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害獣の駆除にもアニマルウェルフェア

田中淳夫森林ジャーナリスト
野生動物は、駆除対象であってもノビノビ暮らしてほしい……(ペイレスイメージズ/アフロ)

 奈良県上北山村にある大台ヶ原は、吉野熊野国立公園の特別保護区に指定されている。しかし、シカの激増で苔むす原生林が荒らされ草原化が進んでしまった。

 そこで環境省は、シカの頭数管理を始めて、防護柵の設置と駆除を推進している。私も、その現場を覗かせていただいたのだが……。

 私がこの事業の意義とは別の点で驚いたのは、首くくり罠を使っていたことだ。通常、くくり罠といえば足にかけるものだが、バケツ状の容器によって首にかかるようにしている。しかも、締まりすぎないようにストッパー付きだった。

「足にかかると、暴れて足が折れたり骨まで見えるほど傷を負うんです。それを防ぐために首罠に変えてみたところです。まだ試行錯誤中ですが」と、担当者は説明してくれる。

 ちなみに捕獲したシカは、薬で安楽死させる。環境省内の基準には「苦痛を与えない」で処理することと条件が付けられているそうだ。

シカを苦しめないよう工夫された首罠
シカを苦しめないよう工夫された首罠

 これは……アニマルウェルフェアの考え方か。

 私が興味を持ったのはここだった。

 今、アニマルウェルフェアの概念が、全世界を席巻している。

 この言葉は西洋で生まれたもので、「動物福祉」とか「家畜福祉」と和訳されるが、(社)畜産技術協会の検討会では「快適性に配慮した家畜の飼養管理」と定義されている。

 そして対象動物の「飢えと渇きからの自由」「不快からの自由」「痛み・傷害・病気からの自由」「恐怖や抑圧からの自由」「正常な行動を表現する自由」の5つを掲げている。

 単なる動物愛護ではなく、人間が動物を利用することや殺すことを否定しないものの、動物の感じる苦痛の回避・除去などに極力配慮しようとする考えなのだ。やむを得ず動物を殺さなければならない場合は、可能な限り苦痛のない手法を用いることが求められる。

 今課題となっているのは、東京オリンピック・パラリンピックである。会場で選手などへ提供する料理に供する畜産物の基準には、アニマルウェルフェアが入っているのだ。肉や卵、牛乳などの提供は、どのような飼育をしているかが問われる。たとえば鶏卵一つとっても、ケージ飼育でないものでなけれはならない。しかし、今の日本でそんな卵の大量調達が可能だろうか?

 日本の現状は、ロンドン大会やリオ大会はもちろん、十数年前の北京大会の基準よりも低いとされる。このままだと、自慢の和牛肉を提供するどころか、卵から牛乳まで、認証を取った輸入品で賄わなければならなくなるだろう。

 しかし驚くのは、対象となるのが家畜だけではないことだ。愛玩動物~ペットや動物園や水族館などの展示動物はわかるが、研究施設などの実験動物、そして野生動物も含まれるのだ。

 私もこの動きに興味を持っていたが、それが野生動物、それも駆除対象にまで広がっているとは正直知らなかった。大台ヶ原のシカは、まさに野生動物であり、その駆除にもアニマルウェルフェアの精神が求められる。どうせ殺すんじゃないか、と日本人は思いがちだが、それでは済まない世界の潮流がある。

 その中で環境省が、野生動物の管理にも配慮を進めているのは朗報だろう。少なくても世界の動きを把握して取り入れているのだから。今回も罠にはカメラを設置して野生動物の動向を記録し、その内容に合わせて罠の仕組みを変えるなど、きめ細やかな対応をしていた。

 手間はかかるだろうが、少しでも人と動物の関係が穏やかなものになってほしい。

森林ジャーナリスト

日本唯一にして日本一の森林ジャーナリスト。自然の象徴の「森林」から人間社会を眺めたら新たな視点を得られるのではないか、という思いで活動中。森林、林業、そして山村をメインフィールドにしつつ、農業・水産業など一次産業、自然科学(主に生物系)研究の現場を扱う。自然と人間の交わるところに真の社会が見えてくる。著書に『鹿と日本人 野生との共生1000年の知恵』(築地書館)『絶望の林業』『虚構の森』(新泉社)『獣害列島』(イースト新書)など。Yahoo!ブックストアに『ゴルフ場に自然はあるか? つくられた「里山」の真実』。最新刊は明治の社会を揺り動かした林業界の巨人土倉庄三郎を描いた『山林王』(新泉社)。

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