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鈴木聖美 ケ・セラ・セラとソウルを歌い続け30年「ヒールが履けなくなるその日までステージに立つ」 

田中久勝音楽&エンタメアナリスト
9/10東京国際フォーラム

ますます冴え渡る、優しさと強さ、繊細さを湛えた迫力ある声

9月10日、東京国際フォーラムホールAでは、今年で12回目を迎えたソウルミュージックを愛し、奏でるアーティストが集結する“フェス”『Soul Power Summit 2017』の2日目が行われていた。鈴木雅之、ゴスペラーズ、Skoop On Somebody、CHEMISTRY、佐藤善雄、

鈴木聖美、野宮真貴、Dance☆Manが、次々と登場し、豪華バンドをバックにコラボなども披露してくれた。

鈴木聖美&鈴木雅之
鈴木聖美&鈴木雅之

しかしこの人が登場し、ひと声発した瞬間、会場の空気が変わるのが伝わってきた――鈴木聖美だ。1曲目はどこか物哀しい、おなじみのギターのフレーズが印象的な名曲「TAXI」。筆者は2階の最前列で観ていたが、優しさと強さ、そして繊細さを湛えたその歌声に、こちらに襲い掛かってくるような迫力を感じた。しかも瑞々しさは失われておらず、キャリア30年を迎えた今が、一番いい状態ではないかと思ったほどだ。デュエットの名曲「ロンリー・チャップリン」は、弟でもあり、このライヴの“主宰者”でもある“KING OF LOVESONG”鈴木雅之に加え、黒沢薫(ゴスペラーズ)が参加し、3人で披露。客席はみんな口ずさんでいる。ラストは記念すべきデビューシングル「シンデレラ・リバティ」を鈴木と佐藤善雄共に歌った。その圧巻の歌声に感動が広がっていく。

そんな鈴木聖美の歌声に酔いしれてから、数週間後の9月のある日、彼女に話を聞くことができた。今年デビュー30周年を迎えた鈴木は、9月27日に、鈴木雅之プロデュース・監修の2枚組ベストアルバム『GOLDEN☆BEST鈴木聖美~WOMAN SOUL~』(以下『WOMAN SOUL』)をリリースし、その歌声に今また注目が集まっている。

34歳でデビュー。「いつ辞めてもいいと思っていたら30年経っていた」

鈴木聖美は1987年、34歳の時にデビューした。しかしデビュー前から弟・雅之たちのグループ・シャネルズのステージに度々飛び入りで登場し、ファンの間では“お姉ちゃん”として有名だった。「1980年代前半。伝説のライヴハウス“新宿ルイード“のシャネルズ/ラッツ&スターのステージに「お姉ちゃんコーナー」として何度も飛び入りしたのがアマチュア時代の鈴木聖美でした!!当時コアなファンからは大絶賛されました」と、鈴木雅之がコメントしているように、誰もが認める歌のうまさ、当時は少なかったソウルフルな歌い手として注目を集めていたのにもかかわらず、デビューしたのはそれからずいぶん後になってからだった。

それは家庭の事情が影響していた。「デビューよりも結婚を選んで、でも離婚して、生活するためにデビューしました。それが幸運な事にうまくいって。ただただ子供達のために歌っていました。でも一方で、子供達に淋しい思いはさせたくないいといつも思っていて、いつ辞めてもいいと考えていたら、30年経っていました(笑)。だからこのベストアルバムを聴くと当時の事を全部思い出します」(聖美)。

1987年4月、作詞三浦百恵、作曲アン・ルイスという豪華作家陣が手がけたシングル「シンデレラ・リバティ」でメジャーデビューを果たすと、そのソウルフルで圧倒的な歌声と表現力に、多くの人が驚いた。“ディーヴァ”の誕生である。1stアルバム『WOMAN』は60万枚のヒットになった。その後も「ロンリー・チャップリン」やアマチュア時代から歌っていた「TAXI」などを次々とヒットさせ、J-R&Bシンガーの先駆けとして、多くの人を感動させた。

苦い思い出のデュエット曲とは?

『GOLDEN☆BEST鈴木聖美~WOMAN SOUL~』(9/27発売)
『GOLDEN☆BEST鈴木聖美~WOMAN SOUL~』(9/27発売)

ベストアルバム『WOMAN SOUL』は「Solo Side」と「Duet Side」の2枚組で、「Duet~」にはこれまで鈴木が共演してきたシャネルズ、鈴木雅之、ピーボ・ブライソン、マイケル・マクドナルド、デヴィッド・シー、柳ジョージ、上田正樹、黒沢薫、杉真理、木村充輝、大沢誉志幸、郷ひろみという、錚々たる顔ぶれとのデュエット曲が収録されている。ソロはもちろん、デュエットでも、鈴木の豊かな表現力をより味わう事ができる。「デヴィッド・シーはものすごく歌がうまくて、もちろんわかっていましたが、改めて彼がブースに入って歌うのを聴いて、あまりにうますぎて、私歌うのが嫌になっちゃって。あの時はデビューして15年で、30年経った今また一緒に歌いたいってすごく思う。だから「GOODBYE MY LOVE」をあまり聴きたくなくて(笑)。この曲は雅之が好きだから今回入れましたけど、私はやり直したいって思っていて。まだ青いですよ、私(笑)」(聖美)。30年経ってもなお、30年経ったからこそ、改めて歌と真摯に向き合えるその姿勢が、歌い続けるエネルギーになっている。

