負担感は、昔からあったことだ。有賀さんは言う。

 「私は、1986年に男女雇用機会均等法ができて2年後に就職しました。それから3年で会社を辞めてフリーになり、仕事を続けながら子どもを育てました。当時はまだ、仕事しながら子育てをする人が多くなかったこともあって、家庭料理は主婦が作るのが基本でした。今、私より若い世代の方は、働いていて子どもを産んでも辞めなくなってきていますよね。そうなると、家事の負担は一気にどんと重くなるわけです」

 そうした負担感が可視化されるようになった理由を有賀さんは「やっぱりSNS」の存在だと指摘したうえで、こう続ける。

 「私自身、結局二十何年間とかずっと家で大変だな、大変だなと思いながらやってきました。Twitterを見ると同じようなことで悩んでいる人が大勢いるんだと、びっくりしましたし、また『ああ、全然変われていなかったんだな』と若干の責任さえ感じました。私たちの世代がもっと自分たちの不満や大変さを伝えて家事も改革していかなくてはいけなかったのに、漠然と家でごはんを作り続けてしまった。食のあり方を変えていくには、外からと内からと両方向から変わっていくことが必要だと思うんです」

 そのあり方を変える方向の一つとして、有賀さんが提案するのがスープだ。2016年の『365日のめざましスープ』を皮切りにこれまで10冊、簡単で栄養もあり、なおかつ自由に楽しめる料理の形を提案している。2018年に出した『帰り遅いけどこんなス-プなら作れそう 1、2人分からすぐ作れる毎日レシピ』は、料理レシピ本対象の料理部門に入賞した。

有賀さんが提案しているスープは、和洋中を問わない今の食卓に新しい風を吹き込む(写真提供:有賀薫)
有賀さんが提案しているスープは、和洋中を問わない今の食卓に新しい風を吹き込む(写真提供:有賀薫)

家ごはんの曲がり角に電鍋

 2014年に始まった料理本レシピ大賞は、1年ごとにトレンドがある。有賀さんが入賞した2018年、有元葉子著『レシピを見ないで作れるようになりましょう』、稲垣えみ子著『もうレシピ本はいらない 人生を救う最強の食卓』が入賞した。レシピの賞なのに、レシピそのものの存在価値を問いかけるような流れが生まれていた。

 「それまで作られてきた家庭料理の情報は、料理屋さんの料理をいかに家で作るか、みたいなレシピが中心でした。けれども今は、家のレシピはそれとは別のところにあるから、もう一度考え直そう、という時期にあると思います」

 それまでの家庭料理本の流れを大きく変えたのが、有賀さんがスープ作家としてデビューした2016年に土井善晴さんの出した『一汁一菜でよいという提案』だと有賀さんは言う。

 「土井さんの本がレシピ本業界に与えたインパクトってすごく強かったと思います。ちゃんと丁寧に和食を作りましょう、という流れから、いや、ご飯、味噌汁だけでええやないの、お味噌汁にソーセージ入れたっていいじゃないの、それが日本人の長年やってきた簡単だけれど十分な食べ方なんです、みたいなことをおっしゃった。これを聞いて、あっ!と思った方がたくさんいたと思うんです」

 時短、簡単のレシピ本は確かに増えたし、TwitterやYouTubeでもいかにして「楽をするか」に重きを置いたレシピがシェアされている。だが、本当に「楽をする」だけでいいのか——今、料理家のあいだで頭を悩ませているのが、この点だという。

 「2000年以降、簡単飯とかズボラ飯とか、そういうレシピはたくさん出てきました。レンジを多用し、使う食材も調味料も減って、とにかく手軽さを優先したものになっていった。でも、それだけでは、どんどん食が痩せ細ってしまう。簡単だけれど毎日食べるわけだから、ちゃんとホカホカ温かくて栄養があって、家族がそれを囲んで『おいしいね』と言えるようなものであるべきだと思うのです。『簡単』と『料理する価値』の両方を兼ね備えているものでないと駄目だと考えてきました」

 そこへ来て、コロナによる在宅時間の激増である。

 「誰もが毎日のご飯づくりが大変だという中で、ちょっと楽しくなるようなものがないかなと思っていました。便利というだけではなくて、作る楽しさとか面白さがあるようなものがあるといいなと考えていたときに、電鍋が目に入った。そこで『ああ、買ってみよう』と思ったんです」

