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世界を知る八村世代に直撃! 杉本天昇「U18代表で1試合43点! 俺の存在を忘れてもらっては困る」

青木崇Basketball Writer
現在ニックスに所属するバレット相手にドライブする杉本 (C)FIBA.com

カザフスタン戦の43点は佐藤コーチの下で開花したシュート力が要因

 現在の日本バスケットボール界において、得点力とシュート力という点では、富永啓生(レンジャー・カレッジ)が最も注目されている若手選手だろう。しかし、この2つのエリアに関しては、現在日本大4年生の杉本天昇もすごい。土浦日本大高2年生時に初めてプレーを見た際、今ではよく見られるようになった距離の長い3Pシュート、ディープ・スリーを打って決めることができた数少ない選手という印象を持った。自身のシュート力について、杉本は次のように語る。

「土浦では佐藤(豊)先生から教わりましたが、最初はスリーもままならないシュートフォームでした。1からシュートを教えてもらいましたし、普通に3ポイントラインからではなく、そこから2歩くらい下がったところから打てと佐藤先生から言われていました。高校生の時はこんな遠くから打たないだろうって思っていましたが、“いずれ使うから”とか、“マークが厳しくなった時に打てる”と…。佐藤先生はずっと僕の先を見据えていたのかわかりませんが、ずっと指導してくださって、練習してきたことを自然と試合で出せるようになりました。ロングスリーを打てば、ディフェンスが出てきてドライブを生かせるとか、プレーの幅が広くなりました」

 2015年のウィンターカップ期間中、アンダーカテゴリー日本代表のヘッドコーチだったトーステン・ロイブルに杉本の評価を聞くと、「プレーにちょっと荒いところがある」とコメントしていた。当時の筆者は杉本の代表入りは難しいのかなという印象を持ったが、2016年夏にイランで行われたU18FIBAアジアに出場した日本代表のメンバーに選ばれただけでなく、平均18.4点を記録して2017年のU19ワールドカップ出場権獲得に大きく貢献。カザフスタンとのグループ最終戦は、ベンチから登場しての26分間で5本の3Pシュートを含む43点というパフォーマンスを見せた。

 

2016年のカザフスタン戦で多彩なフィニッシュで43点を記録した杉本 (C)FIBA.com
2016年のカザフスタン戦で多彩なフィニッシュで43点を記録した杉本 (C)FIBA.com

「(代表に)選ばれてアジアに挑戦するということになり、自分自身はとてもワクワクしていたんですけど、普段土浦からあまり出たことがなかったので、自分が行っていいのかというのもありました。インターハイも重なっていたので、出られないことでの不安もあったし、自分だけがチームを出てやっていいのかなという気持もありましたけど、チームの仲間や佐藤先生が“行ってこい!”と押してくれました。U18は世界大会につながるから、僕も他の人もそうですけど、結構気合が入っていました。試合を無心でやっていましたけど、ロイブルコーチが求めていることを僕はひたすらやって、アタックすることや前から(ディフェンスで)プレッシャーをかけたり、当たり前のことを普通にやったことで結果につながったのかなと思います。その時は土浦のチームのためでもあったし、選ばれた責任というのもあったので、かなりがむしゃらに、そしてひたむきにやっていました。海外の試合は掲示板に得点が出るじゃないですか。それで上を見たときに“えっ”と思って、最後のほうは水野幹太(現法政大4年)らポイントガードやっている人たちに“パスをちょっと多くくれ”と言っていた記憶があります。結構行けるじゃないかと思ってやったら、入りましたね」

 杉本がアンダーカテゴリー代表に入れた理由は、得点力とシュート力だけでなく、高校時代の練習で時間の8割を費やしていたというディフェンスだ。高校生になったばかりのことは苦手としていたものの、佐藤コーチの指導と能力の高い先輩たちとのマッチアップで少しずつ上達。ロイブルコーチが求めるディフェンスは、土浦日本大高と似ていたこともプラスに働いた。U18代表での活躍は、U19ワールドカップでもチームに欠かせない戦力となったことを示すに十分だった。

不完全燃焼で終わったU19ワールドカップ

 ゴンザガ大に進学していた八村塁がメンバーに入ったことで、2017年のU19日本代表はチーム力を一気に上げた。イタリアにブザービーターを決められての惜敗で準々決勝進出を逃したものの、世界大会で3勝したこともあって「素晴らしいチームだ」と話したFIBA関係者や他国のコーチは多かった。杉本は最後のプエルトリコ戦で15点を記録するまで、自分の持ち味を発揮する機会が少なかったかもしれない。

 逆転勝ちした韓国戦ではピック&ロールからオフェンスをクリエイトするなど、ポイントガードがプレッシャーでボールを保持しにくい状況になった際、ボールハンドラーの役割をこなせるコンボガードとしてのポテンシャルを感じさせた。しかし、杉本自身にとっては世界レベルとの差を痛感し、悔しい思いをした大会でしかなかった。

