元BOΦWY・高橋まこと 素晴らしきかな、ドラム人生 新たな「楽しい場所」を求めて始動

新しいファンコミュニティを開設。「こんなご時世だし『楽しい場所』を作りたかった」

写真提供/THECOO
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元BOΦWYのドラマー・高橋まことが「新しいチャレンジ」として、ファンコミュニティアプリ『fanicon』で、「 LOCK ON ROCK 」を開設。BOΦWY時代のことはもちろん、現在までの55年間の音楽人生をファンに伝えていく。現在は様々な形で音楽活動をしている傍らで、東日本大震災を始め、自然災害に見舞われた人々への復興支援によるチャリティー活動を積極的に行っている。1954年生まれ。66歳になった日本を代表するドラマーの胸をよぎる音楽人生とは?本人にインタビューした。

まずは、今なぜファンとのコミュニケーションを積極的に取る「場所」を作ろうと思ったのだろうか、という質問からインタビューはスタートした。「特にタイミングのようなものは考えてなかったんだけど、今年66歳になって、60とか65とか、区切りのいいところで何もやってなかったなぁと思って。ロックミュージシャンだったら69歳の時に何かやるべきかなとも思うけど(笑)、ただここまで来たら、いつ何をやっても同じだろうと(笑)。周年でどうのこうのっていうのも面倒くさいし、だったらこんなご時世だし「楽しい場所」を作ろうよ、というのがきっかけです」。

昨年布袋寅泰のアルバム、ライヴで松井常松と3人での共演が実現。「30年以上振りだったけど、あの頃のまま」

今もBOΦWYファンは多い。そんなファンを喜ばせたのは布袋寅泰が昨年5月に発売した『GUITARHYTHM』シリーズの約10年ぶりの最新作『GUITARHYTHM VI』に収録されている「Thanks a Lot」のレコーディングに、 高橋 と松井常松(B)が参加したことだ。31年ぶりの共演にファンは狂喜乱舞。この時高橋は「ロンドンはBOΦWYでマーキークラブで演奏した以来だから、興奮で眠れませんでした。でもスタジオで3人顔を合わせたら、30年振りなのに、なんだか昨日からやってます、みたいな感覚でした。できた音もバッチリでした。改めて布袋、松井、まことの出す音でしたね。ロンドンに呼んでくれてありがとう!」と興奮した様子でコメントしていた。さらにこのアルバムの全国ツアーの最終公演、昨年12月28日の神戸ワールド記念ホール公演で、布袋、松井、高橋のセッションが実現。この時のことを聞くと――

「せっかく3人でレコーディングしたから、お客さんの前でライヴを一回くらいはやってみたいなと思っていたら、お声がかかって。ということはもしかしたら、BOΦWYの曲も何曲かやるのかなっていうのがあって。ただ布袋も曲を全然決めてなかったんだよね。俺はずっとチャリティーライヴとかでBOΦWYの曲を叩いてるから、なんでも大丈夫だったんだけど、まっちゃんがしばらく弾いていなかったから、曲のセレクトは布袋も苦労したんじゃないかな。実際ステージでやってみると、緊張は全然しなかったけど、昔もこんな感じだったなってすぐに思い出して、でもホールのセンターの出べそステージだから、周りに客がグワッと密集しているのは面白いなと思ったね。それとライヴの前日にリハをやって、3人でご飯を食べようってなって、しゃぶしゃぶを食べに行って、スタッフもいなかったから完全に昔の三人のまま(笑)。お肉が運ばれてきたら布袋が鍋奉行で仕切ってくれて(笑)、松井が灰汁取り奉行で、まっちゃんが『まこっちゃん何にもやらないね』って言うから、『いいんだよ、お前が灰汁取りやってくれて、布袋が肉を入れてくれるし、俺は食うだけ』とか言って、本当にあの頃のままだった(笑)」。

