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カーリングミックスダブルス世界選手権で銀メダルを獲得した非エリート・松村千秋のこれまでとこれから

竹田聡一郎スポーツライター
「ドローの精度が課題として残った」とメダル獲得してなお貪欲だ (C) STEPH

凱旋オンライン会見で「金メダル欲しいな」

 韓国・江陵で行われていたカーリングのミックスダブルス世界選手権で、日本カーリング史上初のメダルを獲得した松村千秋(中部電力)と谷田康真(北海道クボタ)が30日に帰国。1日には松村は軽井沢、谷田は北見から、それぞれ銀メダルを手にオンライン会見に応じた。

 松村は大会を通して思い出に残った場面について質問され「表彰台から見る景色」と答えた。

「表彰台に上がって、勝ったチームはこんな景色を見ていたんだなと思ったし、金メダル欲しいな、と思いました」

 彼女がメダルや表彰台をとりわけ喜ぶ理由を掘り下げると、彼女のキャリアとも関係してくる。

黄金世代のひとつ下でプレーし、憧れだった世界の舞台

 松村は1992年生まれ。ひとつ上の1991年生まれには、藤澤五月(ロコ・ソラーレ)や吉田知那美(同じ)、鈴木夕湖(同)、小野寺佳歩(フォルティウス)や、早生まれではあるが吉村紗也香(同)、石垣真央(富士急)など、国内トップであり世界に挑むカーラーが名を連ねる。

 この「カーリング黄金世代」と呼ばれる学年のカーラーはそれぞれジュニア時代から頭角を現し、ジュニアの日本選手権の表彰台を寡占し、場合によっては10代半ばから一般の日本選手権でもメダルを獲得してきた。

 松村も彼女たちと同じように幼少からアイスに親しんできたが、彼女の日本ジュニア最高位は2007年に軽井沢中学校として出場した時の4位。その大会も優勝は藤澤率いる「チーム北見」だった。

 「私のジュニア時代はショボくて」と少し自虐的に笑っていたこともあった。松村が中部電力に入社したのは18歳の時、2011年の春だが「チームがフィフスを探している時期で、はと美さん(当時の長岡コーチ)やえみずさんもいるし、『とりあえず千秋でいいんじゃね』っていう感じだったと思う」と、中部電力に抜擢された経緯を分析していたこともある。「えみずさん」とは清水徹郎(コンサドーレ)の妹である現在の清水絵美マネージャーだ。松村家の父・保さんと母・なぎささん、千秋の兄・雄太(TMKaruizawa)と清水一家は親戚同様の付き合いを続けている幼馴染みのような関係でもある。

 中部電力でプレーをはじめ、その清水や、藤澤、現在は解説者の市川美余らと2011年から日本選手権4連覇を支えたが、松村は「当時はお姉さんたちの足を引っ張らないように、それだけを考えていました」と述懐する。2013年にはラトビア・リガで初の世界選手権を戦うが結果は7位。「あんまり覚えてないんですよね。たぶん、余裕なかったと思うんです」

 その後、中部電力は北澤育恵ら新戦力を加え、松村はいつの間にか最年長の選手となっていた2019年にはデンマーク・シルケボーでの世界選手権に出場。この時は4位という好成績を残すもやはりメダルには届かなかった。

 松村にとって3度目の挑戦だった昨年大会(カナダ・プリンスジョージ)だが、既に谷田康真とのミックスダブルス専念の意向を固めていたため、フィフスとしてチームサポートに徹した。チームはクオリファイ(プレーオフ進出)のチャンスを残すも、新型コロナウイルスに罹患してしまい、不完全燃焼の途中棄権となった。

 ミックスダブルスでも初出場の昨年、スイス・ジュネーブでの世界選手権は6勝3敗という好成績でも予選敗退。松村にとっての4人制とダブルスの累計4回の世界挑戦はどこか巡り合わせの悪い、ある意味では鬼門だった。

5度目の世界選手権と3度の五輪挑戦

 今回の世界選手権の会場となった江陵カーリングセンターは、ロコ・ソラーレが2018年の平昌五輪で銅メダルを獲得した舞台でもあったが、松村は当時、観客としてここを訪れている。

「全部で6試合を観たのかな。とにかく観客の盛り上がり方がすごかった。世界の舞台、特に五輪ってすごい場所なんだと思いましたし、選手たちが楽しそうだったのも印象的でした」

 当時、そう話してくれていたが、五輪に対しても松村は悔しい思い出が多い。2014年のソチ五輪は、今回のコーチである小笠原歩率いる北海道銀行フォルティウス(当時)に五輪トライアルで屈し、2018年の平昌は元チームメイトの藤澤擁するロコ・ソラーレに敗れた。2022年北京に向けては谷田と共にミックスダブルスの代表として世界最終予選に挑むも、届かなかった。

