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愛知リコール署名偽造事件、広告会社元社長が「やるしかない」に至った心情と法廷での懺悔

関口威人ジャーナリスト
署名偽造事件の公判が行われた名古屋地裁(2021年10月26日、筆者撮影)

 愛知県の大村秀章知事に対する解職請求(リコール)運動をめぐり、署名を偽造したとして地方自治法違反の罪に問われた名古屋市の広告関連会社元社長、山口彬被告(38)の第2回公判が10月26日、名古屋地裁であった。運動団体の事務局長だった田中孝博被告(60)=同罪で起訴=からの指示だったと主張した上で、疑いを持ちながらも偽造作業にはまり込んでいく被告の心情が赤裸々に語られた。その供述内容を詳しく伝える。

 コロナ禍で「ただでもいいから仕事が欲しい」

 山口被告は2009年に名古屋市内で会社を創業。広告チラシやビラを各戸に投函する、いわゆるポスティングサービスを事業の柱とした。

 「ポスティングは広告事業の中で、一般の人がやりたくない、いわば日陰の仕事」と認めながら、「それをよりよくすることで、スタッフが胸を張れるように」事業を育てたという。

 被告人質問に先立ち、証人尋問に応じた顧問税理士も「売り上げは順調に伸ばしていた」とする。一方、山口被告の性格について「人を信用し過ぎる面があった」と指摘した。

 その堅調な会社も、新型コロナウイルスの影響で昨年3月ごろから売り上げが激減。売上高は例年の半分程度にまで落ち込んだが、スタッフには業務がなくても通常の3割〜7割程度の給料を払い続けていたという。

 ただ、そうした状態もコロナ禍が長引くにつれて限界に近づく。山口被告は「ただでもいいから仕事が欲しい」気持ちに追い込まれた。そんなとき、リコール運動団体の立ち上げを知り、運動はがきなどのポスティング作業を無償で引き受けつつ、次の仕事につなげようと目論んだ。

 「海外で人集めできないか」と田中事務局長

 署名活動は昨年8月25日から2カ月間をめどに正式にスタート。山口被告が引き受けたポスティング作業が終わりかけていた昨年10月8日、田中事務局長が山口被告の会社に電話をかけてきた。山口被告は外出していて直接受けられず、折り返しの形で電話する。田中事務局長と電話で話すのは、そのときが初めてだったという。

 田中事務局長は「ポスティングありがとうね」と切り出した。しかし、続けて「海外など遠い場所で人集めができないか」と持ち掛けてきた。コロナ禍で人が集まって署名を書けないから、自分の後援会員や後援してくれる企業の従業員の名前を署名簿に代筆するのだという。

 山口被告は、「そのタイミングで、大丈夫かなと思ったが、違法なこととは思わなかった」と振り返る。

 田中事務局長は山口被告の会社に直接来て、説明をした。海外で作業をしたい理由について、「リコールの会にはスパイがいっぱいいるから」と主張した。スパイがいるので署名簿が盗まれたり、盗聴されたりする恐れがあるのだという。

 山口被告は、さすがにコロナ禍で海外での作業は難しいと指摘。また、代筆に同意があったとしても、本当に大丈夫かと懸念を示したが、田中事務局長は「ぜんぜん大丈夫。普通にあること」として、約10年前の名古屋市議会リコールのときも同様のことがあったという旨も漏らした。

 山口被告はこの時点で「グレーな状態」と感じたが、それまでの「ポスティングへの協力が無駄になってしまわないように」と思うと同時に、田中事務局長がそこまでやろうとすることを「かわいそう」だとも感じた。

 そこで、代筆作業を引き受けるために、▽山口被告の会社ではなく、現場の下請け会社がやる ▽現場は人を集める作業だけをする ▽代金は前払いで受ける ▽代筆の元となる名簿は個人情報利用についての同意があることを確認する ▽問題が発生しても自分たちは一切責任を取らない――といった趣旨の条件を盛り込んだ発注書作りを提案。それに対して田中事務局長は「ぜんぜん大丈夫。書くから」とあっさり受け入れ、後日、実際に発注書が作られた。

 代筆同意30〜40万人分に「ウソ」と確信

 山口被告は、田中事務局長の印象について「いつもニコニコして、陽気で人懐こく、ふたこと目には『社長、社長』と言ってくる。でも、元議員で、有名人の名前も(知り合いとして)出る。すごい人なんだな」と思っていた。

 昨年10月12日、田中事務局長が再び来社し、実際の作業についての打ち合わせをした。署名簿には1人用と10人用のものがあり、同意を受けている人の署名を書いてほしい……などの段取りを説明された。

