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ラベナ兄弟の対決がB1開幕戦でついに実現。学生時代に指導したコーチが語るキーファーとサーディ

青木崇Basketball Writer
結果は1勝1敗も、チームの勝利に貢献したラベナ兄弟 (C)B.LEAGUE

 キーファーとサーディのラベナ兄弟は、フィリピンのバスケットボール界における知名度でトップクラスの選手。アジア特別枠の選手としてBリーグにやってきた2人が2021-22シーズンの開幕戦で対決することは、バスケットボールが国技のフィリピンで大きな話題となった。それは、Bリーグの広報が提供してくれた次のデータを見れば明らかである。

・開幕節終了後にラベナ兄弟ならびの記者会見を配信。15分間でFacebookとYouTubeにおけるライブ視聴数の合計が約7万

<試合放送局のTAP>

・数値が把握できるアプリ視聴数は2日間合計で約50万人

・Tap Sportsというフィリピン国内でのケーブルテレビ局のネットワークに組み込まれているチャンネルで、幅広く視聴できる環境を提供。

<フィリピン国内の主要メディア>

・ABS-CBN、GMA、Rapplerの主要メディアの他、OneSportsなどのスポーツメディアでも取り上げられた。

 兄のキーファーが所属する滋賀レイクスターズと弟のサーディが所属する三遠ネオフェニックスとの対戦は、1勝1敗という結果に終わった。昨季からB1でプレーするサーディはスターター、キーファーはベンチからの登場。1戦目は11点、8アシストを記録したキーファーが後半に得点機会のクリエイトで存在感を示したことで、滋賀は22点差を逆転して93対83のスコアで勝利する。サーディは兄同様に11点を記録したものの、14本中4本のFG成功とシュートの確率がいまひとつだった。

 翌日の2戦目は逆に滋賀が最大で18点をリード。しかし、三遠は3Q終盤からの追撃で延長に持ち込み、101対96で雪辱した。サーディは延長残り2分22秒にリードを8点に広げる3Pシュートを決めるなど、ゲーム最多となる21点の大活躍。キーファーも20点、7アシストと、2日連続で質の高いプレーを見せていた。

 先週末の熱戦から3日後の10月6日、ラベナ兄弟と縁の深い人物に話を聞く機会を得た。アテネオ・デ・マニラ高校と大学でプレーしていたときに指導していたコーチ、ジョー・シルバとレジー・ヴァリラ。彼らと出会うきっかけを作ってくれたのは、 筆者が何度も取材しているNIKEオールアジアキャンプで通訳を務めるマイク・ホンケイ・シである。

 フィリピン中から注目されたラベナ兄弟初対決の印象について、シルバとヴァリラは次のように振り返った。キーファーとサーディが違うチームでプレーしてマッチアップしたというのは、Bリーグが初めてだったという。

「初戦を見たけど、アシストを除けば2人とも似たような数字だった。キーファーとっては(Bリーグに)アジャストする期間だと思っているが、サーディは新型コロナウィルス感染やケガがありながらも昨季を経験しているし、ポテンシャルを最大限出すことができるスターターだった。2戦目も同じようなスタッツで、2人とも多くの出場時間を得ていたし、お互いに得点もディフェンスもよくやっていたと思う。両チームに勝ってほしいという思いはあったけど、バスケットボールがスポーツである以上、片方は負けることになる。それでも2人のことを応援したし、インパクトをもたらしたということで素晴らしいゲームだった。フィリピンの人たちは誇りを感じたと思う」(ジョー・シルバ)

