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有機農業に取り組む若手農家が「オーガニックビレッジ宣言」の町から引かざるを得なくなったわけ

関口威人ジャーナリスト
愛知県南知多町で有機農業に取り組んできた犬飼亮さん=2023年3月、筆者撮影

 食の安全や食料自給率の向上が求められる中、化学肥料や農薬を使わず、環境負荷をできるだけ低減する「有機農業」が国の施策として推進されている。しかし、愛知県南知多町の若手有機農家は、有機農業を推進するはずの「オーガニックビレッジ宣言」をした町から手を引かざるを得なくなったという。町や関係者との間に何があったのか。その経緯をたどった。

トラック1台での野菜販売からスタート

 犬飼亮さん(42)は名古屋市の出身で、もともとは上場企業のサラリーマンだった。

 社内で経理担当をしていた2009年、地元の祭りに出店するため知り合いの農家から有機栽培のキュウリを仕入れたところ、その味のおいしさに感動。「産直の八百屋になる」と決意して翌年、「yaotomi」の屋号を掲げて軽トラック1台で有機にこだわった野菜販売を始めた。

 「漢字で書くと八百(やお)の富。たくさんの豊かさを届けたいという思いで名付けました」

 そのロゴの入った作業着を羽織り、犬飼さんは愛知県の知多半島を中心とした産地と名古屋など消費者のいる都市部を走り回る。

 有機農業に関する国の規格「有機JAS」制度が2001年からスタートして10年前後のタイミング。飲食店向け卸売りや個人向け宅配、インターネット通販などの事業を必死に展開し、2015年からは自らパプリカなどの野菜生産にも乗り出した。

 さらに2017年には自社栽培のナタネ油を使ったナチュラルコスメを商品化。最近では廃食用油のバイオ燃料化も進めるなど、農を起点にしたベンチャー企業として知られるようになった。

南知多町は知多半島の先端に位置し、日間賀島と篠島を含む人口1万6000人余りの町だ(筆者作成)
南知多町は知多半島の先端に位置し、日間賀島と篠島を含む人口1万6000人余りの町だ(筆者作成)

「奇跡の農地」で思い描いた構想

 知多半島の先端に位置する南知多町には、犬飼さんが野菜を仕入れる生産者がいた縁で2017年から約1.5ヘクタール(1.5万平方メートル)の農地を借り、「yaotomi農園」として耕作をし始めた。

 2020年には地元の農事組合法人が無農薬野菜を生産していた「オーガニックファーム知多」を事業承継。約18.5ヘクタールの有機JAS認証農場で、有機農業を進めるには理想的な土地を得ることができた。

 「有機農業ではどうしても虫が発生するなどして周りの農家や民家に影響を与えたり、逆に周りから農薬の影響を受けたりしてしまいます。オーガニックファーム知多の大深(おおぶか)という地区の農地は小高い丘の上で、周囲に民家がほとんどない。今の時代としては奇跡的にまとまって団地化されていた有機農場だったんです」と犬飼さんは説明する。

 犬飼さんはこの土地を活用して有機農業の「学校」のような拠点を作れば、新規就農者や移住者も増えて地域活性化につながると考えた。そうした構想を町に提案したところ歓迎され、本格的な検討がスタート。2022年5月には配食サービス会社を交えた三者で有機農業普及に向けた連携協定が締結され、さらに今年3月27日、町は農林水産省が「みどりの食料システム戦略」の一環で取り組みを支援する「オーガニックビレッジ」となることを県内で初めて宣言した。

 宣言と合わせて策定された町の有機農業実施計画には、5年後に累積2ヘクタール以上の農地を有機JAS認証農地に転換することや、その農地で耕作する新規就農者を5人以上に増やすなどの数値目標とともに「有機農業スクール」を設置する目標も盛り込まれた。

