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木造建築は、本当に「木」を使うべきか?

田中淳夫森林ジャーナリスト
チューリッヒの木造ビルの部材。この曲線は木材ならではだろう。

スイスのチューリッヒに木造7階建てのビルが誕生したそうだ。そして、それを設計したのは日本人の坂茂氏。

チューリヒの都心に流れるシール川のほとりに建つ木造の7階建てビル「タメディア新本社」である。木造でこれほどのオフィスビルは世界でも初めて。日本の建築家、坂茂氏の作品だ。

スポンサーが木造の建築を要求したわけではなく、「スタッフにとっての快適な空間、持続性、低建設費」という3つの条件に適合したのが木造だったという。世界でも、これほどの規模の木造ビルは珍しいだそうだ。ただ木造とはいえガラスも多用して、鉄骨も使った現代的でお洒落な雰囲気を醸しだしている空間を持つ社屋である。

実は私は、このビルの建設を知っていた。というのも、昨年訪ねたスイスの街角で見かけたからだ。しかも、建材の加工現場を訪問しているのである。

それは、エルレンホフという木材系の異業種コンプレックスの現場を訪ねた時のことだ。一つの敷地内に、原木が山積みしてあり、製材所に設計、プレカット、さらにバーク肥料や木質ペレットの工場が合わさり、熱電併給も行っている。

その一角で加工していた不思議な形の建材を「日本の坂茂の建築用の部材だ」と説明を受けた。曲線が多く、奇妙な鳥居のような形の部材である。どのような加工機械を使ったのだろうか。鉄骨などでは難しいのではないだろうか。

ただ私は、この木造ビルそのものよりも、坂氏が受けたインタビューで語った言葉に興味を持った。

「木を使った他の建築家の建物は、ほとんどの場合が鉄骨の方がいいようなものを、ただ木に置き換えているだけ」

そうなのだ。私も、木造を売り物にしている建築物の多くで、そう感じていた。無理に木を使おうと気をつかって建てた印象が強い。

木材には、鉄骨より軽いし、断熱・防音などに効果的な面もある。だから木造で建ててよかったと言っても差し支えはない。ただ、あえて木材というマテリアルを採用した理由は、もっと木を使ってくれという川上側の要望に応えた結果のように思う。木づかい運動の一環なのである。

しかし、本当にその部材が木でなくてはいけない、という点が不明確なケースが多いように思えてしまう。単にビルや住宅の柱や梁など構造材部分を、鉄骨ではなく木材に換えただけなのだ。だから肝心の木材の柱や梁の上にクロスなどを張って覆ってしまう。木の部分が見えない木造建築なのである。鉄骨の代わりに木材を使うことの良さが見えない。

木造でも建てられる、というのは、言い換えると鉄骨でもコンクリートでも可能であり、実はその方が性能的にはよかったりする。断熱や防音効果も、鉄骨の周りを別の素材で包めば得られる。

坂氏の設計した木造ビルは、「木造でなければ」という設計をしたそうだ。ここで彼が追求する「木造らしさ」とは何かを想像するのは難しいが、デザイン的には曲線が多くなるだろうし、視覚や触覚などで木材ならでは質感を醸しだすことではないだろうか。

おそらく木造にすることは、コスト的にはそんなに安くならないだろう。それでも木造を選んでもらうためには、木材の優れた点を本当に活かすことが大切である。少なくても木肌が目に入ること、あるいは触れられることは重要ではないだろうか。

単に「木材でも建てられる」ではなく、「木材だから、こんな風になった」と言えるような建築がどんどん登場することを期待している。

森林ジャーナリスト

日本唯一にして日本一の森林ジャーナリスト。自然の象徴の「森林」から人間社会を眺めたら新たな視点を得られるのではないか、という思いで活動中。森林、林業、そして山村をメインフィールドにしつつ、農業・水産業など一次産業、自然科学(主に生物系)研究の現場を扱う。自然と人間の交わるところに真の社会が見えてくる。著書に『鹿と日本人 野生との共生1000年の知恵』(築地書館)『絶望の林業』『虚構の森』(新泉社)『獣害列島』(イースト新書)など。Yahoo!ブックストアに『ゴルフ場に自然はあるか? つくられた「里山」の真実』。最新刊は明治の社会を揺り動かした林業界の巨人土倉庄三郎を描いた『山林王』(新泉社)。

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