「私はすごく誇らしい気持ちになった。2人ともチームに大きなインパクトをもたらしていたけど、違いがあったのは間違いない。ジョーが言ったように、キーファーはベンチから出てのプレーだったために出場時間が少なめだけど、サーディはスターターだ。彼らのプレースタイルには違いがある。キーファーはオフェンスを組み立てながら、オープンになっているチームメイトを見つけてアシストを増やすことや自身の得点につなげていく。サーディは高い身体能力があり、外国籍選手相手でもリバウンドを奪い、ゴールへアタックできる。私は彼らのコーチというよりも、ファンとして試合を見ていたよ。Bリーグでフィリピン人が競い合うことをすごく誇りに思う。ただし、お互いにマッチアップする時間帯は正直に言って嫌で、見たくなかったんだ。キーファーもサーディも応援していたから、“お互いに得点させてあげたらいいのに”という感じだったよ」(レジー・ヴァリラ)

ラベナ兄弟を高校と大学でコーチしたジョー・シルバ (C)Takashi Aoki
ラベナ兄弟を高校と大学でコーチしたジョー・シルバ (C)Takashi Aoki

 話題性抜群のラベナ兄弟初対決が、フィリピン国内でどんな反応だったかについて聞いてみると、シルバは「コーチだった我々や選手だけでなく、フィリピン国民にも大きなインパクトをもたらした。彼らだけでなく、日本に渡ってBリーグに挑戦しているすべての選手たちがフィリピン人のプライドを刺激し、鼓舞してくれるんだ」と話す。ヴァリラのほうは2人の生い立ちを説明しながら、1勝1敗がみんなにとってハッピーな結果という見方をしていた。

「キーファーはフィリピンで天才と言われた選手。私はジョーのアシスタントとして高校のコーチをしてきたけど、サーディはキーファーの影に隠れるような人生を送ろうとしていた。キーファーはビッグブラザーであり、サーディのことを紹介すると、多くの人が“彼の弟か? ボン(元プロ選手の父)の息子か?”と言ってきた。サーディは大きなプレッシャーの中で育ってきたけど、彼が最初に日本へ渡り、Bリーグでプレーしたことは、フィリピンにとっても彼にとってもすごく大きな意味があったと思う。サーディは自分自身で道を切り開いたんだ。

 ただ、初戦はサーディを気の毒に思ったよ。前半はいいプレーをしていたけど、後半になってキーファーがビッグブラザーとして滋賀の逆転劇をもたらし、サーディが負けてしまった。彼らを比較する人たちは“ああ、またか”という感じになったはずけど、日曜日はサーディが活躍して三遠の逆転勝利。今後は、2人とも高いレベルでプレーし続けることを希望している」

アテネオ・デ・マニラ高でシルバのアシスタントコーチだったレジー・ヴァリラ (C)Takashi Aoki
アテネオ・デ・マニラ高でシルバのアシスタントコーチだったレジー・ヴァリラ (C)Takashi Aoki

 元プロ選手の父ボン、元バレーボール選手の母モジーというアスリートだった両親の下で育ったキーファーとサーディ。小さい頃からバスケットボールで才能を発揮したキーファーは、アテネオ・デ・マニラ高に入学するとすぐにヴァーシティ(1軍)のスター選手になった。一方のサーディは、キーファーを追うようにアテネオ・デ・マニラ高にやってきたものの、選手として開花するまでに時間がかかった。シルバはこう語る。

「高校の1年目、キーファーはすでに天才と言われていた。14歳なのに18〜19歳の子たち相手にプレーし、ファイナルのシリーズには負けてしまったのだけど、その試合で32点を記録したんだ。この時点でキーファーはゲームに大きなインパクトをもたらす存在になっていたし、大学も同様だった。

 サーディは高校のラスト2年間で著しく成長した。1年目はベンチの隅に座り、ほとんど出場機会のない選手だったけど、決意の強さとハードワークによって、キャリアを築いていった。大学時代にオフコートの問題(学業成績)で試合に出られない時期もあったけど、辛抱できる心の強さがあったから、彼はそこから這い上がることができたんだ」