「見ている人にはわからないかもしれないですけど、自分で体感してから試合を見ていると、“能力が高いな”とか“すごいな”とか思うんです。実際どうなんだろうなというのがあって、当たってみないとわからないところがありました。当たった瞬間に1本のミスが命取りというか、流れで一気にやられるとわかりました。技術もそうですし、日本より断然レベルが高いのに泥臭くやってくるとか、すごく当たり前のことを当たり前に、しかもひたむきに…。そして、コミュニケーション能力もすごくて、日本は流れが悪くなってしまうと静かになってしまうところが、違いなのかなと思いました。コート上でもすごく言い合いをしているし、そこはちょっと足りなかったのかなと。日本のチームでもそうですけど、僕自身もそうなのかなと思います。U18は達成感がすごかったんですけど、U19に関しては後悔がありました。世界大会というのはいろいろな人が出られるわけじゃないし、もうちょっと爪痕を残したかった、もう少しやれたんじゃないか、あのチームならもっと上に行けたんじゃないかと…」

中学2年生の時に始まった八村塁との接点

 杉本と八村の出会いは2012年夏の全国中学校バスケットボール大会。杉本の秋田市立山王中と八村の富山市立奥田中が、準々決勝で対戦した時だ。杉本は2年生ながら八村の10点を上回る20点(ゲーム最多)を奪ったものの、笹倉怜寿(現仙台89ers)ら総合力で上回った奥田中に50対68で敗戦。中学時代の雪辱を果たす機会は、杉本が高校2年の時にやってくる。それは2015年のウィンターカップの決勝で、八村が大エースとなった明成高の3連覇阻止を目指す戦いでもあった。

 試合は一進一退の攻防になったが、4Qに明成高が土浦日本大高を引き離して78対73で勝利。八村はU17代表でチームメイトだった平岩玄(現アルバルク東京)と軍司泰人にハードにディフェンスされながらも、34点、19リバウンドという大活躍だった。杉本は14点を記録したものの、中学時代とまったく違う姿に圧倒されたという。

「僕が初めて会った時の全中と、ウィンターカップで当たった時の塁さんは別格に違っていました。印象的だったのが、思い切りブロックされた後に吠えられ、敵ながら“ヤバイな、すごいな”と思ったくらい。ボール持ったら絶対点が入るみたいなくらい驚異的だったので、平岩さんと軍司さんの2人がかり(のディフェンス)でも厳しかったです。ゴール下で落とすのを神に願うしかなかったくらいの威圧感でしたし、玄さんも軍司さんもすごいと言っていました」

秋田の実家からZoomを通じての取材を受けてくれた杉本 (C)Takashi Aoki
秋田の実家からZoomを通じての取材を受けてくれた杉本 (C)Takashi Aoki

 八村はその後、日本代表の得点源となり、ワシントン・ウィザーズの一員として堂々とプレーするなど大きく飛躍。杉本のほうは日本大に進学したものの、チームとして結果が出せないことに苦しい時期を過ごすことも増えていく。それでも、八村がドラフトされた直後にお祝いのメッセージを送ると、すぐに返事が来たことにうれしさを感じたと同時に、よりモチベーションを上げなければという思いが芽生えた。

 大学でプレーしながら3X3の大会に出場することで、杉本は瞬時の判断力がレベルアップしていることを実感。昨季終盤に特別指定選手として入団したレバンガ北海道では、日本大の大先輩である折茂武彦や桜井良太からいろいろを学んだ。北海道の活動が終わった後は、新型コロナウィルス感染者が少ない秋田の実家に戻り、地元のクラブチームの練習に参加することでバスケットボール感覚を失わないように生活している。

 依然として大学の公式戦がいつ行われるかわからない状況だが、「4年間で日本大学は結果を残せていないので、4年の集大成として結果を残して終わりたい。日本大学に入学してよかったと思える結果を出せたらいいなと思っています」と、杉本は自分の存在を改めて日本のバスケットボールファンにアピールするつもりだ。それは、プロの選手となって活躍し、2023年のワールドカップで再び八村のチームメイトとして強豪国と戦い、世界を驚かせたいという思いを実現するための第一歩を意味している。

Basketball Writer

群馬県前橋市出身。月刊バスケットボール、HOOPの編集者を務めた後、98年10月からライターとしてアメリカ・ミシガン州を拠点に12年間、NBA、WNBA、NCAA、FIBAワールドカップといった国際大会など様々なバスケットボール・イベントを取材。2011年から地元に戻り、高校生やトップリーグといった国内、NIKE ALL ASIA CAMPといったアジアでの取材機会を増やすなど、幅広く活動している。

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