 表向きは町と犬飼さんが一体となって取り組むように見えた動き。しかし、実際にはこのとき既に「奇跡の農地」を巡って大きな混乱が生じていた。

大深地区で犬飼さんが借りていた農地には有機栽培の菜の花がびっしりと植えられていた。右は一緒にコスメ商品事業などに取り組む妻の孝子さん=3月28日、筆者撮影
大深地区で犬飼さんが借りていた農地には有機栽培の菜の花がびっしりと植えられていた。右は一緒にコスメ商品事業などに取り組む妻の孝子さん=3月28日、筆者撮影

寝耳に水だった農地売買の動き

 一般に農地の売買や貸し借りをするには、農地法3条に基づき農業委員会の許可を得るか、農業経営基盤強化促進法に基づき「利用権」を設定する方法がある。

 犬飼さんは農事組合法人から引き継いだ大深地区の農地について複数の地主と利用権を設定し、3年間や5年間の期限が来るたびに更新していた。

 しかし昨年11月下旬、まだ更新まで1カ月余りある農地について思わぬ話を聞かされた。別件で町役場の農政係に電話したとき、途中で農業委員会の事務局を兼ねる職員が電話を代わり、「(大深の農地の一部について)売買の話が進んでいるけれど、利用権は更新しなくていいでしょうか?」と伝えてきたのだ。

 その農地は、犬飼さんが「ビレッジ」構想を前提に有機栽培の菜の花を植えていた畑。犬飼さんにとっては寝耳に水の話だった。ところが職員によれば、売買の話は農事組合法人の時代からあったのだという。さらに調べてみると、その売買は同じ知多半島でも距離的に離れた半田市の不動産業者が仲介し、同市で肉牛を生産する牧場の経営者が買う意向だと分かった。

「有機JAS認証農場」を掲げた看板が立つオーガニックファーム知多の農地。奥に犬飼さんたちが手掛けた菜の花が植わっていたが、利用権がなくなったため撤去することになった=4月19日、筆者撮影
「有機JAS認証農場」を掲げた看板が立つオーガニックファーム知多の農地。奥に犬飼さんたちが手掛けた菜の花が植わっていたが、利用権がなくなったため撤去することになった=4月19日、筆者撮影

 牧場経営者は知多半島各地で、自社の牧場から出る牛糞を堆肥にした農業を展開していた。ただし、有機農業ではなく農薬も使う従来型の「慣行農業」で、今回の大深でも同じやり方をする意向だという。

 役場職員は、牧場経営者が周辺の農地をまとめて買いたいと希望しており、犬飼さんが耕作している農地以外にも他の地主や耕作者と交渉が進み、一部は了承していると話した。

 犬飼さんは慌てて関係者への確認に走る。すると、確かに「足が不自由になったので誰でもいいから売りたい」という地主がいた一方、売却の話は持ちかけられたが断ったという地主や、事態を正確に把握していなかった耕作者もいた。

情報提供や直接協議巡り町への不信感募る

 犬飼さんは自ら状況を把握した上で、現在の利用権は更新し、売買交渉の進んでいる土地についても自身が農地を購入したいという意向を町役場職員に伝えた。

 「僕個人の思い入れというよりも、有機農業が引き継がれてきたあの奇跡的な農地を南知多町の財産として残しておきたいという一心から考えた提案です。僕たちが購入して、いずれは町に寄付してもいいということまで伝えました」と犬飼さん。しかし、町の対応はあくまで牧場経営者が購入する方向で進む一方、当初の地主や他の耕作者が了承しているとした情報には確認不足があったなどと認めたことから、犬飼さんの不信感は募っていった。

 そして12月上旬から中旬にかけ、石黒和彦町長も交えた話し合いの場が断続的に設けられた。そこで町側から出たのは、犬飼さんが牧場経営者の元に赴いて直接協議すべきだという提案だった。

 犬飼さんは、町の主体性や展望が見えない中で自身が経営者側と直接協議をするのは筋が違うと考え、提案を拒否した。しかし協議の日程は設定されてしまい、当日も町側から説得をされたものの、犬飼さんは町の姿勢が変わっていないとして頑なに断った。これが関係者間にとっての決定的な亀裂となってしまう。

