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イラク:アメリカ軍が「イランの民兵」をいくら撃っても解決しない問題

髙岡豊中東の専門家(こぶた総合研究所代表)
(写真:ロイター/アフロ)

 2024年2月8日未明(日本時間)、イラクの首都バグダードの市街地でアメリカ軍が車両を爆撃し、乗っていた「ヒズブッラー部隊(カターイブ・ヒズボラ)」の幹部を殺害した。1月28日にヨルダンにあるアメリカ軍施設が攻撃され、アメリカ兵3人が死亡した事件の「報復」だそうだ。過去数年、「イラクのイスラーム抵抗運動」を名乗る諸派によるイラクやシリアにあるアメリカ軍の施設への攻撃が相次いでいたが、アメリカ軍は「ヒズブッラー部隊」が攻撃の実行者と主張して同派を攻撃している。「イラクのイスラーム抵抗運動」は、中東の政情の文脈で「イランの民兵」と呼ばれる諸派の連合で、事態をぼんやり眺めているとアメリカとイランとがイラクを舞台に争っているかのように見える。スーダーニー首相をはじめとするイラク政府の高官らは、イラク領は他所の諸国同士の争いの清算をする場所ではないと再三訴えているが、アメリカもイランも「イランの民兵」もそれに耳を貸す気配はない。

 この問題で面倒なのは、「イランの民兵」を殲滅したり、「黙らせたり」することによって地域の安寧が実現するとは限らないことだ。もちろん、「イランの民兵」を排除すればイラクの政治が清く正しく安定したものになる保証も皆無だ。というのも、現在「イランの民兵」としてアメリカとその仲間たちに忌避されている団体の一部は、2003年のイラク戦争で当時のサッダーム・フセイン政権に対する「反体制派」としてアメリカとその仲間たちの戦車に乗ってイラクに「帰ってきた」政治勢力・民兵の流れを汲むものだからだ。「バドル軍団(現在は「バドル機構」)」は、1980年代にイランの支援を受けて現れた反フセイン政権の民兵だったが、イラク戦争後はイラクの政治過程に欠かせない政治勢力・民兵として振る舞っている。一方、こちらも老舗の「イランの民兵」の「アサーイブ・アフル・ハック」は、2008年頃にムクタダー・サドル派の民兵から分裂して発足したものだ。現在サドル派は「イランの民兵」とはみなされていないが「アサーイブ・アフル・ハック」は「イランの民兵」の代表格で、2013年には同派からは同じく「イランの民兵」として著名な「ヌジャバー運動」が分裂したそうだ。

 今般の事態の「主役」である「ヒズブッラー部隊」は、2006年頃にイラン型の統治原理「法学者の統治」を信奉する諸派を糾合して発足したものらしい。同派は、最大で3万人程度の兵力を擁すると推定されている。レバノンのヒズブッラーの「支部」扱いする文献や報道もあるが、両者の間にそのような組織的なつながりは存在せず、レバノンのヒズブッラーと「ヒズブッラー部隊」は別団体だ。ここまででも、イラクでは多くの民兵が活動しており、「イランの民兵」と呼ばれるものも有力な団体が複数あるなど、面倒なことこの上ない。このようにして「イランの民兵」が割拠するのは、イラクで民兵を擁する政治勢力や政治指導者同士の不仲や、諸政治勢力にとって「大同団結しない方が得」に設計されているイラクの政治制度も一因だ。また、民兵やイラクの政治へのイランの「干渉」を重視するなら、イランは特定の民兵が強くなりすぎて「自立」するのを嫌い、常に「程よい」規模で「イランの民兵」が分立するように差配していると主張することも可能だ。

 繰り返しになるが、「イランの民兵」の多くは、2014年以降「人民動員隊」という連合を組んで「イスラーム国」との戦闘の最前線に立ってきた。もちろん、アメリカが率いる「イスラーム国」対策のための連合軍も、「人民動員隊」と共闘関係にあり、彼らなしには成果を上げられなかった。こうした経緯もあって、イラクの国会では2016年に「人民動員隊」の処遇に関する立法措置を講じ、今や「人民動員隊」はイラクの治安部隊として公的地位を享受している。この度のアメリカ軍による「ヒズブッラー部隊」幹部の暗殺にも、さっそく「イランの民兵」諸派から反応が出ているが「ヌジャバー運動」は民兵諸派が「イラク政府の公的機関である」点を強調する非難声明を発表した。本来、イラクの正規軍・治安部隊がまともに機能していれば民兵は必要ないはずなのだが、軍・治安部隊の育成は成功していない。そもそも、2014年に正規軍・治安部隊が「イスラーム国」に大敗を喫したことが、「人民動員隊」発足の契機だ。ここでは、2003年以来イラク軍・治安部隊を「育成・支援」してきたアメリカをはじめとする諸国の軍や関係機関の無能と怠惰をしっかり反省すべきだ。このままでは、2021年春から夏にかけてアメリカ軍の撤退を前にもろくも瓦解したアフガニスタンの軍・治安部隊の例を繰り返すことも考えられない話ではない。考え方によっては、いつまでたってもイラクの軍・治安部隊が無力で自立不能ならばアメリカ軍のイラク駐留を永続化できることにもなるので、どんなに資源を費やしてもイラク軍・治安部隊は「アメリカ軍に依存し続ける」程度に有能な存在にしかならないという悲観的な未来も否定できない。

 イラクでいつまでたっても民兵が必要な理由としては、民兵の出自や輩出基盤も考えなくてはならない。イラクに存在する民兵諸派は、単なる軍閥や盗賊の類ではなく、その指導者たちはイラクの部族や宗教界や民族集団など、イラク社会の構成要素を代表する者たちだ。これを政治的・軍事的に排除するのは容易ではないし、それを強行すればイラクの政治に大きな混乱をもたらすだろう。残念ながら、イラクにおける「イランの民兵」は、イラクの政治過程・政治体制を抜本的に改変しない限り、同国にとって、そしてより広い地域全体にとって「ないと困る」存在だ。もし「イランの民兵」が「紛争拡大」や「緊張激化」の原因だというのならば、「イランの民兵」の問題が単純な二項対立にしか見えないくらい粗雑な状況認識に問題がある。

中東の専門家(こぶた総合研究所代表)

新潟県出身。早稲田大学教育学部 卒(1998年)、上智大学で博士号(地域研究)取得(2011年)。著書に『現代シリアの部族と政治・社会 : ユーフラテス河沿岸地域・ジャジーラ地域の部族の政治・社会的役割分析』三元社、『「イスラーム国」がわかる45のキーワード』明石書店、『「テロとの戦い」との闘い あるいはイスラーム過激派の変貌』東京外国語大学出版会、『シリア紛争と民兵』晃洋書房など。

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