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発売から40年、色褪せない名盤『NIAGARA TRIANGLE Vol.2』をめぐる物語<後編>

田中久勝音楽&エンタメアナリスト
(C)THE NIAGARA ENTERPRISES INC.(以下同)

<前編>から続く。

「A面で恋をして」を大滝詠一名義ではなく『NIAGARA TRIANGLE』でリリースした理由

「A面で恋をして/さらばシベリア鉄道」(1981年10月21日発売)
「A面で恋をして/さらばシベリア鉄道」(1981年10月21日発売)

『~Vol.2』のヒットは、先述したようにこのアルバムのオープニングナンバーにもなっているシングル「A面で恋をして/さらばシベリア鉄道」(1981年10月)が、資生堂のCMソングとして起用され大きなヒットになったことも大きい。流れとしては当時『A LONG VACATION』が絶好調だった大滝名義で発売しても不思議ではなかったはずだ。

「それはそれまでの音楽業界の歴史を見て、ひとりで独占してしまうと永遠にそれを続けなければならなくなる、ワンパターンになってそこから抜け出せなくなるのを避けたかったのではないでしょうか。当時『ロンバケ』があれだけヒットしている中で、しかも注目の的だった資生堂のCMソングを大滝詠一が歌えば、どうやっても大ヒットになるのは分かっていた。だけど受けるのをやめようとしていました。でも『A面で恋をして』というキャッチコピーを制作会社から聞いたら曲が生まれてしまった。では、曲はできたけど誰が歌う?ってなった時に思いついたのが<ナイアガラ>というレーベル構想でした。それで目の前にポンと降りてきたのが杉さんと佐野さんで、それまでに2人のことを思いつく“流れ”もできあがっていたことも、今回のブックレットで知ることができます」。

1981年7月に行なわれたライヴイベント『ジャパニーズ・コンテンポラリー・ミュージック』のステージ上で、大滝は杉と佐野に『~VOL.2』を一緒にやろうと声をかけた。

「大滝さんは主催者にもソニーのスタッフにも誰にも言っていなくて、根回しも一切していませんでした。でも大滝さんは杉さんと佐野さんがその場でOKしなければ、この話はなかったことにしようと思っていたと言っていました。誰かに相談しますとか、持ち帰らせてくださいという答えが返ってきたら、企画自体をなしにしようと考えていたそうです。慎重派に見える大滝さん、実はそういうところでは勝負師なんです」。

杉と佐野をクローズアップするアルバムになるように選曲、曲順にこだわった大滝

杉真理、大滝詠一、佐野元春(1981年)
杉真理、大滝詠一、佐野元春(1981年)

当時杉も佐野もそれぞれ自身のアルバムの制作が進んでいた中で、『~Vol.2』の制作が始まった。源流は違えど“リヴァプール・イディオム”という共通項を持った3人が、4曲ずつ持ち寄ったセッションアルバムだが、大滝は杉と佐野がフォーカスされるような作品になることを念頭に、選曲や曲順にこだわった。当時33歳だった大滝は「A面で恋をして」のレコーディングでは、杉と佐野に囲まれ、本当に楽しそうだったと当時のレコード会社のスタッフが教えてくれた。

「大滝さんの一番の仕事は集まってきた曲をどう並べるか、曲順を考えることだった思います。杉さんがおっしゃっていましたけど、大滝さんも佐野さんも何をやっているのか伝わってこない状況の中で、本当にこれでいいのかという不安を抱えながらやっていたと。だから大滝さんからはそれぞれに細かいオーダーはなかったはずです。ただ、佐野さんの『マンハッタンブリッヂにたたずんで』だけは、本当は佐野さんのアルバム『SOMEDAY』(82年5月)に入る予定だったものを、大滝さんが絶対にこっちに入れるべきだと譲らなかったんです。それは『SOMEDAY』は既にシングルとして発売されていたけど(81年6月)、売上げ等を見て彼がブレイクするのはアルバムだという判断でした。でもアルバム『SOMEDAY』のB面2曲目から『マンハッタン~』を抜くと、骨組みががたがたになってしまうと、佐野さんもプロデューサーの伊藤銀次さんも思っていました。大滝さんは、まず『~Vol.2』にプレゼン的に『マンハッタン~』を収録して、そうするとより『SOMEDAY』を聴いてもらえるのでは?というプロデューサー的な視点でした。結果的にシングル『SOMEDAY』はそこからまたグッと伸び始め、アルバム『SOMEDAY』は名盤として聴き継がれています」。

