結婚式で「佐藤家・田中家」と「家」で呼ぶのはなぜか~「氏」の制度の変遷

結婚式で「佐藤家・田中家」と「家」で呼ぶのは「氏」の制度の変遷に原因があります。(写真:アフロ)

今朝、「本日、住民票等に「旧姓」が併記できる新制度スタート!~女性の社会進出の後押しに期待」という記事を投稿したところ、大変大勢の方に関心を持って頂けました。そこで、姓(氏)について、違った角度、歴史的観点からアプローチをしてみたいと思います。

江戸時代~苗字は許可制

一般に、農民・町民の苗字帯刀は領主の許可制とされており、苗字を名乗ることは許されていませんでした。落語でよく聞く「八っさん」「熊さん」のイメージです。

明治時代~国民すべてが苗字を名乗る

苗字公称の自由~平民も苗字を名乗ることが許される

明治3(1870)年9月19日、「これからは平民も苗字(そもそも、苗字とは、公家・武家の階級に属することを表す家の名とされていた)を名乗ってよい」という平民苗字公証許可令(太政官布告608号)が公布されました。この公布を建議した司法大輔・細川潤次郎は、「天賦固有の権利を同等に持ち居ながら、人為の階級に拠りて、平民ばかりには名前のみを呼ばせて、苗字をいはせぬ」というのは圧制であり、また窮屈だとして、「人の姓名は、自他の区別を立てて、乱れないようにするものなのだから、姓を名の上に加えて、一層区別を容易になるようにすべきである」と述べました。

苗字公称の自由は、それまでの苗字が持っていた身分特権性、権力付与性、公称許可制を否定したものであり、苗字の実質的変化を意味しました。つまり、苗字公称は、四民平等、社会の近代化の象徴だったのです。

徴兵制度の基盤となる

明治5(1872)年8月24日、華族より平民に至るまで、苗字を名乗った以上、変えてはならないという苗字不可変更令(太政官布告235号)が公布されました。それでもなお苗字を名乗らない平民がいたので、明治8(1875)年1月14日、陸軍省は太政官に対して、「地方の平民には苗字のない者がいて、徴兵名簿を作るのに支障を来している。苗字のない者がいないようにしてほしい」と伺いを立てました。

陸軍省の要請を受けて、太政官は、明治8年(1875)年2月13日、「これからは苗字を必ず名乗ること」という平民苗字必唱令(太政官布告22号)を公布しました。これにより、先祖以来の苗字がわからない者は新たに苗字を付けることを命じられました。こうして国民すべてが苗字を名乗ることになりました。

「氏」が「家」の呼称となる~明治民法の成立

その後、明治民法を制定する過程で、「苗字」が「氏」に統一され、明治31(1898)年明治民法(旧民法)が成立し、氏は家の呼称となりました(明治民法746条)。この明治民法によって夫婦は、家を同じくすることにより、同じ氏を称することとされました(夫婦同氏制)。

なお、明治民法は「家」の制度を導入し、夫婦の氏について直接規定を置くのではなく、夫婦ともに「家」の氏を称することを通じて同氏になるという考え方を採用しています。現在も、結婚式で「佐藤家」「田中家」といった表札を立てたり、披露宴のあいさつで「佐藤家、田中家、両家の皆さま、誠におめでとうございます」と「家」を単位に考えることは、明治民法で確立した「家制度」の名残と考えられます。

明治民法746条

戸主及ヒ家族は家の氏ヲ称ス

家制度から個人の呼称へ~改正民法の成立

昭和22(1947)年に改正民法が成立しました。改正民法により、夫婦は、婚姻の際に定めるところに従い、夫又は妻の氏を称することとされました(夫婦同氏制)。

改正民法は、明治民法以来の夫婦同氏制の原則を維持しつつ、男女平等の理念に沿って、夫婦は、その合意により、夫又は妻のいずれかの氏を称することができるとしたのです(民法750条)。

夫婦の氏

民法750条  夫婦は、婚姻の際に定めるところに従い、夫又は妻の氏を称する。

現行民法は、家制度を廃止しました。このことで、氏は個人の同一性を示す個人の呼称になりました。

以上、「氏」の歴史的変遷を見てみると、氏の呼称が「家」から「個人」に変わったことがわかります。また、「個人」に変わったことにより、氏が単なる呼称から、個人のアイデンティティに結び付くことも当然理解できます。

この「氏」と「アイデンティティ」の関りが、選択的夫婦別姓制度の議論の一因となっていると考えられます。その成果として、今朝ご紹介した住民基本台帳法の改正による、住民票等に「旧姓」が併記できる新制度があるともいえるでしょう。

参考・引用:『家族法 第5版』(新世社・二宮周平著)、法務省ホームページ「我が国における氏の制度の変遷