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ジョシュ・ハレルソン:NCAAの名門、NBA、Bリーグでキャリアを積み重ねて実現した日本代表デビュー

青木崇Basketball Writer
日本代表デビュー戦で3本の3P成功させたハレルソン (C)FIBA

「たくさんの感情があった。 このユニフォームを着て、自分よりもずっと大きな存在を表現する。国の代表であることは、私にとってそのような感情を持つ初めての機会であり、素晴らしい気分になった。ここに至るまでには長いプロセスが必要だったけど、ようやくこの機会を得ることができた。日本に来て8年目、日本を代表するこの機会を逃すわけにはいかなかったし、コーチが今夜私にプレーする機会を与えてくれた。ここに来られたことにとても感謝しているし、すごく幸せだ。だからこそ、私はコートに出たら日本代表として全力を尽くしたかった。今夜勝利できたことがとてもうれしい」

 昨年日本国籍を取得したジョシュ・ハレルソンは、FIBAアジアカップ予選のグアム戦で代表デビュー。32分4秒の出場時間で3P3本を含む11点、21リバウンドを記録して勝利に大きく貢献した。日本代表のトム・ホーバスコーチは、ハレルソンを次のように評価する。

「これまでの合宿を含めて、ジョシュは素晴らしかった。 21リバウンド、それこそが彼にできることだ。 そして、彼はバスケット周辺をディフェンスすることができる。 ゴールの下で強固な壁となるという素晴らしい仕事をしていたし、グアムは彼への対処に苦労していた」

 ハレルソンが選手として脚光を浴びるようになったのは、NCAAトーナメント優勝8回という伝統校、ケンタッキー大の4年生だった2010−11シーズン。ジョン・カリパリがメンフィス大からやってから2年目のことだった。こんなエピソードがある。シーズン開幕前のスクリメージで、ハレルソンは26リバウンドを記録。しかし、カリパリは「全米で最悪のオフェンシブ・リバウンドチームになるか、彼がもっと良くなるかのどちらかだ」とコメントしていた。

 それを知ったハレルソンは「自分にとって素晴らしい、良い仕事や行く方法を得ることができない」とツイート。カリパリはその後ツイッターのアカウントを閉じることとコンディション向上を目的としたドリルの追加を強制したが、この一件以降ハレルソンにより目を配るようになったのである。コーチへの反発と捉えられても仕方ない行為をしたかもしれないが、選手キャリアを好転させるターニング・ポイントになったのは間違いない。

 このシーズンのハレルソンは、38試合中16試合で2桁のリバウンドを記録し、得点とのダブルダブルを8度達成。NCAAトーナメントではプリンストン大戦とウエスト・バージニア大戦で15点、オハイオ・ステイト大戦で17点・10リバウンド、ノースカロライナ大戦で12点・8リバウンドを記録。ケンタッキー大のファイナルフォー進出に大きく貢献し、東地区(大学の所在地ではなく、試合の開催地を意味する地区)のベスト5に選ばれたのである。

 2010−11シーズンでの活躍は、ハレルソンがプロのバスケットボール選手として長いキャリアを続けられるうえでの出発点になった。2011年のドラフト2巡目45位でニューオーリンズ・ホーネッツ(現ペリカンズ)に指名され、当日にトレードされたニューヨーク・ニックスでNBAデビューを果たす。

 持ち味となっている3Pショットは、NBAで生き残るために必要だと認識し、ケンタッキー大のキャリアを終えた後のハードワークによって手に入れたもの。2011年12月31日のサクラメント・キングス戦では、4本の3Pを含む14点・12リバウンドを記録してニックスの勝利に大きく貢献。これはハレルソンのNBAキャリアにおけるベストゲームの一つと言ってもいい。

 NBAのキャリアは3シーズンのトータルで75試合の出場だったが、2016年に来日して以来、大阪エヴェッサ、サンロッカーズ渋谷、福島ファイアーボンズ、佐賀バルーナーズで3Pとリバウンドの強さが特徴のビッグマンとして活躍しているのは、多くのBリーグファンならご存知のはず。

 FIBAアジアカップ予選のグアム戦は、ハレルソンの良さが存分に発揮された試合と言っていい。チームとして1Qになかなかショットが入らない中で3本の3Pショットを決め、リードを奪うきっかけを作った。オフェンス・システムの順応にはまだまだ時間が必要としながらも、できる仕事を着実にこなしていたことは、ホーバスコーチの言葉でも明らかだ。

「オフェンス面でも彼は素晴らしかった。特にピック&ポップ。 これが私たちと一緒に行う初めてのゲームだったから、私からのアドバイスは、もう少しダイブしてバランスを保つように努めること。なぜなら、彼がダイブすると相手ディフェンスがインサイドに入るからだ。そうすれば、スペースができる可能性が高まる。それができない場合は、彼はフィニッシュできないことになる。しかし、それは私たちの成長の一部だ。 私たちが一緒にやるのはこれが初めてであり、 彼は私やチームのことを学んでいて、私たちも彼から学んでいるところだ」

ウォームアップ時にリラックスムードで富樫と会話するハレルソン (C)FIBA.com
ウォームアップ時にリラックスムードで富樫と会話するハレルソン (C)FIBA.com

 本格的にバスケットボールを始めたのが14歳のときで、高校卒業後にジュニア・カレッジ、サザン・イリノイ大、ケンタッキー大、NBA、中国、ヨーロッパ、日本でプレーをしてきたハレルソン。青く染まるケンタッキー大のラップアリーナに2万人以上の熱狂的なファンで埋まる中で何度もプレーし、NCAAファイナルフォーでは7万5431人の観客が見守る中での試合を経験している。数々のビッグゲームをプレーしてきたハレルソンでも、日本代表デビューとなったグアム戦は、長いキャリアの中でも一生忘れることのない試合になったのは間違いない。

「このユニフォームを着たとき、たくさんの思い出が頭をよぎった。(有明コロシアムの)周りを見回すと、昔、たくさんの観客で埋まった大学のアリーナにいたことを思い出した。 ケンタッキー大でプレーし、何千人、数万人もの人々の前でプレーしたことをね。だから、ちょっとしたフラッシュバックだった。もしかしたら、そういったことがコートに出て戦うために、勢いとエナジーを私に与えてくれたのかもしれない。それは本当に素晴らしい瞬間であり、素晴らしい機会だった」

Basketball Writer

群馬県前橋市出身。月刊バスケットボール、HOOPの編集者を務めた後、98年10月からライターとしてアメリカ・ミシガン州を拠点に12年間、NBA、WNBA、NCAA、FIBAワールドカップといった国際大会など様々なバスケットボール・イベントを取材。2011年から地元に戻り、高校生やトップリーグといった国内、NIKE ALL ASIA CAMPといったアジアでの取材機会を増やすなど、幅広く活動している。

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