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【栃木ブレックス比江島慎】言葉の壁は予想以上も、オーストラリア挑戦に後悔なし。より強まった上昇志向

青木崇Basketball Writer
(C)Hiroshi Kato/Stellalien Basketball

 昨季BリーグのMVPとなった比江島慎にとって、オーストラリアのNBLでプレーできるという機会は、長年希望していた海外挑戦という点で絶好の機会。いろいろ準備をしてきた中での挑戦だったが、現実は出場機会を得られない日々が長期化していく。NBLプレーオフに進出できる可能性を理由に、ブリスベン・ブレッツが新たな戦力を補強するために比江島を手放したことは、プロスポーツというビジネスであることを再認識させるものだった。

 ブレッツを去った後、比江島が夏に一度契約合意していた栃木ブレックスへ入団することは、自然の成り行きと言っていいだろう。帰国を前に田臥勇太と話をした際について、「本当にポジティブなことしか言わなかったし、比江島とプレーするのが楽しみと言ってくれたので、自分も早く栃木でプレーしたいという気持になりました」という言葉が出たことでも明らかだ。

 2015年のアジア選手権(現アジアカップ)以降、比江島は日本代表の得点源として存在感を示し、ニュージーランドとフィリピンで代表指揮官を務めたタブ・ボールドウィン、ブレッツとオーストラリア代表のコーチを兼任するアンドレイ・レマニスら、アジアで代表を指揮する人物に評価されていた。滋賀レイクスターズを率いるオーストラリア人コーチ、ショーン・デニスとのつながりがブレッツ入りのきっかけになったといえ、実力を認められたからこそのNBL入りだったことにまちがいはない。

プレシーズンゲームで得意のドライブを見せる比江島 (C)Hiroshi Kato/Brisbane Bullets/NBL
プレシーズンゲームで得意のドライブを見せる比江島 (C)Hiroshi Kato/Brisbane Bullets/NBL

 しかし、比江島が出場機会を得られるローテーションに入れなかったのは、言葉の壁があまりにも大きかったことに尽きる。1月14日に行われた栃木への入団記者会見で、次のようなコメントを残した。

「プレー面ではやはり、日本で体験できない高さだったり、フィジカルだったりという部分、オーストラリアで体験できた。そういった部分ではある程度成長できたというか、ドライブの質やシュートセレクションをしっかり見極めないと、向こうでは通用しないとわかりました。成長できていると思いましたし、コミュニケーションが大事なスポーツだなと感じたので、そういったところは日本でもできると思いますし、そんなにリーダーシップを取れる性格じゃないですけど、栃木でやっていければいいなと思います」

 これを聞いた直後、改めて言葉の壁について質問すると、比江島は予想以上に厳しかったことを素直に認める。

「自分がもっと準備をしてから行けばよかったなと思ったんですけど、想像していた以上に言葉の壁というのは大きくて、みんなの共通言語が英語で、試合中でもしっかりコミュニケーションをとったり、その中でどうしても早いと言いますか、そういったところも難しい部分があった。でも、ライアン(ロシター)だったり、ジェフ(ギブス)だったり、そういった選手とコミュニケーションを取るためにも、英語をもっと勉強しなければならないと思いましたし、コミュニケーションをしっかり取っていきたいと思いました。それは日本でもできると思うので、継続してやっていきたいと思います」

 ブリスベンに渡ってからの比江島は、練習と試合の合間にネイティブ・スピーカーによる個別レッスンを受けながら、英語を一生懸命に勉強。また、マット・ホッジソンらチームメイトと食事に出かけるなど、積極的な交流を図ることで少しでも英語を上達させたいという姿勢が出るようになった。しかし、オンコートのコミュニケーションになると、言葉の壁をなかなか乗り越えられずにいたのはまちがいない。

仲良しのチームメイトだったマット・ホッジソンとツーショット (C)Hiroshi Kato/Brisbane Bullets/NBL
仲良しのチームメイトだったマット・ホッジソンとツーショット (C)Hiroshi Kato/Brisbane Bullets/NBL

 現在ゴンザガ大のエースとして活躍中の八村塁も、1年生の時は言葉の壁が原因でなかなか出場機会を得られない状況に直面した。海外でプレーすること、特にプロ選手としてということであれば、英語を理解し、話せることは必須条件と言っていい。通訳を介してのコーチングをしているデニスが、「チームメイトに同じ言葉を話せる選手がいなかったのは、彼にとって大変だったと思う。滋賀でコーチしているけど、伊藤大司や西裕太郎という英語を話せる選手がいることで、自分はすごく助かっている」と語るように、比江島を受け入れたブレッツに不慣れな部分があったことは否めない。Bリーグでプレーする外国籍選手には、基本的に英語を話すチームメイトがいる。そういった視点で考えてみると、「楽しむことを忘れる時期があった」と口にした比江島が、自らの意思で厳しい環境に飛び込んだことはリスペクトするしかない。

「Bリーグから挑戦ということで、いろいろな方が応援してくださったと思うんですけど、その期待に応えられなかったのは申し訳ないと思っています。アジア枠で行ったんですけど、助っ人、外国人という立場で結果を残せなかったというのは、リリースされるというのも当然なことだと思います」

 こう話した比江島は、栃木のB1制覇に貢献することと、日本代表としてワールドカップに出場することを目先の目標にしている。もし、NBAやユーロリーグのGMやスカウトがチェックするワールドカップで活躍できれば、新たな道筋が開くきっかけになるかもしれない。比江島のマネジメント会社を経営する兄の章さんは、「日本にいる時とは全然違う」と、英語の勉強を含めた取り組む姿勢の変化を前向きに捉えている。チャンスが再び巡ってきた場合、東京オリンピックにつながる最善な環境だと決断できれば、比江島が海外でプレーするという選択をしても決して驚かない。

 サッカー選手として海外経験が豊富な本田圭佑との出会いで大きな刺激を受け、オーストラリアで挑戦したことへの後悔はまったくない。元々苦手な自己主張ができるもう一人の自分を作るべく、上昇志向が強まった比江島のチャレンジはこれからも続く。

Basketball Writer

群馬県前橋市出身。月刊バスケットボール、HOOPの編集者を務めた後、98年10月からライターとしてアメリカ・ミシガン州を拠点に12年間、NBA、WNBA、NCAA、FIBAワールドカップといった国際大会など様々なバスケットボール・イベントを取材。2011年から地元に戻り、高校生やトップリーグといった国内、NIKE ALL ASIA CAMPといったアジアでの取材機会を増やすなど、幅広く活動している。

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