「曲順は『A LONG VACATION』もそうですが、並べ方の方法論はビートルズを参考にしている部分が大きかったようで、大切なのは頭3曲とB面の2曲目という考え方もそうでした。でもアナログ盤からCDになってからは曲順は目鼻の付けどころがすごく難しくなったと大滝さんはいつも言っていました」。

大滝が杉と佐野に与えた影響

「A面で恋をして」を初披露した「ヘッドフォン・コンサート」(1981年12月3日渋谷公会堂 ) 。『~Vol.2 VOX』には、このコンサートの音源が収録されている。
「A面で恋をして」を初披露した「ヘッドフォン・コンサート」(1981年12月3日渋谷公会堂 ) 。『~Vol.2 VOX』には、このコンサートの音源が収録されている。

杉と佐野は対談の中で『~Vol.2』に参加したことが、その後のアーティスト人生に大きな影響を与えてくれたと語っている。

「一番大きな影響を受けたのは、どうプロデュースするかというその方法論だったと思います。そういうことを教えてくれる人って当時はいなかったと思います。大滝さんのプロダクツは音の作り方とか演奏メンバーとか、そういう部分が注目されていると思いますが、概念としてプロデューサーというのはこういうものだということを、植え付けられたのではないでしょうか。そこからその精神で色々な作品を作ったり、色々なアーティストのプロデュースをやって、それが次の世代、またその次の世代へと脈々と受け継がれていっていると思います。もちろんそういう資質を持っているお二人だったからこそ、一緒にやりたいと大滝さんも思ったのだと思います。大滝さん自身も先人たちのプロダクツを研究して、法則を発見して自分なりの理論を築き上げて実践してきました」。

『Vol.2』は当時、中山泰が手がけたジャケットデザインも含めて、パッケージにも大きな注目が集まった。

『NIAGARA TRIANGLE Vol.2 40th Anniversary Edition』(3月21日発売)
『NIAGARA TRIANGLE Vol.2 40th Anniversary Edition』(3月21日発売)

「『Vol.2』は当時の輸入盤と全く同じシールドジャケットで、帯がなくステッカーが貼られていました。それはタワーレコードを意識していたからです。アメリカからタワーレコードが進出してきて、みんな憧れました。そこに最初に並んだ邦楽が『A LONG VACATION』でした。タワーレコードに置かれるアイテムが、当時はファッショナブルなんだという意識があったと思います」。

オリジナルマスターテープを使用してマスタリングし、納得いく音に

『~ Vol.2 40th Anniversary Edition』は、1982年のオリジナルマスターテープを用いた2022年最新マスタリング音源を使用している。

「今回意識したのは、いかに歌詞が聴こえるかというところです。当時アナログ盤で聴いていたイメージは、本当に壮大なバックの音とボーカルが溶け合っている、という感じだったのが、CDになってから、なかなかそこの“味”を出せるマスタリングに到達できていませんでした。今回オリジナルテープを使用してマスタリングをやってみて、イメージ通りのものがであがりました。10年前はこういうバランスでの音の聴こえ方はできなかったと思うし、技術の進化はすごいです」。

「最初のマスターのミックスはアナログ盤を作るために想定して作ったものだから、実はマスターテープをそのままきれいにトランスファーしても、それは完成版ではなかったんです。もうひと過程、アナログ盤にカッティングするような作業をマスタリングで施してあげることで、最終的にみなさんに聴いてもらいたと想定していた音に仕上がるという、そこに気づいたところが大きいです。杉さんは30周年の時も、ボーカルがきちんと聴こえるようになって嬉しいとおっしゃってくれましたが、今回はさらに聴こえているはずです。大滝さんのボーカルもまろやかになって、バックの音との一体感もより感じていただけるはずです。当時、アナログ盤で聴いていたサウンドが再現できたと思いますから、このアルバムの今までのイメージが変わるのではないでしょうか」。

ソニーミュージック『NIAGARA TRIANGLE Vol.2 40th Anniversary Edition』オフィシャルサイト

音楽&エンタメアナリスト

オリコン入社後、音楽業界誌編集、雑誌『ORICON STYLE』(オリスタ)、WEBサイト『ORICON STYLE』編集長を歴任し、音楽&エンタテインメントシーンの最前線に立つこと20余年。音楽業界、エンタメ業界の豊富な人脈を駆使して情報収集し、アーティスト、タレントの魅力や、シーンのヒット分析記事も多数執筆。現在は音楽&エンタメエディター/ライターとして多方面で執筆中。

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