「俺のドラムは誰かがいくら分析しても、俺にしか叩けないという自負はある」

3月1日に放送された、人気音楽バラエティ番組『関ジャム 完全燃SHOW』(テレビ朝日系)の『すごいバンドはリズム隊がスゴかった!!リズム隊特集』では、プロが選んだ凄いリズム隊を紹介するという企画の中で、Ovallのベーシスト・Shingo Suzuki が、BOΦWYをピックアップし、「NO.NEWYORK」のライヴ映像と共に「氷室さんと布袋さんが注目されがちだが、リズム隊あっての二人。ドラムとベースをあそこまできっちりやり続けることがまずスゴイ」とコメントし、松井×高橋の鉄壁のリズム隊を絶賛。荒々しいビートサウンドと、親しみのあるメロディが新しいロックを作り上げ、ルックスも含め、そのバンドとしての佇まいの圧倒的なカッコよさを誇ったBOΦWYは81年に結成され、87年に解散と、わずか6年間という短い活動期間だった。しかし彼らの音楽は今も輝きを放ち続け、人々を熱狂させ続けている。そんなBOΦWYの屋台骨とでもいうべき、高橋の高速8ビートが印象的なその独特のドラムプレイは、今も多くのミュージシャンから研究され、支持されている。

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「たまたま俺と松井と氷室と布袋の4人でやってきたこと、という意識しかないから、そういう評価はあまり気にしたことがないね。俺たちの第一次のファンが親になって、その子供達がちょうど20代~30代だから、ガキの頃から BOΦWYを聴かされているから、今聴いているって人も結構多いんじゃないかな。BOΦWYをリスペクトして、カバーしたりする20代のバンドも出てきているから、面白いなあと。元々俺はドラムについてはテクニックに走った人間じゃないし、教則DVDも出ているけど(笑)、でも俺はこう叩いてるから参考にしてよっていう撮り方しかできないから。例えば譜面を書いてここの拍にちゃんとアクセントをつけるようにとか、そういうの全然ダメだから(笑)。理論的ではなく、自分で自分のプレイのことを細かく分析できないので、なんでそうやって叩くんですかって聞かれても困るんだよね(笑)。色々なドラマーが勝手に分析してくれていて(笑)、ネットでそういうのをたまに見かけて読んでみると、なるほどね、これってそうなんだって勝手に自分で感心している時はあります。ただいくらそうやって言われても、俺みたいに叩けないだろっていうのは自分の中にあるのね。やっぱり俺じゃないと叩けないものがたぶんあるんだろうなって」。

「情報過多の時代、想像力が大切だと思うし、求められる」

YouTubeやデジタル音楽配信サービスなどで、BOΦWYの音楽も気軽に聴けるようになり、今活躍しているアーティストやバンドのルーツとしてその音楽の存在に気付いたり、また、新しい音楽という捉え方で、若い世代にその音楽は聴き継がれている。

「今の若い人たちは、色々な音楽をたくさん観れて、聴けていいなって思う反面、俺らは情報が何もなかったからこそ想像して、必死に音を追いかけてやってきて、そんなしょぼい音楽環境で育ったやつのほうが、想像力はあるんじゃないかなって思う。弾き方を見て練習して弾けるじゃんってなると、それはそれで悪いとはいえないけど、想像しなくなっちゃうのがよくない気がする。でもこの前ロンドンに行ったときにホテルのパブで松井と飲んでて、松井は先に帰って、一人で飲んでたら外国人が寄ってきて色々聞かれて、仕事は何やっているんだって言うから、YouTubeでBOΦWYの映像見せて“It’s Me”って言ったら、盛り上がって(笑)。ああいう時は今時のツールは便利だね(笑)」。

高橋はBOWΦY解散後は、バンド・De-LAXに参加し、解散後はソロアルバム『楽しき人生』を発売。その後もさまざまなバンドに関わりながら精力的に活動し、2016年「東日本大震災がひとつのターニングポイントだったと思う。残された人生でもう一度バンドを組んでみたい」とJET SET BOYS(椎名慶治(Vo)、友森昭一(G)、tatsu(B))を結成した。その活動と共に、地元・福島のために「自分ができること。ミュージシャンとしてできること」に重点を置き、復興支援活動を続けている。2013年1月リリースした18年振りのソロシングル「ここから~FROM HERE~」では、故郷への想いや絆を歌っている。さらに、復興支援プロジェクト「CROSS OVER JAPAN」の発起人となり、継続的に支援活動に尽力している。