 憧れたかつての五輪の舞台を5年ぶりに訪れた初日、「この場所に自分が立てる楽しさがある。ワクワクしています。早く試合したいですね」と満面の笑顔を見せた。

 実際に大会が始まると、エキストラエンドまでもつれたスウェーデン戦、谷田が「野球でいえば逆転サヨナラホームラン」と評した予選のノルウェー戦の大逆転、さらにメジャー計測での決着となり「千秋の1ミリ」などと評された準決勝のノルウェーとの再戦など、今大会での松村のパフォーマンス、特にラストロックの勝負強さは際立っていた。

 実は松村は予選9試合でのショット率が71%と出場20か国の女性選手中13位と数値を残せなかった。逆に言えば、プレッシャーにさらされながら、時には持ち時間が1分を切っているショットもあったが、本人は「うーん、緊張はしてたかもしれないですけれど、(どの場面も)やることは決まっていたから」とキーショットを決め切って勝ってきたわけだ。その集中力は圧巻だった。「ショット率は来年の課題です」と本人も語っていたが、ベーシックなショットが安定すればいよいよ頂点も見えてくるだろう。

「1試合1試合、楽しかった。独特の緊張感があって。試合自体はあっという間に終わった。苦しい時間もあったけれど、総じて本当に楽しかった」 WCF / Eakin Howard
「1試合1試合、楽しかった。独特の緊張感があって。試合自体はあっという間に終わった。苦しい時間もあったけれど、総じて本当に楽しかった」 WCF / Eakin Howard

ミックスダブルスでの快挙が新チームに刺激をもたらすか

 来季はいよいよ2026年のミラノ・コルティナダンペッツォ五輪の選考レースが国内外で始まる。松村と谷田は今季同様にミックスダブルスに専念する形で強化を積み、秋には海外遠征を計画中だ。

 ミックスダブルス専念に関しては振り返れば、昨季の後半から松村の所属する中部電力はチームとして難しい決断を迫られていた。松村がミックスダブルスに専念することで4人制のチームの戦力ダウンは免れず、社内でも賛否両論が起こっただろう。語弊のある表現になってしまうかもしれないが、ミックスダブルス専任への挑戦はある意味では松村のワガママであり、会社としてのサポートを打ち切られるリスクもはらんでいた。チームと離れての選手活動が増えるということにも前例はなかった。本人は多くを語らないが、松村は会社から「ノー」をつきつけられた場合、チームを離れることも、あるいは視野に入れていたかもしれない。

 しかし、結果的には中部電力はチームとして松村と谷田のチャレンジを支援する体制を整えた。ちょうど1ヶ月前に、新戦力として江並杏実の獲得を発表。これで、4人制は石郷岡葉純、鈴木みのり、中嶋星奈、北澤、江並の5人が揃い、松村のミックスダブルスと4人制の両立を継続できる。

 2月に北海道稚内市で行われた日本選手権の最中も、今回の世界選手権でも、松村の携帯には「千秋さん」と先輩を慕う後輩からのメッセージが届き続けたという。

「基本的には、人にはお見せできないようなチームメイトのひどい画像とか、くだらないこと。でもそれが力になっています」

 松村はそう笑っていたが、4度目の五輪挑戦は、谷田という心強いパートナーと、中部電力というカーリング人生を共にしてきたチームとの併走だ。

「正直、思い描いていた時間の進み方はしていませんね」と振り返る。それでも、時には揺れて迷いながらも、松村は常に真摯に楽しそうにアイスの上にいた。五輪はスポンサーの関係で所属企業などの表記はないが、松村が意識するのは、「カーリングミックスダブルス日本代表・松村千秋(中部電力)」での出場だ。同様に今回の銀メダル獲得に刺激を受けた中部電力の後輩たちの、新戦力を加えたリスタートにも期待したい。捲土重来はここからだ。

松村千秋(まつむら・ちあき)

1992年10月26日、長野県軽井沢町出身。小学生の頃にカーリングを始め、2011年に中部電力に入社。藤澤五月(ロコ・ソラーレ)らと果たした日本選手権4連覇のうち3度に出場し、2017年の優勝はスキップとして、2019年はサードとしてそれぞれ優勝するなど、フィフスを含めすべてのポジションで日本選手権を制した珍しい記録を持っている。ミックスダブルスは2019年大会に清水芳郎(Ignites長野)と初出場。谷田とは2019/20シーズンからペアを組み、ファーストシーズンである20年の日本選手権で初優勝。今季は2度目の優勝となった。好きな食べ物は芋けんぴ。

左から松村、中嶋、石郷岡、鈴木、北澤。ここに今季から江並が加わり、5人+松村のMDが新生・中部電力だ(C)どうぎんカーリングクラシック2022
左から松村、中嶋、石郷岡、鈴木、北澤。ここに今季から江並が加わり、5人+松村のMDが新生・中部電力だ(C)どうぎんカーリングクラシック2022

スポーツライター

1979年神奈川県出身。2004年にフリーランスのライターとなりサッカーを中心にスポーツ全般の取材と執筆を重ね、著書には『BBB ビーサン!! 15万円ぽっちワールドフットボール観戦旅』『日々是蹴球』(講談社)がある。 カーリングは2010年バンクーバー五輪に挑む「チーム青森」をきっかけに、歴代の日本代表チームを追い、取材歴も10年を超えた。

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