石黒和彦町長を交えて犬飼さんとの協議が続いた南知多町役場=4月19日、筆者撮影
石黒和彦町長を交えて犬飼さんとの協議が続いた南知多町役場=4月19日、筆者撮影

釈然としないまま農地返還、住民票も町外へ

 話がまとまらないまま12月末の利用権の期限が過ぎ、翌1月下旬に牧場経営者の農地購入が農業委員会で承認された。犬飼さんは耕作の権利を失ったため、植えていた菜の花を機械で潰して農地を返還した。

 しかし、手放した農地は春になっても夏になっても耕作される気配がない。雑草が生い茂り、一時は牛糞堆肥が置かれっぱなしになっていた。

 犬飼さんは何度も町側に今後の方針を問うたが、納得する答えは返ってこない。釈然としないまま、残った隣接農地でも耕作をやめ、今年10月末までに利用権をすべて返還(解除)することに決めた。町内外の農地を合わせると、グループ全体で借りていた約20ヘクタールのうち実に10ヘクタール余り。2カ月近くかけて約50人の地主一人一人に返還の意思を伝えた。手続きの済んだ農地は順次、新しい耕作者に引き継がれていく予定だが、これまでのところ新しい有機農家が引き受けるという話は聞いていない。

 いったんは移住して南知多町民になっていた犬飼さんは、自身の住民票も会社の本社所在地も町外に移してしまった。しばらくは残った農地で耕作は続けるが、少なくとも今後町内で自身が有機農業を拡大するつもりはないという。

 「今回分かったのは、僕たちのような耕作者が預かり知らないところで農地の売買が進み、行政や農業委員会の仕組みでは利害調整できない現実があったこと。これでは土づくりに時間がかかる有機農家や、地域コミュニティーとの接点が少ない新規就農者にとってはリスクが大きく、また同じことが起こりそうな気がする」と犬飼さんは指摘する。

耕作をあきらめざるを得なかった大深地区の農地で悔しさを語る犬飼さん=11月17日、筆者撮影
耕作をあきらめざるを得なかった大深地区の農地で悔しさを語る犬飼さん=11月17日、筆者撮影

町側は「有機農業も慣行農業もどちらも大事」

 町役場の担当者は一連の経緯を概ね認めた上で、「今回の農地をどうすればよかったのか、町としては民間の取り引きに口出しできない中で仲介に立ったつもりだが、(犬飼さんと牧場経営者が)膝を突き合わせて話し合う場を設けるに至らなかったのは残念」だと述べた。

 一方、犬飼さんが農地を返還したことで町内の有機農地は10ヘクタールも減ってしまう可能性がある。有機農業を拡大するはずのオーガニックビレッジ宣言との整合性については「町としては有機農業者も慣行農業者もどちらも大事にしたい立場で、互いに農業をやりやすい環境を整えていく。(犬飼さんが提案していた)スクールなどの計画は、今年度発足する関係者の検討会でよく議論していきたい」とした。

 半田市の牧場経営者(75)も取材に応じ、「(犬飼さんと)会ってしっかり話し合いたかったが、来てもらえなかった」と経緯を残念がった。「あの土地も本当は早く耕したかったが、町からしばらく様子を見てくれと言われて、数回草刈りをする程度にしておいた」という。

 その上で「有機農業は肯定も否定もしないが、私は経営者として最低限の農薬は使わなければいけないという考え方」だと主張。年明けからでも従来型の農地として本格的に手を入れるつもりだと述べた。

ジャーナリスト

1973年横浜市生まれ。早稲田大学大学院理工学研究科(建築学)修了。中日新聞記者を経て2008年からフリー。名古屋を拠点に地方の目線で社会問題をはじめ環境や防災、科学技術などの諸問題を追い掛ける。2022年まで環境専門紙の編集長を10年間務めた。現在は一般社団法人「なごやメディア研究会(nameken)」代表理事、サステナブル・ビジネス・マガジン「オルタナ」編集委員、NPO法人「震災リゲイン」理事など。

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