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名建築家の地元の名作・岐阜県羽島市旧本庁舎は「解体」しかないのか 市民と専門家が対話求めるも市は…

関口威人ジャーナリスト
解体が議論されている岐阜県羽島市の旧本庁舎(10月1日、筆者撮影)

 近代建築の保存と解体を巡る議論が各地で巻き起こっているが、岐阜県羽島市の例はまた悩ましい。

 鎌倉の神奈川県立近代美術館などの設計で知られる建築家、坂倉準三(1901-1969)が出生地で手掛けた羽島市役所旧本庁舎。築60年以上が経ち、老朽化と改修・保存時の財政負担増などから、市は既に解体の方針を決めている。

 しかし、文化財的な価値がきちんと評価されているのか、コストの試算は妥当なのか。内外から疑問が突き付けられている。その決定の経緯と議論の行方を追った。

坂倉準三の主な建築作品(筆者作成)
坂倉準三の主な建築作品(筆者作成)

コルビュジエの弟子・坂倉準三が手掛けた近代建築の代表作

 羽島市は岐阜県南部に位置し、東海道新幹線の「岐阜羽島」駅があることで知られる。人口約6万人で「竹鼻別院のフジ」などの観光や産業で栄えてきた。

 その地の造り酒屋に生まれた坂倉準三は、東京帝国大学で建築を学んだ後、フランスに渡って近代建築の巨匠、ル・コルビュジエに師事。アトリエの重要なスタッフとして5年間、住宅設計や都市計画に携わり、1936年に帰国後はモダニズムと日本の伝統を融合した建築・デザインを手掛けた。

 1951年に完成した鎌倉の近代美術館は細い鉄骨で建物が池に浮いているように見えるデザインで、師匠のコルビュジエも評価して世界に知られる名建築となった。近年は老朽化が進んだが、大改修を施して2019年に「鎌倉文華館 鶴岡ミュージアム」として生まれ変わり、翌年には重要文化財に指定されている。

羽島市と市役所庁舎の関係を示す図(羽島市の資料などを基に筆者作成)
羽島市と市役所庁舎の関係を示す図(羽島市の資料などを基に筆者作成)

 一方、羽島市庁舎は1959年に竣工した鉄筋コンクリート造地上4階建ての建物。2階までの大スロープや屋上の反り屋根など、コルビュジエ流の大胆な造形要素を取り入れながら、水平に連続するバルコニーなどが伝統的な日本建築の趣も感じさせる。また、敷地にあった蓮池の記憶をとどめるため、地下水を汲み上げて建物の周囲に池を張ったという。

 竣工の翌年には日本建築界最高の栄誉である日本建築学会賞が贈られたほか、近代建築の保存に関わる国際組織「DOCOMOMO(ドコモモ)」の日本支部は2003年、重要な日本の建築物100選の一つにこの庁舎を選出している。ただ、国が保存・修理の際に補助する登録有形文化財には登録されていない。

羽島市旧本庁舎の南面。幾何学的で重厚な造形にバルコニーが繊細な印象を与える。周囲には池が張られている(10月1日、筆者撮影)
羽島市旧本庁舎の南面。幾何学的で重厚な造形にバルコニーが繊細な印象を与える。周囲には池が張られている(10月1日、筆者撮影)

耐震性不足と改修コスト高で「庁舎として使用しない」と結論

 庁舎を所有・管理する羽島市は、2016年の熊本地震で熊本県内の複数の庁舎建築が使用不能となった状況を踏まえ、本庁舎の耐震性調査を行うとともに「庁舎検討委員会」を設置。2017年2月から建築の構造・耐震、コンクリート工学や建築史の専門家ら5人の委員が庁舎のあり方を議論し始めた。

 調査の結果、耐震性能を表すIs値は一般的な公共建築物に0.6以上が求められるのに対して、本庁舎は最小部分で0.245と著しく不足していた。それを耐震改修するなら約30億円の工費がかかるとも試算。こうした検討から、同年7月の5回目の委員会で「現本庁舎を庁舎として使用せず、現敷地内に新庁舎を建設することが最良」との結論が出された。

