“異端”から、多くの人から愛されるポップデュオへ――トワ・エ・モワ、50年の輝き

写真提供/ソニー・ミュージックダイレクト

デビュー50周年。レーベルの枠を越えた初のオールタイムベストBOX『FOLK&POP』発売

『FOLK&POP』(12月13日発売)
『FOLK&POP』(12月13日発売)

「或る日突然」(1969年)「空よ」(70年)「誰もいない海」(70年)「地球は回るよ」(71年)「虹と雪のバラード」(72年)など、長く歌われ、聴き継がれている歌を数多く歌ってきた白鳥英美子、芥川澄夫のデュオ、トワ・エ・モワが昨年、デビュー50周年を迎えた。それを記念して、初のオールタイムベストBOX『FOLK & POP』が12月13日に発売された。1969年のデビューから1973年までの第1活動期の音源と、1997年の再結成以降の第2期活動音源、シングル23曲を含む全133曲を、CD6枚組にまとめたBOXだ。50年のその軌跡を、レーベルの枠を越え、秘蔵音源や廃盤となっていた作品も多数収録されている、まさに節目にふさわしい内容だ。この作品について、そして二人にとってのトワ・エ・モワという存在について改めて聞かせてもらった。

――まずは50年という時間と、今回改めてこの作品集と向き合ってみての思いを教えて下さい。

『FOLK&POP』(\10,000+税)  CD6枚組・全シングル23曲を含む133曲収録
『FOLK&POP』(\10,000+税) CD6枚組・全シングル23曲を含む133曲収録

白鳥 2019年に50周年のコンサートをやって、その最中に今回のこういう話が持ち上がって、すごく嬉しかったです。私たちは50年もやってきたこと、それだけでも喜びなんですが、それをまとめてくれるアルバムを、しかも6枚組なんてすごいことを考えてくださったこと自体が驚きというか、本当に嬉しかったです。

芥川 この世界もそうですし、スポーツの世界もそうですけど、辞めるときは静かに去っていく人がほとんどで。でも時々、プロ野球を引退する選手が、最後にみんなに胴上げされているシーンを見ていると、そういうことをしてもらえる選手って幸せなんだろうなって客観的に見ていました。歌の世界もスポーツの世界も、若い時はそれぞれカッコよくて、華があって、でも年を取るとその世界に関わることもなかなか難しいです。僕はトワ・エ・モワを解散してからレコード会社に入って、24年間作る側にいて、それこそトワ・エ・モワのベスト盤とかも作りました(笑)。そういうことができるいい人生になったなって思います。

「いつも周りに助けられてここまでくることができた」(白鳥)

――白鳥さんは解散後、ソロでずっと歌い続けてきて、再結成して、ソロも並行して行っていて、“続けること”の大変さを、どう思われていますか。

白鳥 いつも周りが気にしてくれているというか、そのおかげでここまでやってくることができたといっても過言ではありません。本当にすごく恵まれていて、私はただ歌う場所があればいいわっていうノリなんですけど(笑)、周りに恵まれている人生です。芥川さんとまたこうやって活動できるのもそうです。せっかくいいサラリーマン人生を送っていたはずなのに(笑)、それでも最終的には、レコード会社のディレクターの仕事をやめてでも歌いたいという気持ちになってくれて、感謝しています。

芥川 25年くらい前、打ち込みが流行ってきて、制作が面白くなくなってきたんです。打ち込みのレコ―ディングには、プロデューサーはいなくてもよくて。生の楽器を作って音楽を構築する面白さがなくりました。チェックをしているだけだと、自分が作ってる実感が何もないんですよ。そんな時に再結成の話をもらって、どうなるかわからないけど、思いきってみたらちょっと面白い世界があるかもしれないという思いはありました。

「とにかく忙しすぎて、レコーディングしたのを忘れている曲もある」(芥川)

――何事も「タイミング」があって、それを掴んで実際に動けるかということが大切ということですよね。

白鳥 そんなこんなで50年、色々あったけどよく続いたよねっていうのが2人の率直な感想なんです。

芥川 最初の4年で、気持ちよく別れられた=解散っていうのが、大きかったです。とにかく忙しすぎました。

――疲弊してしまった?

白鳥 そうです。あまりに忙しすぎて、若いから怖いもの知らずで、『やりたくない』って言っていました。解散した時は23歳で、こんな状況では歌えない、歌っているのに歌っていない感じでした。

――歌うことが大好きな白鳥さんが、楽しくなくなったんですか?