「東日本大震災の復興支援はまだまだ終わらない。故郷・福島はいまだに手付かず。だから発言、発信し続けることが大事」

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「自分からこういう音楽を作って、詞を書いて曲を作っていきたいというのではなくて、バンドをやりたかったの。バンドのドラマーが一番性に合っているというか、ガキの頃からそうだから。バンドを解散しちゃ作ってまた解散してというのを繰り返して、バンドのドラマーでいたいというのはずっとあって。JET SET BOYSも今はメンバーそれぞれの活動を優先している感じです。東日本大震災の復興支援は、一緒にやっている仲間の思いはずっと変わりません。ライブハウスをやっている人や、アマチュアのミュージシャンもそうだけど、俺と一緒に盛り上がってやってくれる人達は、いつでも熱い思いがあって、横の繋がりがさらに密になっていて。宮城と岩手は原発問題に晒されていないので、少しずつだけど復興していっているけど、福島はいまだに手付かずだからね。そこを覆い隠してオリンピックとか言っているのが、何が復興だっていう疑問があって。まだ故郷に帰れない人たちが日本全国に何万人と散らばっているし、俺の福島の実家の裏にも、復興住宅が建っていたけど、期限が決められていたから今はもうないし。住んでいた人達は、また別の街に引越していって、結局元には戻っていない。見えているところだけはきれいにしてあるけど、どこの街にも戻れない。福島は全然終わってないからって、チャリティの度にどこに行っても、言っています。政治家じゃないんだけど、言わないと周りも動かないし、忘れないようにしないといけないというのが一番大事なこと。何も感じなくてもいいけど、一度現地を見てみろっていうのを、ずっと言い続けていきたい。見てもらえれば言わなくてもわかるから。もちろん福島だけじゃない。自然災害の被害を受けた人は日本全国にいて、俺達も熊本でやる時は熊本地震のチャリティに回すとか、沖縄で活動する時は、首里城の火災があったから、基金を半分わけていこうとか、そういうことはやっています」。

「好きなことが言えて(笑)、ファンと繋がれる場所が『 LOCK ON ROCK 』」

3月14日に立ち上げたファンコミュニティ「LOCK ON ROCK 」では、ファンとのコミュニケーションの取り方が変わってきている昨今、近い距離感のコミュニティだからこそ話せることを話し、ファンが聞きたいことにも正直に答え、それによってファン同士でも盛り上がって「繋がれる場所」として期待しているという。

「SNSで発信していると、色々ネット上で言われたりすることもあるけど、それは別にいいんだけど、俺のことを好きなのか嫌いなのかわからない、直接会ったこともない人達に、自分が丁寧に『どうもありがとうございます』って頭を下げるのもどうかと思うし(笑)。ラジオやテレビで変なこと言えないけれど、こういうところだったら言える(笑)。そうなんだって思ってくれる人がいるなら、思ってもらえるだけでいいですね。俺はこう思うから、お前もそう思えとは決して思わないしね」。

「もう一枚くらいソロアルバムを作ってもいいかな」

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現在、ソロアルバムの準備をしているようで「もう一枚くらい音楽生活というか、人生の中でソロアルバムを作ってもいいかなと思って。『楽しき人生2(仮)』かな(笑)。もちろん歌詞と歌は自分でやらなければいけないと思っているけど、さっきも出たけど元々自分からモノを作り上げるタイプではなくて、人にケツを叩かれないと動かない性格なのでどうなることやら(笑)」。この新しい「場所」でのファンとのやりとりも、歌詞作りに大きな影響を与えるかもしれない。そして最後に、今やりたいことは?という質問をぶつけると「息子と二人バンドとかやってみたいと思うけど、たぶん息子がイエスって言ってくれないんだよね(笑)」と、嬉しそうな表情で教えてくれた。スーパードラマーの“楽しき人生”は、ファンと共にこれからもますます“熱き人生”になっていきそうだ。

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38年前の1982年3月21日、BOΦWYの記念すべき1stアルバム『MORAL』が発売された。その“記念日”である3月21日に、高橋は始動させた新プロジェクト「 LOCK ON ROCK 」の初回生配信(13時~)を行うことが決定している。「BOΦWYを含めた全ての音楽人生を熱く語る」というその内容に注目したい。

※「BOΦWY」の「Φ」は、ストローク符号付きが正式表記

高橋まこと「 LOCK IN ROCK 」