 市はこの答申を受けて新庁舎の建設に動き出すとともに、旧本庁舎については別途「あり方検討委員会」を設けて検討することにした。

羽島市旧本庁舎で特徴的なタワー型の望楼。高さが30mあり、市は耐震性能が著しく低くコンクリートの劣化も進んでいると指摘。一方、市民団体は内部が二重壁と階段で、強度はあると主張する(筆者撮影)
羽島市旧本庁舎で特徴的なタワー型の望楼。高さが30mあり、市は耐震性能が著しく低くコンクリートの劣化も進んでいると指摘。一方、市民団体は内部が二重壁と階段で、強度はあると主張する(筆者撮影)

 市民に対してはタウンミーティングや意見交換会などを100回以上開催して答申内容などを説明。同年10月に実施した市民アンケートでは、旧本庁舎の保存に「反対」「おおむね反対」との回答は72.9%に上ったとする。ただし、保存を求める意見は6.1%と少数とはいえあり、そうした市民らで「羽島あすなろ会」という団体が結成された。

 代表の時田憲章さんは「アンケートでは耐震改修に約30億円、維持管理に年間6000万円の『莫大な費用がかかりますが、どう思いますか?』と誘導的な質問がされた。もっと安価な方法も市は検討しており、市がきちんと説明すれば結果は違う」と指摘する。

民間から利活用案募集するも採用せず「解体」方針が決定

 新庁舎の建設が着々と進んでいた2021年7月、市は「旧庁舎あり方検討委員会」を設置。旧庁舎の「利活用」についての議論が始まった。ところが、この委員会にはコンクリート工学の専門家まではいたものの、文化的な価値を判断する建築の専門家は含まれなかった。そして、やはり5回の会議を経て2022年2月にまとまった答申では、「施設として使用・保存せず解体すること」が最良との結論になった。

 一方で市は同年7月、旧本庁舎の利活用について民間からの提案募集を始める。耐震性を確保した上で20年以上の長期間にわたって活用する方法の提案を求める内容だ。ただし、「施設改修に係る工事費用及び施設運営に係る経費等については、民間事業者の負担とする」との条件で、募集期間は9月末までの約3カ月間だった。

 この募集に大手建設会社などは参加せず、応募したのは「日本建築学会東海支部歴史意匠委員会」と坂倉準三の建築事務所員だった山岡嘉彌氏のデザイン事務所の2団体。それぞれ子育て支援施設や建築ミュージアムなどとしての活用を提案したものの、市は事業主体や事業費の確保について不確定な要素が多いとして2つの提案をいずれも採用しなかった。

 そして同年12月、市長が解体の方針を正式に表明。解体に向けた設計業務委託料や、旧本庁舎の記録をデジタル映像に残すための費用などが2023年度予算に盛り込まれている。

望楼のある東面に取り付けられているスロープ。開口や排水口などの細かいディテールも考え抜かれていることが分かる(筆者撮影)
望楼のある東面に取り付けられているスロープ。開口や排水口などの細かいディテールも考え抜かれていることが分かる(筆者撮影)

「文化財としての再評価を」専門家交えた対話と再考求める

 羽島あすなろ会は今年5月に続き、10月1日にもこの問題を考えるシンポジウムを地元で開催。市民や建築関係者ら70人余りが集まり、上記のような経緯や同じ坂倉建築である三重県伊賀市の旧市庁舎の保存運動などを基に議論した。

 伊賀市文化財保護審議会委員の滝井利彰さんは、2004年に合併伊賀市が誕生してから20年近くの運動で保存派の新市長が当選、市議会との攻防を経て利活用が決まり、図書館・ホテル・観光施設・カフェなどの複合施設に生まれ変わろうとしている成果を示し、「いつか(保存の意味を)分かってくれる」とあきらめずに運動することが大事だと呼び掛けた。

 他の専門家や市民からも「師匠のコルビュジエが手掛けた上野の国立西洋美術館より先に壊してしまうことがあっていいのか」「トップダウンではなく下から変えていかなければ」などの意見が出された。

シンポジウムで旧本庁舎の解体方針見直しを訴える「羽島あすなろ会」代表の時田憲章さん(左)や建築の専門家ら(10月1日、筆者撮影)
シンポジウムで旧本庁舎の解体方針見直しを訴える「羽島あすなろ会」代表の時田憲章さん(左)や建築の専門家ら(10月1日、筆者撮影)

