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名張毒ぶどう酒事件とゴルフ場建設反対運動

田中淳夫森林ジャーナリスト
ゴルフ場には常に農薬批判がつきまとうが……。(写真は記事と関係ありません)(写真:アフロ)

10月4日、名張毒ぶどう酒事件の「犯人」とされた奥西優が、43年にわたって確定死刑囚のまま収監され続けていたが、執行されることなく89歳で死亡した。

この事件では、集落の宴会で女性用に出されたぶどう酒に、農薬が混入されて5人が亡くなっている。だが奥西死刑囚には、常に冤罪の疑いが語られ、また再審請求も繰り返され続ける特異な経緯をたどる。

彼の死によって事件を振り返る報道が多くされたので、ここでは深く語らない。ただ以前、現役裁判官にこの事件を振った際に、概要も知らなかったのに驚いたことがある。それほど歴史の彼方になっていたのか、と思った次第だ。

ここでは事件から私が連想した、まったく別の話をしたい。

まず知っていただきたいのは、この事件の舞台は「三重県名張市」となっているが、一部は奈良県山添村にかかっていることだ。事件の起きた集落は、二つの県にまたがっていた。そして山添村と言えば、別の事象で有名になったことがあるのだ。

毒ぶどう酒事件では5人の死者のほかにも12人の女性がぶどう酒を飲んで急性中毒を起こしている。その中には妊婦もいた。

幸い彼女はお腹の子供とともに無事助かった。しかし、この事件が元で彼女の家族は農薬の毒性の恐ろしさを知る。そのため農家であったが、農薬に対する強烈な拒否反応を持つようになった。彼女の夫・浜田耕作さんはその後有機無農薬栽培に切り替え、米作と養鶏を組み合わせた農業に取り組んだ。また生まれた子供たちが健康に育つように玄米菜食を実行した。

この家族の生活が一辺するのは、成長して大学生になった長男が村内にあるグリーンハイランドカントリー倶楽部にアルバイトをするようになってからだ。彼は、そこで大量の農薬を目にした。それは芝生の病害虫対策として散布されていた。

これを聞いた浜田さんは、猛然とゴルフ場反対運動に取り組み始める。毒ぶどう酒事件に端を発した農薬への恐れがゴルフ場へとむけられたのだ。

それまで村内には3つのゴルフ場があり、もう一つ建設中だった。とくに反対運動はなかった。むしろ雇用の場などを提供してくれる「緑の企業」として歓迎されていたそうだ。

だが、さらに2つのゴルフ場建設計画が進んでいた。その一つは、浜田さんの地所と隣接していたという。しかもゴルフ場の位置するのは、村の水源地に当たる。そのため大量の農薬散布と水源地の破壊を理由にゴルフ場反対運動を起こしたのだ。

それは全国でくすぶっていたゴルフ場建設反対の機運に火をつけた。呼応するゴルフ場計画地に関わる人々や運動家、そして研究者たちが山添村に集まった。農薬というキーワードは、漠然と抱かれていたゴルフ場に対する反感に火をつけた。山添村に続け、が合い言葉となった。かくして山添村は、ゴルフ場反対運動のメッカとなったのだ。

その後、山添村には建設中だった一つのゴルフ場ができて4つになったが、計画されていた2つは建設が止まり、事実上の中止となった。

私自身は、一つの村に6つもゴルフ場があるのはあまりにも多すぎるから、反対運動が起きたのも仕方ないと思っている。また当時のゴルフ場が農薬を大量散布していたのも事実だろう。

ただ、農業も農薬を大量に使っていた時代である。農家がゴルフ場建設の反対理由に農薬を持ち出すのはどうも納得が行かなかった。しかし、毒ぶどう酒事件が農薬に対する強烈な忌避感を生み出していたとしたら……。

ゴルフ場=農薬まみれというイメージが定着した裏に、こんな事情があったことは頭の片隅に置いておいてほしい。

ちなみに現在のゴルフ場の農薬使用量は、当時の10分の1以下まで減ったといわれる。いまや農地より少ないと言われるほどだ。場内を調査すると、絶滅危惧種の動植物がたくさん見つかり、里山の自然の隠れ家になっているという指摘もある。一方でゴルフ人口は減り続け、余剰ゴルフ場は全国に500を越えるといい、リストラが課題になっている。

……なんとも不思議な因果である。

森林ジャーナリスト

日本唯一にして日本一の森林ジャーナリスト。自然の象徴の「森林」から人間社会を眺めたら新たな視点を得られるのではないか、という思いで活動中。森林、林業、そして山村をメインフィールドにしつつ、農業・水産業など一次産業、自然科学(主に生物系)研究の現場を扱う。自然と人間の交わるところに真の社会が見えてくる。著書に『鹿と日本人 野生との共生1000年の知恵』(築地書館)『絶望の林業』『虚構の森』(新泉社)『獣害列島』(イースト新書)など。Yahoo!ブックストアに『ゴルフ場に自然はあるか? つくられた「里山」の真実』。最新刊は明治の社会を揺り動かした林業界の巨人土倉庄三郎を描いた『山林王』(新泉社)。

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