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「おかあさんといっしょ」7代目うたのお兄さん・坂田おさむは名作曲家「全てはビートルズが教えてくれた」

田中久勝音楽&エンタメアナリスト
写真提供/ポニーキャニオン

「おかあさんといっしょ」放送60周年記念、60曲入りベストと、最新ベスト盤が同発

『NHK「おかあさんといっしょ」スペシャル60セレクション』(3枚組)
『NHK「おかあさんといっしょ」スペシャル60セレクション』(3枚組)
『最新ベスト ミライクルクル』(10月16日発売)
『最新ベスト ミライクルクル』(10月16日発売)

国民的番組「おかあさんといっしょ」番組開始60周年を記念した,、アニバーサリーCD『NHK「おかあさんといっしょ」スペシャル60セレクション』と、年に一度のベストアルバム、『最新ベスト ミライクルクル』(18曲)が、10月16日に2枚同時発売された。『~スペシャル~』は、番組で歌い継がれてきた月の歌を中心に、誰もが知っている人気曲が60曲収録されている。歴代12人のうたのお兄さん、お姉さんの歌を聴くことができるが、中でも第7代うたのお兄さんの坂田おさむは、作詞・作曲家としても、このCDにも収録されている数多くの楽曲を提供しているという、稀有な存在だ。今回そんな坂田にインタビューし、いきなりのうたのお兄さんへの転身で感じた事、そして作詞・作曲家として、子どもたちに愛される楽曲をどのように作っていったのかまで、聞かせてもらった。

フォーク~ロック~うたのお兄さんへ転身

――坂田さんは元々ロックバンドとしてレコードデビューして、その後ソロデビューし、活動していましたが、そこからなぜうたのお兄さんになったのか、教えてください。

坂田 ソロ2作目の歌詞を書いてくださった、遠藤幸三さんという作詞家の方が、「おかあさんといっしょ」の中で歌われている体操の歌「ぞうさんのあくび」という曲を作られた方で、遠藤さんに「おさむさんも番組に曲を使ってもらえるといいよね」とおっしゃっていただいて、それでNHKの担当者を紹介してもらい「はるのかぜ」「うばぐるま」という曲が採用されました。同時にうたのお兄さんのオーディションも勧められて受けたところ、まさかの合格でした(笑)。当時2歳の娘が毎日番組を観ていましたので、僕も時々観ていましたが、まさか自分がお兄さんになるとは想像もしていませんでした。

「お兄さんになってすぐの頃は、知り合いのミュージシャンを見かけると、隠れていました」

――「おさむお兄さん」として、生活がまさに一変、ですよね?

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坂田 それまでのロック系の仲間は、たぶん僕の転身を「はあ?」って思っていたんじゃないかと勝手に思っていました。だからお兄さんになってすぐの頃は、NHKの西口で子どもたちと一緒にいる時に、知り合いのミュージシャンを見かけると、隠れていました(笑)。なんていうか、自分が負けちゃったっていうと変なんですが、その時はどこかにまだそんな気持ちが残っていたのかもしれません。でも今思うと、あれはよくなかったと思います。もっと胸を張って、『今、僕はうたのお兄さんなんだ』と言うべきでした。今なら言えます(笑)。

「子供のひと言が、歌のお兄さんとして自信を持たせてくれた」

――それまでロック、フォークを歌い続けていて、いきなり違うフィールド、環境で活動を始めて、そういう気持ちになるのも不思議ではないですよね

坂田 まだあの時は、新人お兄さんで、まだ本当にこんなことでいいのかという、自問自答をしている時期だったと思います。自分に自信がないし、まだ子どもたちになついてもらえなくて、どんどん気持ちが滅入っていく感じでした。子どもたちに怪我をさせてはいけないし、全国放送なので、毎日ものすごいプレッシャーを感じていて。そんな僕を見かねて、森みゆきお姉さんが「子どもたちと楽しく、軽く遊ぶという気持ちでいれば大丈夫」という言葉をかけてくれて、そこから気持ちを切り替えることができました。それから半年くらい経った時、スタジオに遊びに来てくれた一人の女の子が、僕のところに駆け寄ってきて「お兄さんの事好きだから」って言ってくれて。自分にもファンが!って嬉しくなって(笑)、結構捨てたもんじゃないのかなって思って、自信にもなりました。

――8年間続けられました。

坂田 今66歳ですけど、自分の人生の中のあの8年間というのは、今思えば一番輝いていた、重要な8年間だったと思います。

「曲を作る時は、子供向けであれ大人向けであれ、どんな曲にも社会的な事、時代の感覚を考えなければいけない」

――お兄さんを卒業した後は、子どもたちから親まで幅広い層から愛される、番組内で歌われる数々の名曲を提供されていますが、曲に関しては、お兄さん時代と作家としてでは、向き合い方が違いますか?