 後援した日本建築学会東海支部は、シンポジウムに先立つ9月25日、市にあらためて要望書を提出した。そこでは旧本庁舎の文化財としての再評価を行うため、建築学諸分野の専門家による総合的な建築学術調査を求めた上で、その費用は同支部が負担するとも表明している。

 同支部の堀田典裕・名古屋大学大学院環境学研究科准教授は「私自身も市民ではないので外から物申していいか迷う部分もある。しかし、建築は公共的な存在で、市民や市当局だけのものでないことを理解して、市は対話に応じてほしい」と訴える。

日本建築学会東海支部を代表して羽島市役所を訪れ、担当者に要望書を手渡す堀田典裕・名古屋大学大学院環境学研究科准教授(9月25日、川柳まさ裕撮影)
日本建築学会東海支部を代表して羽島市役所を訪れ、担当者に要望書を手渡す堀田典裕・名古屋大学大学院環境学研究科准教授(9月25日、川柳まさ裕撮影)

市は対面取材に応じず、文書で5つの質問に回答寄せる

 シンポジウムでの意見を踏まえ、私は羽島市に取材を申し込んだが、「既に市長の解体方針や議会での予算承認が行われており、対面での取材には応じていない」とされた。

 文書でのやり取りには応じるとして、私が挙げた5つの質問に対して11日間かけて市総務部管財課庁舎管理担当名で回答が届いた。以下にその全文を掲載する。

<質問1>

 令和3年7月から開かれた旧庁舎あり方検討委員会について、委員に建築学の専門家が含まれていなかったのはなぜでしょうか。

<回答1>

 羽島市旧庁舎あり方検討委員会は、令和3年5月臨時議会において、旧庁舎及びその敷地の利活用について協議することを目的に、地方自治法における附属機関として設置することをお認めいただいたものであります。

 同委員会は、大学学長や大学教授などの学識経験者、商工会議所、自治会及び福祉団体などの市内公共的団体の代表者及び公募委員の全9名の委員により構成されており、コンクリート工学、環境、法律などの専門家、経済、自治、児童福祉などの第一線で活躍されている方、市政に関心の高い公募委員など、幅広い分野から、市内在住の方を中心に、優れた見識を持った方々を任命させていただいております。

<質問2>

 同上の委員会では「旧庁舎の建築学的・文化財的価値についての議論はほとんどなされなかった」「現地確認はなく、机上の審議のみだった」との指摘がありますが、事実でしょうか。

<回答2>

 同委員会は、市内在住者及び本市にとって馴染みの深い方々で構成されており、旧庁舎にも日常的に出入りされ、施設の状況について一定の認識をお持ちであり、さらに審議の場において、旧庁舎の施設の概要や状況、取り巻く環境について事務局から説明させていただいております。

 同委員会においては、令和3年7月から令和4年2月までの約7カ月間、計5回に渡り、多面的かつ総合的な観点から、旧庁舎のあり方について慎重なご審議をいただいており、その答申内容は、次世代を担う市民の負担を軽減することを前提とした理念に基づくものとして尊重すべき内容であると認識しております。

関係者以外の立ち入りが禁止されている羽島市役所の旧本庁舎(10月1日、筆者撮影)
関係者以外の立ち入りが禁止されている羽島市役所の旧本庁舎(10月1日、筆者撮影)

<質問3>

 令和4年2月に出された答申は、諮問内容の利活用には触れず、解体が適当だとされていたため、答申としては不備だとの指摘があります。市の見解はいかがでしょうか。

<回答3>

 市から旧庁舎あり方検討委員会に対する諮問内容といたしましては、「旧庁舎のあり方について、物理的視点、財政的視点及び有効利用目的などの視点を基に今後の方向性を決定することが必要であると認識していることから、旧庁舎の課題・問題点等の整理・協議を重ね、多面的かつ総合的な考察を踏まえ、最適な旧庁舎のあり方について、意見をいただきたい」というものであります。

 一方、諮問に対する同委員会から市に対する答申内容といたしましては、次世代を担う市民の負担を軽減することを前提とした理念に基づくものとして、「本庁舎及び教育センターについては、施設として使用・保存せず解体すること、また、中庁舎及び北庁舎については、引き続き庁舎の付属施設として使用することが最良である」となっております。

 市からの諮問に対する答申にあたっては、同委員会において十分な協議がなされており、市といたしましては、答申内容については適切なものであり御指摘には当たらないものと考えております。