 こうして有賀さんは、電鍋を買った。

青木さんのショップでは台所用品を扱っている。どれも電鍋同様、シンプルで実用性が高く、台湾ではロングセラーのものが選び抜かれている(写真提供:青木由香)
青木さんのショップでは台所用品を扱っている。どれも電鍋同様、シンプルで実用性が高く、台湾ではロングセラーのものが選び抜かれている(写真提供:青木由香)

電鍋が教えてくれたこと

 「最初に電鍋を知ったのは、だいぶ前です。友達に、台湾料理にすごく詳しい料理家さんがいたのです。2017年に台湾へ行った時にも店で見かけました。今回買うにあたって、どういうことができるのか、いろいろ調べてから買いました。だからボタン1つでOKだとちゃんと知っていたのですが、初めてあのスイッチをポンって押した時は、衝撃でした。頭ではわかっているのに、それでも『これで終わり?』と思いましたから」

 今も台湾家庭で愛用されている電鍋が開発されたのは、1960年のこと。もとは日本の東芝の技術協力によって炊飯器として産まれた。その後、日本の炊飯器は、炊飯のクオリティ向上に特化し、そのおいしさを追求していく過程で、さまざまな機能が追加され、ボタン操作が複雑になった。それに相対するようにして、台湾では「ボタンひとつ」が維持された。

 維持された理由は、台湾で台所に立つ人たちが機能として重視したのが、炊飯の技術ではなくむしろ蒸し器としての存在だったからだ。台湾では、中華まんや茹で野菜といった、お米以外の調理にも使う。要するに、ご飯ではなかったのだ。

 とはいえ、電鍋も万能ではない。筆者自身、電鍋での「ご飯」は物足りない。何度も試したものの、ふっくら加減やコメの弾力、水加減の難しさなどが相まって、電鍋では炊かなくなってしまった。そういえば、コロナ前、日本に一時帰国する筆者は台湾人の知人から「日本製の炊飯器を買ってきてほしい」と頼まれたことがある。空港でも、たびたび炊飯器の入ったケースを抱えた人を見かけた。台湾でも同じように感じる人がいる証だろう。

 一方で、電鍋が広げてくれたものがある。それは調理法の選択肢だ。日本にいた頃は、数ある調理法のうち、炒める、煮る、焼くというアプローチが中心だった。台湾で電鍋を知ってからは、そこに「蒸す」が加わった。肉、魚、卵、野菜、なんでもいい。しかもそれが、ボタンひとつでいい、放っておいていい、という存外の気楽さは、働きながら食事をつくる身としても感じる負担が少なくて済む。

 有賀さんは、何度も使ったあと、こんなふうに電鍋を定義している。

 「便利な鍋で効率的でもありながらも温かみがあり、私たちから作る楽しさを奪わない鍋なんです。工夫ができて発展性があり、感覚をたよりに作っていける。それは料理の基本であり、醍醐味です」

 ちなみに、電鍋でつくる料理として、青木さんは茹でとうもろこしを、有賀さんはスープはもちろんゆで卵がお気に入り、と教えてくれた。筆者宅の朝ごはんは、電鍋で作るゆで卵とおかゆが最近の定番だ。ボタンひとつはなんとも気楽なのがいい。

 日本語の「楽」の字には二つの意味がある。「らく」と読めば、手間がそれほどかからない、簡単、という意味になるけれども、「たの(しい)」と読めば、気持ちが明るく前向きになる。そのどちらも兼ね備えた電鍋は、今、コロナ禍で「ご飯どうしよう」と悩む人たちに、新しい食のあり方を示してくれている。

台湾ルポライター

1973年愛媛県生まれ。大学卒業後、出版社で編集者として勤務。2013年に退職して台湾に語学留学へ。1年で帰国する予定が、翌年うっかり台湾人と国際結婚。上阪徹のブックライター塾3期修了。2017年からYahoo!ニュースエキスパートオーサー。雑誌『& Premium』でコラム「台湾ブックナビ」を連載。2021年台湾師範大学台湾史研究所(修士課程)修了。

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