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OKCサンダーガール平田恵衣:海外を目指す若者へ「他と違うことを恐れなくなったら強い」

青木崇Basketball Writer
4度目のオーディションを前に心境を語った平田 (C)Takashi Aoki

 昨年夏、平田恵衣は4年のブランクを経て、再びオクラホマシティ・サンダーのダンスチーム、サンダーガールに復帰した。その原動力となったのが、小学校を訪問した際に子どもたちから「もう1度やらないの? どうして辞めたの?」と言われ、お互い夢に向かって努力するという約束。新潟アルビレックスBBや福島ファイヤーボンズのディレクターとして働いていた平田にとって、サンダーガールに復帰することは大きなチャレンジだったが、見事に合格してオクラホマシティの地に渡った。ただし、過去2シーズンの経験があったといえ、3シーズン目は葛藤の中で過ごす日々が続いたのである。

「何シーズン経ってもチームメイトと本当にソウル的な部分からのつながりを感じられたりとか、関係構築ができるようになったなと思うようになるまでには、結構壁があるなとすごく感じていました。チームメイトと仲良くなるという意味では、シーズンを重ねるごとにより距離が縮まった実感があったんですけど、心の部分でつながるのは言葉とか文化の壁が3年経ってもまだまだあるな、というシーズンを送っている中、そういったところが控え目だったりとか、周りのアメリカ人と比べたら自分ができないところだなと思ったことがあったんです」

 そんな平田の心境に変化をもたらしたのが、シーズン終了後に行われたバンケット(納会のようなイベント)で、Miss Congeniality Awardに選ばれたこと。この賞を簡単に説明すると、最も親切で一緒にいて楽しかった人に該当する。自分の立場で悩んでいたが、サンダーガールのチーム内でやってきた普段の行動は、決してまちがっていなかったことを示すものだった。

「一つはチームメイトと分け隔てなくコミュニケーションをとっていたり、親しくしていたりなど、いい関係が築けていたこと。もう一つは、コーチにリスペクトの気持ちを持って接して敬っている人。さらに、練習と試合でポジティブな環境をもたらしてくれた人、最後が試合とかイベントで接したファンの方が自分は特別なファンだと感じられるサービスができる人。そのイメージ像に一番近いメンバーをそれぞれが投票するんですけど、そういった賞をいただくことができて、自分は周りと違ってアメリカ人として生まれて育った子たちが持っている共通点、同じアニメを見て育ったとか、ティーンエイジャーの時に同じ歌を口にしたとか、ロッカールームでの会話に入っていけない部分がありました。

 そういうものが違うなと思ったり、通じ合う共通項がなかなかないですね。そういったところで壁を感じるなとか、一歩踏み込めないとか、理想と現実(の違い)をずっと感じていたけれども、結局はこういう人が選ばれるのを見ると、日本で生まれて育ったから自然とできることを大切にしてやってきた積み重ねがあるからこそ選んでもらえた。違うというところが受賞につながった、ユニークであること、日本人らしくあることとかですね。

 アメリカ人みたいに自信満々で何かを発言するとか、人を差し置いて自分をアピールするとかがもちろん大切なこともあるんですけど、そういうことができなかったけども賞につながったというのは、チームワークとか協調性、和の心を評価していただいたと思います。賞をいただいたことで違っていいんだな、違うことにもっと誇りを持っていい、日本人らしく、アメリカのチームにいるからと言ってアメリカ人みたいに必ずしも合わせる必要はなく、自分のルーツを大切にして、今までのままでいいんだなと思ったのです。そういったところで悩んでいるアスリート、何かしらで海外で挑戦している人がぶち当たる壁じゃないかなと思うので、例えばBリーグが盛り上がってユースの世代からNBAのユースキャンプだったり、挑戦している子たちを見ていると、そういったことが伝わったらいいなと思ったのです」