 サーディは三遠入りを決断するまでの3年間、アテネオ・デ・マニラ大をフィリピンのUAAP(大学体育協会)3連覇へと導き、3年連続でファイナルMVP選出。「サーディは元々ベンチウォーマーだったけど、ジョーが彼の素晴らしいところを発見したことに大きな意味があった」と、ヴァリラは話す。

NIKEオールアジアキャンプの通訳でサーディーの親友であるマイク・ホンケイ・シ (C)Takashi Aoki
NIKEオールアジアキャンプの通訳でサーディーの親友であるマイク・ホンケイ・シ (C)Takashi Aoki

 NIKEオールアジアキャンプで通訳を務め、自身もマカオでコーチをしているシは、当時16歳だったサーディが苦闘しているのを実際に見てきた人物。5対5の試合が行われる時のサーディは、8人しかいないチーム構成ながらベンチウォーマーだったという。フィリピン国内とは違い、持ち味の身体能力だけで通用するレベルでないことも、チャンスをもらえなかった要因だった。

「サーディはキャンプでとても苦しんでいた。ある時、彼が“僕がダンクできるの見せられる”と言ってきたけど、結果は失敗。再度挑戦して失敗すると、“ウォームアップが十分じゃなかった。明日見せるよ”と言い訳をしていた。彼はとてもシャイで、自信を持っていない感じだったのをよく覚えている。あの頃からいろいろ振り返ってみると、彼が成し遂げてきたことは信じられないし、本当にすごいと思う」

 2013年のNIKEオールアジアキャンプを訪問していたヴァリラが、「大学のキャリアが終わった後、サーディが日本に行くなんてだれも想像していなかったし、不可能だと思われていた」と語ったように、抜群のセンスと才能を兼備したキーファーと違った道のりで、サーディは自身のキャリアを築くことに成功したのである。

日本で初めて実現したキーファーとサーディのマッチアップ (C)B.LEAGUE
日本で初めて実現したキーファーとサーディのマッチアップ (C)B.LEAGUE

 昨季きっかけを作ったサーディに続き、今季はキーファーら7人のフィリピン人選手がBリーグにやってきた。新潟アルビレックスBBに入団したコービー・バラス(*)が、京都ハンナリーズとの開幕戦で25点の大活躍したことは、ラベナ兄弟の初対決に続き、フィリピンにおけるBリーグの注目度アップに拍車をかけたのは間違いない。

「サーディはパイオニアであり、フィリピンの若い世代を牽引している。彼は海外でプレーするという選択肢を初めて探った選手だ。我々の時代は国内でプロになることがゴールだった。今の世代はNBAを筆頭に、才能を示すことができればどこでもプレーできる。すばらしいことだ。子どもたちが海外でプレーしたい、日本でプレーしたいという風になっている」(シルバ)

「彼らがBリーグでプレーするというのは、フィリピンのバスケットボール界に大きなインパクトをもたらした。だれも海外でプレーしようなんて考えなかったし、不可能だと思われていた。サーディは他の選手に向けて扉を開けたんだ。フィリピンは(新型コロナウィルスの)流行によって、他の国のようにプレーできていない。プロはバブル方式で試合数が限られ、高校や大学の試合は行われていないから、フィリピンの人たちはBリーグを見ているんだ。子どもたちにとっては、あのレベルに到達したいという新しい願望や夢が出てくる。それは日本に限ったものではなく、アメリカやオーストラリアも含まれる」(ヴァリラ)

*サーディとパラスはフィリピン代表として、2013年に3x3のFIBAアジアU18選手権で優勝した経歴を持っている。

Basketball Writer

群馬県前橋市出身。月刊バスケットボール、HOOPの編集者を務めた後、98年10月からライターとしてアメリカ・ミシガン州を拠点に12年間、NBA、WNBA、NCAA、FIBAワールドカップといった国際大会など様々なバスケットボール・イベントを取材。2011年から地元に戻り、高校生やトップリーグといった国内、NIKE ALL ASIA CAMPといったアジアでの取材機会を増やすなど、幅広く活動している。

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