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坂田 子どもと一緒に番組を観ていた時も、お兄さんとして歌っている時も、今でも思うのは、曲を作った人たちは、一体どれだけ思いを込めたんだろうって感動するほどの、力、エネルギーが伝わってきました。出演者の一人と考えた時は、自分と子どもたちの世界だけを考えていれば十分なんです。今日来てくれた子どもたちと楽しく遊ぶこととか、今日与えられた歌を楽しく歌えるように、間違えないようにとか、それで大丈夫だと思います。でも製作サイドの人間は、それをもっと社会的に見るというと大げさかもしれませんが、「おかあさんといっしょ」という番組を、歴史的にもっと俯瞰して見なければいけないので、社会的な事、時代の感覚というのも、考えなければいけないと思います。曲を作る立場の人間もそうです。日ごろから色々なところにアンテナを張って、この内容は今の時代に則するのか、別に迎合するわけではないですが、例えばその時の音楽の流行や、流行っているリズムがあって、そのまま使ったりはしないけど、それを踏まえて違う方向からアプローチしてみようとか、そういう事を考えながら作っています。それから子どもたちのことを考えると、キーの制限もあるし、意味のないシャープとかフラットとかは使わないとか、そういうことを考えて作りました。

多くの人に愛される坂田メロディの源泉はビートルズにあり!?

――そのわかりやすさも、坂田さんの作品が聴き継がれ、歌い継がれている理由かもしれませんね。坂田さんが一番影響を受けているアーティストは?

坂田 やっぱりビートルズですよ。我々の世代は大体そうじゃないですか?だって教科書に載っているくらいですから。

――坂田さんの曲も教科書に載っています。

坂田 確かに(笑)。今のロック、ポピュラー音楽のほとんどの楽曲の根幹になっているのは、ビートルズがやったことだと思います。だからあれ以上のものはこれからも出ないと思う。

――坂田さんが書く、キャッチーで優しさや切なさを感じさせてくれる曲は、ビートルズの影響が大きいと。

坂田 全ての歌に、ビートルズが教えてくれたことが入っていると思います。子どもの頃は父親が聴いていた歌謡曲を聴いて育ちましたが、小学5年生の時にビートルズを聴いて、もう今までの音楽は何?と思うくらい衝撃を受け、その時の事は今も忘れられないです。

「『ぼくらのロコモーション』曲は、僕が番組を卒業して、作家としての自覚を持って作った初めての曲」

――「どんな色がすき」「公園にいきましょう」「にじのむこうに」「ありがとうの花」等、坂田さんの曲がこのベスト盤にも多く収録されていますが、中でもお気に入りの曲を教えて下さい。

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坂田 「ありがとうの花」に関しては、音楽と道徳の教科書に選んでいただいたということもあって、自分としては、何という晴れがましい世界に行ってしまったんだろうと、この歌に関わって下さった、たくさんの人たちに感謝するばかりです。この仕事をやっていてよかったなと思わせてくれた曲です。「ぼくらのロコモーション」という曲は、僕が番組を卒業して初めて曲を提供した曲で、けんたろうお兄さんとあゆみお姉さんが歌ってくれました。二人が歌って、番組としてヒットしてくれればいいなって、作家としての自覚を持って作った初めての曲という意味では、忘れられない一曲です。この曲は、子どもの頃聴いたリトル・エヴァの「ロコ・モーション」のような曲を、いつか作りたいと思い続けていて、インスパイアされたものがその後影響を受けた音楽の要素と、昇華されて出てきたものです。

「とにかく色々な人に歌を届けること、それが僕の使命かもしれない」

――現在もおさむお兄さんとして、親子三世代が楽しめるコンサートや、病院や施設などでも積極的にコンサートを行い、多くの人に歌を通じて勇気と元気を与えてくれています

坂田 大げさかもしれませんが、これが僕の使命かもしれないと思っています。うたのお兄さんだけではなく、シンガー・ソングライターとして大人向けのライヴも行っていますので、是非遊びに来て欲しいです。

ポニーキャニオン「おかあさんといっしょ」オフィシャルサイト

坂田おさむ オフィシャルサイト

音楽&エンタメアナリスト

オリコン入社後、音楽業界誌編集、雑誌『ORICON STYLE』(オリスタ)、WEBサイト『ORICON STYLE』編集長を歴任し、音楽&エンタテインメントシーンの最前線に立つこと20余年。音楽業界、エンタメ業界の豊富な人脈を駆使して情報収集し、アーティスト、タレントの魅力や、シーンのヒット分析記事も多数執筆。現在は音楽&エンタメエディター/ライターとして多方面で執筆中。

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