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台風19号で千曲川決壊の長野市、ある避難所の壮絶な1週間

関口威人ジャーナリスト
千曲川の決壊現場は仮堤防建設が急ピッチで進んでいた(10月18日、筆者撮影)

 台風19号の被害は、上陸から1週間が経っても各地で深刻さがますます浮き彫りになっている。千曲川が決壊した長野県では、18日現在で小学校など23カ所に900人以上が避難(県災害対策本部まとめ)。しかし、当初は行政も把握し切れなかった自主避難所があった。その一つの豊野区事務所(豊野北公民館)では、住民が壮絶な1週間を経験していた。

「水が裏から回り込んできた」

 決壊現場の穂保地区から北へ約2.5キロ。豊野地区は低地の入り組んだ道沿いに戸建や市営アパートが立ち並ぶ住宅地だ。地元の住民によると、普段は千曲川の支流の「浅川」が身近な川で、大雨の際はその浅川の水位を多くの住民が気にしていた。

決壊現場の穂保地区から北に約2.5キロ離れた豊野地区も、住宅地一帯が泥水に浸かった。災害ごみの処理が大きな問題となっている(10月19日、筆者撮影)
決壊現場の穂保地区から北に約2.5キロ離れた豊野地区も、住宅地一帯が泥水に浸かった。災害ごみの処理が大きな問題となっている(10月19日、筆者撮影)

 今回も台風上陸に備えて事前に避難する住民は少なくなかったが、浅川の水位がそれほど高くないと判断して、12日夜から13日朝にいったん家に戻る住民が出たという。ところが、13日午前4時ごろに千曲川が決壊。穂保地区で濁流が家の1階や車を押し流し、その水が浅川を越えて豊野へも。浅川に近い家の住民の証言によると、水は浅川自体からではなく、裏を回り込むようにして街をのみ込んでいったのだという。しかも隣接する赤沼地区で新幹線車両が沈んだように、浸水は非常に深くまで及んだ。

豊野地区で1階の天井まで浸かった住宅。天井裏の断熱材が水を吸ってしまったので、天井板ごと落とす作業を住民がしていた(10月19日、筆者撮影)
豊野地区で1階の天井まで浸かった住宅。天井裏の断熱材が水を吸ってしまったので、天井板ごと落とす作業を住民がしていた(10月19日、筆者撮影)

逃げ遅れた住民が自主避難所へ

 そのため多くの住民が家に取り残され、ボートなどで救助された。逃げ遅れた住民は小学校などの指定避難所だけでなく、行政の把握しにくい自主避難所にも身を寄せなければならなかった。

 80代の女性は「1階にいたら朝の7時45分ぐらいに、急に水が来た。何とか2階に上がって船で助け出された」と振り返る。足が悪く、一人暮らしなので逃げられなかったのだという。その後、区の役員らに付き添われて豊野区事務所に身を寄せた。本来の指定避難所である豊野西小学校が「いっぱいになったから」らしいと聞いた。

 実際、豊野西小には最大320人の住民が押し寄せ、今も200人以上で体育館はぎっしりの状態だ。ただし、市の職員をはじめ保健師やボランティアなどの人員、そして物資は着々と集まり始めていた。

被災直後に自主避難所となった豊野区事務所。豊野北公民館が「間借りしている」形なのだという(10月19日、筆者撮影)
被災直後に自主避難所となった豊野区事務所。豊野北公民館が「間借りしている」形なのだという(10月19日、筆者撮影)

 一方で、豊野区事務所には最大で25人ほどが避難していても、市職員の姿はなく、物資も消毒液がある程度だった。善財孝文区長ら役員8人が交代で夜も事務所に泊まり込み、物資は車で10分ほどかかる豊野西小に取りに行かなかければならなかった。

 高齢者のほか、2歳の子どもを抱えた家族も。子どもは不安から、夜は車の中で寝なければならなかった。

行政が把握できたのは3日後

 市が豊野区事務所の実態を把握し、県の災害対策本部にも避難所として情報を上げたのは16日になってから。急に態勢を整えるのは難しかったようだが、医療チームや地域包括支援センターの巡回、ライオンズクラブの炊き出しなどが徐々に回ってくるようになった。そして地元の中間支援NPO「長野県NPOセンター」を通して、名古屋の災害救援NPO「レスキューストックヤード」のスタッフも支援に入り、18日までに段ボールベッドや移動式トイレの設置、幼児家庭用の別部屋などが確保された。

 19日午前、私も現場を訪れて善財区長に話を聞こうとしていると、愛知県豊橋市の防災危機管理課職員2人がやって来た。中核市同士の枠組みで、長野市から避難所支援の要請があり、週明けの21日から4人ほどの職員を常駐で派遣するつもりだという。

豊野区の善財孝文区長(中)の元に愛知県豊橋市の職員が訪れた(10月19日、筆者撮影)
豊野区の善財孝文区長(中)の元に愛知県豊橋市の職員が訪れた(10月19日、筆者撮影)

 「夜もいてくれるのか。長野市との調整もしてもらえるのか」と尋ねる善財区長に、豊橋市の職員が「そのつもりです」と返すと、善財区長は目を潤ませて感謝した。私も目の前でやり取りを見ていて、ほっと胸をなで下ろした。

豊橋市の職員が常駐で支援してくれることを聞き、目を潤ませて安堵する善財区長(10月19日、筆者撮影)
豊橋市の職員が常駐で支援してくれることを聞き、目を潤ませて安堵する善財区長(10月19日、筆者撮影)

 しかし、解決した問題はまだほんの一部だ。数日前、避難者の1人がテレビ局の取材を受けて「寒い」と訴える姿が放送されたら、事務所にどっと古着が届いたという。しかし、限られた世帯の避難所なので、使える古着は少なかった。

 

 「必要なものを必要なだけ届ける仕組みにしてほしい」と善財区長。また、将来的に避難者をこのまま豊野区事務所で受け入れ続けるには限界が見えている。とはいえ、避難所を転々とするような経験をさせたくない。「空き家や公営住宅に優先的に入れてもらえるようにできないか」と訴えた。

豊野区事務所に設置された水を使わず処理する移動式トイレ。NPOの仲介で確保できた(10月19日、筆者撮影)
豊野区事務所に設置された水を使わず処理する移動式トイレ。NPOの仲介で確保できた(10月19日、筆者撮影)

 今回は災害の規模に比べ、マンパワーが絶対的に不足しているのはどの現場を見ても分かる。だが、適切な支援と支援がつながれば、大小の歯車がかみ合うように、最小限の人手で最大限の効果が発揮される。その可能性を信じて、現場の最前線にいるNPOと行政、ボランティアらが連日、情報共有の会議を開いている。

 こうした支援を、さらに支援する輪が広がってほしい。

ジャーナリスト

1973年横浜市生まれ。早稲田大学大学院理工学研究科(建築学)修了。中日新聞記者を経て2008年からフリー。名古屋を拠点に地方の目線で社会問題をはじめ環境や防災、科学技術などの諸問題を追い掛ける。2022年まで環境専門紙の編集長を10年間務めた。現在は一般社団法人「なごやメディア研究会(nameken)」代表理事、サステナブル・ビジネス・マガジン「オルタナ」編集委員、NPO法人「震災リゲイン」理事など。

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