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白鳥 そう。次はこの曲とか、ヒットするためにはこうだとか、そういう戦略ばかりが聞こえてきて、私たちが歌いたい曲があったのに却下されて、アルバムも年に2枚くらい出していました。

芥川 今回のアルバムを作るにあたって、全曲聴き直していたら、覚えてない曲があって(笑)。自分がレコーディングしたことを全く覚えていないというのは問題ですよね。覚えていたら、もっと続いていたと思いますよ。

白鳥 オリジナル曲をやりつつ、その時ヒットしている曲をカバーしよう、トワ・エ・モワの声で録音してみようというのが多くて、今日覚えて明日レコーディングという状況がよくありました。そんな、ただレコーディングしているだけの曲もたくさんあるので、覚えていない曲も出てくると思います。そんなことが重なって『私たちこんなのでいいのかしらね』という話を、2年目くらいからしていました。

「当時、2人共売れたいと思っていなかったから、周りに対して迎合しなかった。売れなくていいと思っている“強さ”があった」(芥川)

――早い時期から、違和感を抱えながらやっていたんですね。あんなに美しいハーモニーの裏には、そういうことが起こっていたんですね。

白鳥 ただ私たちはそれぞれのポリシーみたいなのがあって、やるからには下手くそなグループと思われたくないし、クオリティのハードルを高いところに設定して、努力していました。その中で先ほど出たような葛藤がありました。

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芥川 ただ2人とも、心底売れたいと思っていなかったし、売れないんじゃないかと思っていたから、周りに対して迎合しないんです。売れなくてもいいって思っている強さってあるんですよ。僕自身がディレクターになって思ったのは、ディレクターがやりやすいアーティストは売れないんです。これは僕の中の鉄則。難しい人ほど売れる。難しい人というのは、何か理不尽なことがあると『そんなことするんだったら歌わないよ』、みたいな気概が根っこにあるんです。当時、衣装もプロダクションが用意したものではなく、『別にテレビだって普通でいいじゃん』って、私服を着て出たら、結果的に視聴者の目線と同じになってウケて。これも当時としては珍しかったと思います。

白鳥 それも若いからできたのだと思います(笑)。長くやっていると、キチンと歌を聴いてもらうためには、キチッと服を着て歌うのがプロなんだというプロ意識が芽生えてきました。

――それぞれがソロシンガーを目指していましたが、二人の声が出会った時、それまでの歌謡曲やフォークとは違う新しい音楽が生まれました。

芥川 最初にレコーディングしたのは「恋人のなぎさ」という「或る日突然」のB面になった曲で、それを聴いた時に自分たちが想像しなかった世界があると思いました。

白鳥 すごくよくてびっくりしました(笑)。こんなによく歌えてるんだって。

――ハーモニーはもちろんですが、ユニゾンが美しく、強いです。

白鳥 「或る日突然」はユニゾンですよね。

芥川 当時は、国内にはデュエットのお手本的な存在のアーティストがいませんでした。みんなすぐにどうハモろうかって考えがちなんですが、でもユニゾンをきれいに歌うと、ちょっとハモっただけですごくきれいに聴こえるんです。

――確かにユニゾンが強くていいと、ハーモニーが耳にスッと入ってきますよね、ふくよかになって。

芥川 基本的にハーモニーは今もレコーディング現場で自分達でアレンジして、合わせています。

4年間の活動で解散。「つまらないグループになって解散するのは嫌だから、いいねっていわれているうちに解散した方がかっこいいと思った」(芥川)

――わずか4年間の活動で解散して、それぞれの道を進み、1997年に再結成して50周年を迎えて、振り返ってみると、離れていた時期というのも必要だったのかなと思いますか?

芥川 必要だっと思います。あのままやっていたら、たぶんつまらない歌を歌ってる、どんよりとしたデュオになっていたと思いますよ。

白鳥 そうですね。2年目から悶々としていて、3年目の時にやめようという決意に近いものがあった時に、たぶんこのままだとつまらないコーラスグループになりそうだよねという話を、ずっとしていました。それだったらつまらないグループになって解散するのは嫌だから、いいねっていわれているうちに解散した方がかっこいいと思っていました。

――解散後、1997年に『思い出のメロディー』(NHK)に久々にトワ・エ・モワとして出演しましたが、やはり大緊張でした?