 サンダーガールとしての3年目、平田が他のチームメイトにない個性をいい形で出せたからこそのアワード受賞であり、“見ている人はしっかり見ている”ということは、どの世界でも同じと認識させるに十分だった。サンダーガールとしてのメインの活動は、アリーナでの応援とダンスパフォーマンスである。しかし、サンダーはオクラホマ州で唯一のメジャープロスポーツチームということもあり、イベントの出演や社会貢献活動を200件以上こなさなければならない。ダンス以外のコミュニケーション能力、公共的な思考、ファンとの接し方や人柄も重要なのだ。これらのエリアで存在感を発揮できたことにより、コーチやチームメイトに改めて認められたのだ。これまでのキャリアについて、平田は次のように振り返る。

「1回目の挑戦は自分が憧れていて、NBAのステージに立ちたい、チアリーダーになりたいという自分のためにというところでしたが、2シーズン目に地域が好きになって、サンダーファンの方たちのために頑張りたいということでした。3シーズン目は自分のために頑張る力がない、ただ好きなことでもやり切って現役としては満足できたし、体力的にもキャリア的にも指導者という次のキャリアにしよう、現役に戻るパッションというものではなかったですね。けれども、子どもたちがきっかけで、子どもたちのためならば頑張れるかも、結果に結びつくかもしれないからやってみようと。そして合格することができたのは彼らの力ですし、このシーズンも毎試合毎試合チアリーダーの活動、応援だったりダンスだったり、すごく忙しくて体力的に消耗するんですよね。毎ホームゲーム後に引退したいと思って41試合とプレーオフを戦ったわけですけど、それを乗り越えられたのは子どもたちと約束したからで、辞めるわけにはいかないということ。本来自分の夢のためだから力が出るものだと思いますが、プラスアルファの理由、子どもたちのためにやるという柱があったのはすごく心強かったですし、やり切れましたね」

 アワード受賞を手土産に引退というシナリオもあったが、サンダーガール、サンダーというチーム、そしてオクラホマシティに対する強い愛情もあり、7月下旬に4度目のオーディションに臨んだ。

 結果は見事合格。「コーチと他のメンバーの間に入る潤滑油のような存在になれればと思います。アワードをもらえる理由となったポジティブな雰囲気を醸し出したい。身体の維持は年々難しくなっていますが、そういった姿、健康でいる大事さをチームメイトに伝えられたら、パフォーマンスをできる状態にメンテナンスすることの大切さを伝えられたら」という気持で、平田は4シーズン目に挑むつもりだ。取材の最後にには、夢を持っている少年少女に対し、自身の経験から伝えたいメッセージを次のように話した。

「まずは挑戦。子どもたちに伝えたのは、勇気を持って失敗しつつも挑戦すること。何に対して挑戦するかというと、自分が情熱を持てるか、一生懸命になれるかというものを大切にして頑張る、努力すること。まずは一歩踏み出そうというのを伝えてきました。その後にどんな状況が待ち構えているのか、いろいろはバリア、文化や言葉、育った環境や教え方、何が正しいかなど。日本だったら大人しく先生の言うことを聞くことが正しいとされているけど、アメリカだと意見を言うだとか、言われたことに対して違うと思うことを言葉で表現する。表現するといっても相手の捉え方はいろいろある。言葉を選んでどのようにしたら、どの意味で伝わるか、どう言えば適切なのか。そういったところには何段もの階段があって、なかなかすぐにその域に到達できない状況がある中で、私の経験を通して言えることは、違うことに誇りを持って、今回訪問した学校ではそう伝えて、そこに価値があると。日本にいたら普通のことでも、海外に出たらそこに価値があると。自分のルーツをないがしろにしないで、大切にしてそれをプラスにできたときにユニークな存在でいられたのかなと思います」

 

Basketball Writer

群馬県前橋市出身。月刊バスケットボール、HOOPの編集者を務めた後、98年10月からライターとしてアメリカ・ミシガン州を拠点に12年間、NBA、WNBA、NCAA、FIBAワールドカップといった国際大会など様々なバスケットボール・イベントを取材。2011年から地元に戻り、高校生やトップリーグといった国内、NIKE ALL ASIA CAMPといったアジアでの取材機会を増やすなど、幅広く活動している。

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