<質問4>

 令和4年7月から9月にかけて行われた、庁舎の民間利活用案の募集について、3カ月足らずでは短すぎるという指摘があります。なぜこのような募集期間となったのでしょうか。

<回答4>

 旧本庁舎における民間事業者を事業主体とした利活用に対する提案募集については、行政としての利活用方法が見いだせない中、保存・利活用の目的、意匠、耐震性、地盤改良や長寿命化対応等を含めどのような形で残したいのか、市民の信頼や理解を得られる提案内容であるかどうか、特に財源の確保の信頼性、耐震改修工事の工法や期間などの妥当性、長期間にわたる事業継続の可能性などについて、幅広く民間事業者等の方々からのご意見を伺いたいという目的から実施いたしました。

 そうした中、提案募集の実施要領では、提案内容において実現性が高いと認められる場合には、提案者に対し、事業主体となる民間団体の経営状況を示した書類や、提案事業実現に向けた詳細な事業計画、資金計画、収支計画などの書類の提出を求めており、市といたしましては、募集当初より場合によっては、例えば公認会計士や企業コンサルタント、建築コンサルタントなどの専門家の意見を伺い、引き続き分析・検証する予定としておりました。

 しかしながら、応募のありました2つの団体の提案内容及び両団体への確認行為において、現段階では事業主体となる民間事業者等が存在しないこと、また、事業運営や資金確保において確実な事業実施が見通せないことから、提案内容において実現性が高いとは言えず、専門家の意見や、外部委員などの第三者のご意見を伺う必要性はないものと判断いたしました。

 市といたしましては、民間事業者等を事業主体とした利活用に対する提案募集に要する期間としては、適切なものであったと認識しております。

2021年に完成した羽島市役所の新庁舎。旧本庁舎と向かい合う形で立つガラス張りの現代建築だ(10月1日、筆者撮影)
2021年に完成した羽島市役所の新庁舎。旧本庁舎と向かい合う形で立つガラス張りの現代建築だ(10月1日、筆者撮影)

<質問5>

 10月1日のシンポジウムや日本建築学会東海支部が9月25日付で市に提出した要望書では、この問題について羽島市文化財審議会での学術調査や専門家との対話の機会を設けるべきだとの意見が強く出ました。こうした議論が内外から持ち上がっていることを含めて、市の見解をお教えください。

<回答5>

 文化財に対する市の考え方といたしましては、旧本庁舎を文化財として保存、利活用することに対する見通しが立ち、市及び市民が一体となり、文化財としてこの建築物を将来に向け保存活用していこうという機運の高まりや明確な意志を持って、文化財を目指していくことが本来でありますことから、この関係については極めて慎重な判断が必要であるものと考えております。

 文化財への指定に向けた取り組みは、長期的かつ総合的視点に立って判断する必要があり、国の重要文化財の指定であれば、長期的な財政負担、専門的な人材確保、詳細な調査に係る多大な労力など、より一層ハードルは高くなるものと考えております。

 そうした状況において、行財政運営への影響、利用価値を探るべく民間事業主体や事業提案の募集、周辺への安全性調査などの検証を重ね、その結果、行政、民間事業者のいずれにおいても、事業主体として将来にわたり責任をもって、旧本庁舎を保存活用することが極めて困難であるとの結論を得ましたことから、市文化財審議会に諮ることなく、やむなく解体することを市の方針としたところでございます。

 …以上が市の回答だ。文面からはこれ以上の見直しや対話に応じる姿勢は感じられないが、この建築の価値を認め、解体を惜しむ人たちとともに前向きな方向へ進んでいくことを望みたい。

2009年頃の羽島市庁舎(吉村行雄氏撮影)
2009年頃の羽島市庁舎(吉村行雄氏撮影)

ジャーナリスト

1973年横浜市生まれ。早稲田大学大学院理工学研究科(建築学)修了。中日新聞記者を経て2008年からフリー。名古屋を拠点に地方の目線で社会問題をはじめ環境や防災、科学技術などの諸問題を追い掛ける。2022年まで環境専門紙の編集長を10年間務めた。現在は一般社団法人「なごやメディア研究会(nameken)」代表理事、サステナブル・ビジネス・マガジン「オルタナ」編集委員、NPO法人「震災リゲイン」理事など。

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