 しかし、その中で「指印(拇印)を押してほしい」という依頼を、山口被告は「それは絶対に無理」と断った。「拇印を押してしまったら、すべて完成してしまう気がした。代筆以上のことはできない」と感じたからだ。

 さらに、「何件ぐらい代筆するのか?」という山口被告の問いに、田中事務局長は「30〜40万件」と述べた。だが、山口被告は「それだけの人数から同意を受けることがあるのか。だったら、この人は元県議ではなく現県議、へたしたら国会議員ではないか」と疑い、田中事務局長が「ウソをついている」と確信したのだという。

 ただ、田中事務局長に一つ質問をすると、十ぐらいのさまざまな例が挙げられ、納得してしまいがちになる。

 例えば、署名用紙の表の右上には「代筆をした場合」として細かい説明が書かれていた。田中事務局長はこの部分を指し示して「ほら、できるよ」と代筆が認められているように説明した。実際には、地方自治法第74条で「心身の故障」などの特別な理由でのみ代筆ができると定められ、違反した場合は罪に問われることを示す注意書きだった。

筆者が入手した今回のリコール運動の署名用紙。右上に「代筆をした場合」とあるのは、特別な例を除いて代筆はできない法令を示す注意書きだが、田中事務局長は代筆が「できる」根拠として山口被告に示したという
筆者が入手した今回のリコール運動の署名用紙。右上に「代筆をした場合」とあるのは、特別な例を除いて代筆はできない法令を示す注意書きだが、田中事務局長は代筆が「できる」根拠として山口被告に示したという

 山口被告はそのとき、自ら正確に調べるなどはしなかった。「自分はだまされない」という思い込みがあったとともに、自分の質問に対して田中事務局長があまりにクリアに答えるため、「真に受けてしまった」のだと悔やんだ。

 そして、状況はどんどん後戻りできない方向に転がる。

 山口被告は「やるしかない」と決め、下請け会社を巻き込んで、佐賀県での偽造作業の手配などに突き進んだ。

 贖罪のため「真実」話す決意、医療従事者に寄付も

 昨年11月に入り、選管に仮提出された署名の8割が不正だとの疑惑が表沙汰となる。田中事務局長に連絡を取ると、「山口君にやってもらったのは準備行為、仮提出だから、不安になることはない」などと平然と言われた。しかし、山口被告は納得できなかった。

 年が明け、今年2月に新聞記者から「佐賀の件で」と取材が入ったときも、田中事務局長は「大丈夫」と言い張った。一方で、「発注書を返して」「発注書なんてなかったよね」などと言い出す。山口被告は、田中事務局長が「罪を全部、僕に押し付けるんだろう」と感じ、弁護士に相談。警察にできるだけ早く打ち明けるべきだという結論になった。

 「僕をきっかけに、いろんな人に迷惑を掛けてしまった。こうなったら真実を正確に伝えるしかない」と決意した山口被告は、自ら警察に出向き、取り調べに応じた。事件に関わる携帯電話やパソコンの記録をすべて提供したのをはじめ、捜査には全面的に協力した。

 さらに「罪をつぐなうため」として、愛知県内で新型コロナウイルス感染症の治療に当たる医療従事者を応援するための基金に寄付をした。これには下請け会社の社員らも賛同し、それぞれに寄付をしたという。これに加えて、赤十字への募金も毎月している。

 「事件のことを今後、一生忘れないことが大事。自分の中で風化させず、思い出すため」の行為だ。

 現在、創業した会社からは離れ、別の事業を起こすことを考えている。ポスティングサービスで志したように「末端で働く人を補助できるような仕事を」と思いながら。また、もしこんな犯罪が繰り返されたとして、「周りで巻き込まれるような人がいれば止めたい」とも述べた。

 山口被告の次回公判は11月17日午後、検察側の論告求刑が予定されている。

 一方、田中被告は今年9月24日の初公判で起訴事実についての認否を留保。第2回公判の期日はまだ決まっていない模様だ。

ジャーナリスト

1973年横浜市生まれ。早稲田大学大学院理工学研究科(建築学)修了。中日新聞記者を経て2008年からフリー。名古屋を拠点に地方の目線で社会問題をはじめ環境や防災、科学技術などの諸問題を追い掛ける。2022年まで環境専門紙の編集長を10年間務めた。現在は一般社団法人「なごやメディア研究会(nameken)」代表理事、サステナブル・ビジネス・マガジン「オルタナ」編集委員、NPO法人「震災リゲイン」理事など。

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