芥川 生涯で一番の緊張(笑)。

白鳥 横を見ると、マイクを持つ手が嘘でしょっていうくらいブルブル震えていて。

芥川 僕は「虹と雪のバラード」(1972年札幌オリンピックテーマ曲)を恨みました(笑)。シングルであの曲だけが歌い出しが僕で、それもあって緊張しました。もう一生分の緊張をあの時感じたと思います(笑)。でもそんな状態でも声が出たからよかったです。もしあの時声が出なくて、失敗していたら、再結成はしていなかったと思います。でも歌い終わったら他の出演者の方から『芥川君あんなに高い声、よく出るね』とか言われて、すごい気分がよくなりました(笑)。

――それが再結成に繋がったんですね。

白鳥 パンドラの蓋を開けて、閉じないで、開けたままになっていた(笑)。

芥川 歌い終わって、家に帰って一人で多摩川の土手を歩いたんですよ。すごい一日だったなあとか思って。その時、“今日の”僕の全ての仕事が終わったんだと思えたんです。二十数年間レコード会社のディレクターをやっていて、その仕事はエンドレスなので、一日が終わったという感覚って感じたことがなかった。でも歌の仕事って、今日歌った歌、声はもう1回やりたいといっても存在しないわけで、僕はこんな仕事をしていたんだ、この気持ちは何なんだろうと思いました。すごく体が気持ちよかった。

白鳥 それを実感したので、すごく歌いたくなっちゃった(笑)。

芥川 すぐ調子乗るから(笑)。で、しばらくはレコード会社に勤務しながら、トワ・エ・モワとしての活動も少しずつやっていましたが、やっぱりお客さんの前で歌ってそれがウケると、中途半端はいけないと思って、会社を辞めて歌に専念しました。これからの人生、歌で行けるところまで行こうと決意しました。

「『歌う』ことへの姿勢が、ソロ活動を経験して変わった」(白鳥)

「僕達の歌ではなく、みんなの歌になっている。より心を込めて歌わなければいけない」(芥川)

――改めて「歌う」ということは、お二人にとってどういうことなんでしょうか?「使命」という感じがあるのでしょうか?

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白鳥 最初はただ好きで歌っているだけだから、それができないならやめた方がいいという思いが強かったのですが、解散してソロでやっていくうちに、お客様から伝わってくる感動のようなものが、自分に返ってくるのをすごく感じて。それまではあまりそういう感覚はなく、こちらから一方的に歌うばかりというか。それで、楽しんでくれているんだろうなって勝手に思っていて。だけど静かに聴いてくれているのに、皆さんの感情の波動を感じることができて、それにこちらが感動してまた歌えるというか、波と波が寄せ合っている感じに感動しました。そういう感じは、最初の頃にはあまり感じられなくて、ソロになってから感じられるようになって。だから歌い方も一方的ではなくて、本当に思いを届けたいという強い気持ちを乗せることができるようになりました。それこそ24年ぶりくらいに芥川さんと一緒に歌うことになった時に、芥川さんが緊張して震えているのを見たり、自分も前とは違う気持ちだし、再結成した時のお互いの寄り合い方が、前の時と違うなって、すごく感じました。芥川さんの歌に対する思いが変わってきているのも感じたし、お互い成長したなって。だから前とは違う「歌」をきちんと届けることができると思いました。

芥川 20年以上人前で歌っていなくても、久々に歌ってみると、もうその歌は、自分たちだけの歌ではなく、みんなの歌になっているんです。そう思えると、ただ歌って帰るわけにはいかなというか、みんなが歌ってくれている歌を、今日、本人達が歌うのだから、聴き手の心にきちんと感動を届けなければいけないと、強く思うようになりました。これが以前とは全く違います。大きいですね、これは。

「キーは下げないようにしようねって約束して、リスタートしました」(白鳥)

――歌は、歌い手のその日、その時の感情が乗って、伝わりますよね。

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白鳥 さっきの使命感という言葉ではないですが、割と責任を感じながら歌っています。再結成して歌っているのに、がっかりされたくないという気持ちがあったので、キーは下げないようにしようねって約束をして、リスタートしました。

芥川 それはもう絶対です。最近、自分たちってすごいなって思うのが、50年前にレコーディングした時のフレーズが全く変わっていないんです。一緒に歌うからフレーズを変えると合わなくなるからです。

――お話を伺っていて思ったのですが、白鳥さんは歌声だけではなくて、しゃべっている時の声も、すごく柔らかくて、優しくて、そこは歌声と変わらないんですね。とても耳心地がいいというか。

白鳥 よく話しをしながら、相手に眠られてしまうことがあります(笑)。

芥川 僕は若い頃からこの声を聴いて大きくなったので(笑)、僕の中では白鳥さんのような木管系の声の人と一緒にいると楽なんです。

2月11日 (火)『50th Anniversary トワ・エ・モワライブ~時は変るとも~』/名古屋BLUE NOTE

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