デビュー曲「シンデレラ・リバティ」の幻のライヴ音源を初収録

デビュー曲「シンデレラ・リバティ」のライヴ音源が初めて収録されているのも、このアルバムのトピックスのひとつだ。1987年9月渋谷公会堂で行われたライヴで、エネルギッシュで伸びやかな歌声が印象的だ。「私この音源が存在しているのを知らなかったんです。このアルバムを作る時に、雅之が「実は録っていて、それを持ってる」って言ってきて、ビックリして。私も初めて聴きました(笑)。34歳、一生懸命歌っていますね(笑)」(聖美)。

「ケ・セラ・セラの精神で生きてきた。これからもそうありたい」

もう30年、まだ30年、人によって捉え方は様々だが、本人は至って自然体だ。「私は音楽をどうしてもやりたくてプロになったタイプではないので、お客さんがお金を払ってライヴを観に来てくれるから一生懸命歌っているけど、でももうこの歳になると、ただただ楽しければいいかなと思います。結構やりたい事も実現したし、この歌手生活にすごく満足しています。そういう気持ちだから、例えば30周年だから自分で「こういう風にやりたい」って言うのが嫌なんです。全然何も考えていなくて。雅之はしっかりと目標を立てて、確実に石橋を叩きながら、自分で見つめて前に進むタイプですが、私はケ・セラ・セラじゃないけど、なるようになるさ、というタイプ」(聖美)。

とことん欲がない。「結婚して子供が生まれて、孫ができて、そういう事が一番幸せだと思うし、それ以上の事は別にいいかなって。昔から変なところに欲がないんです」(聖美)。しかし歌に対しての欲、厳しさは変わっていないようだ。「このアルバムを聴いても、楽曲ごとに、もっとこうやって歌えば良かったというところがある。この時はあのフレーズが歌えなかったんだよねとか今でも覚えています。物覚えが悪いくせにそういうことはしっかり覚えているの。このフレーズのときに、変なブレスしちゃったなとか、他のことはみんな忘れちゃうのに、歌に関しては全部覚えています(笑)」(聖美)。

「歌い続ける。でもヒールが履けなくなったらライヴを辞める。ぺったんこの靴では歌えない」

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もちろんこれからも歌い続けていく。しかし「会場の大小は関係なく、これからも声の調子がいい時、哀しい事がない時、みんなに求められる時に歌えればそれでいい。ライヴは健康のバロメーターにもなっていて、でも腰に持病があるので、本当はヒールを履いちゃいけないんだけど、もしヒールを履けなくなったらライヴは辞めたい。確かティナ・ターナーも「ヒールが履けなくなったら私歌えないわ」って言っていて、私もそう。ぺったんこの靴では歌は歌えない」と思っている。健康面とプライドが許す限り、ステージに立ち続ける。

「鈴木聖美しか出すことが出来ないブルーズ&ソウルを、思う存分響かせて欲しい」(鈴木雅之)

『WOMAN SOUL』のプロデユーサー・監修でもある鈴木雅之はこの作品について、そして姉・聖美に対して「鈴木聖美のソウルは色褪せるどころか、今が一番旬でディープです。それはこの「ゴールデン☆ベスト ~WOMAN SOUL~」を聴けば一目瞭然。30年分の聖美ソウルが詰まってます。日本にソウルディーヴァと呼べる人達は何人いるでしょうか?鈴木聖美はワン&オンリー唯一無二なヴォーカリスト。一番間近で歌ってきた私が言うんですから間違いありません。あらためて30周年おめでとう!!これからも鈴木聖美しか出すことの出来ないブルーズ&ソウルを思う存分響かせてください。そのシャウトをみんなが待ってます。音楽の神様に選ばれたソウルディーヴァへ!!」とメッセージを贈っている。

この作品を聴いて、これからの鈴木聖美の歌、声がさらに楽しみになった。ケ・セラ・セラの精神で、歌い続けて欲しい。

OTONANO『GOLDEN☆BEST鈴木聖美~WOMAN SOUL~』特設ページ

音楽&エンタメアナリスト

オリコン入社後、音楽業界誌編集、雑誌『ORICON STYLE』(オリスタ)、WEBサイト『ORICON STYLE』編集長を歴任し、音楽&エンタテインメントシーンの最前線に立つこと20余年。音楽業界、エンタメ業界の豊富な人脈を駆使して情報収集し、アーティスト、タレントの魅力や、シーンのヒット分析記事も多数執筆。現在は音楽&エンタメエディター/ライターとして多方面で執筆中。

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