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シリア:アメリカはクルド民族主義勢力を再び「売る」

髙岡豊中東の専門家(こぶた総合研究所代表)
(写真:イメージマート)

 過去数日、トルコ軍によるシリア領への攻撃が激化している。これは、トルコ政府が2022年11月13日にイスタンブールで発生した爆破事件を、シリアで活動するクルド民族主義勢力の仕業と決めつけ、事件に対する反撃なり、「テロ対策」なりとして攻撃を強化しているからだ。攻撃は発電所にも及び、現時点でも民間人の生活に悪影響を及ぼしている。もっとも、トルコによるシリア領内での送電網や水道網に対する破壊行為や操業妨害は日常茶飯事と化しており、国際的にも全く顧みられていない。そうした中、トルコのエルドアン大統領がシリア領に対する地上部隊の侵攻の意図を公言し、シリアの北東部を占拠するクルド民族主義勢力に不安が広がっている。

2022年11月24日付の『シャルク・ル・アウサト』紙(サウジ資本の汎アラブ紙)は、「シリアのクルド人たちはバイデン政権が“我々を売った”ことを懸念する」との見出しで、クルド民族主義勢力の不安を報じている。報道によると、アメリカが支援する「シリア民主軍」(SDF)は、2019年に当時のトランプ政権が侵攻を止めなかった事態が今後も繰り返されることを恐れている。アメリカがSDFを支援する目的が、シリア北東部の安定化や同地での「イスラーム国」の討伐ならば、トルコがSDFを攻撃することは望ましいことではないはずだ。しかし、アメリカの高官はトルコに対し「トルコは“テロ攻撃”から自衛する権利がある」と表明しており、SDFから見ればこれは2019年の侵攻の際と同様、アメリカがトルコに侵攻の「青信号」を出したものと解されている。SDFやクルド民族主義勢力の政治機関は、バイデン大統領にメッセージを送ったり、アメリカの高官と接触を図ったりしているが、現時点でアメリカ側からのめぼしい反応はないそうだ。ちなみに、シリアとトルコとの国境地帯にはロシア軍も拠点を設けたりパトロールを実施したりしているが、最近のトルコ軍の攻撃ではロシア軍の拠点も攻撃を受けるなどしており、ロシアの存在がトルコを抑止するかはおぼつかない。

 このような状況で思い出されるのは、2019年の侵攻の際にアメリカの政界や世論の一部で生じた、「アメリカは同盟者を見捨てるのか?」という疑問や批判である。アメリカは、シリア紛争に干渉するに際し、「悪の独裁政権」であるシリア政府を打倒することにも、「イスラーム国」を討伐することにも自腹を切る意思も能力もなかった。そのため、アメリカはシリアに干渉するための現地の提携勢力(=コマ)を必要としたが、「反体制派」の中から適任者を見出すことができず、最後の選択肢としてクルド民族主義勢力を提携勢力として選んだのだ。この結果、シリアにおけるアメリカの提携勢力は、アメリカの同盟国のトルコにとっては不倶戴天の敵、テロ組織であるクルディスタン労働者党(PKK)の仲間であるSDFしかいないという、錯綜した関係となった。最近のトルコの攻撃は、SDFの占拠地にある社会基盤や、「イスラーム国」の構成員やその家族を収容するフール・キャンプにも及んでいるため、SDFはトルコの攻撃は地域の安定や「イスラーム国」討伐の努力を損なうと主張している。しかし、アメリカがシリア北東部をはじめとするシリアとイラクとの国境地帯に拠点を設けている目的は、「悪の独裁政権」の打倒やその後の民主的な体制構築でも、「イスラーム国」の討伐でもなく、「イランの勢力伸張」を妨害することへと移行した。つまり、イランがイラクを経由して陸路でシリアへと勢力を伸ばすのを邪魔することさえできれば、シリアのクルド人の安寧や権利は犠牲にしてもたいして心が痛まないということだ。この点については、2019年のトルコの侵攻の際にもアメリカが自ら犠牲を払ってまでSDFを保護してやることなど当初から想定できず、問題は「アメリカがいつ、どのようにSDFなどを切り捨てるか」に過ぎないと指摘した通りである。

 2022年に入ると、トルコとシリアとの「手打ち」についての憶測が頻繁に流布するようになり、両国が情報機関レベルで接触している件や、アサド大統領とエルドアン大統領の会談の可能性についての報道も現れている。また、現在ロシア、トルコ、イランを「保証国」としてシリア紛争の打開を図る「アスタナプロセス」の第19回会合が開催中だが、「アスタナプロセス」ではクルド民族主義勢力を意図した「分離主義」への反対、シリアの主権と領土の尊重が毎度謳われている。トルコによる侵攻や占領がシリア主権と領土を侵害していることは言うまでもないが、クルド民族主義勢力をたたくという点については、シリアも、トルコも、「アスタナプロセス」の他の「保証国」も一向に構わないということだ。シリア、ロシア、イランの立場から見れば、アメリカの同盟国のトルコがシリアにおけるアメリカのコマであるSDFをたたき、その結果アメリカの威信やシリアへの干渉圧力が低下するのはむしろ喜ばしいことだろう。シリア政府は2019年の侵攻の際もロシアとトルコとの交渉を通じて制圧地・管轄権の拡大に成功しており、トルコによる新たな侵攻があった際にも同様の振る舞いをすることだろう。

中東の専門家(こぶた総合研究所代表)

新潟県出身。早稲田大学教育学部 卒(1998年)、上智大学で博士号(地域研究)取得(2011年)。著書に『現代シリアの部族と政治・社会 : ユーフラテス河沿岸地域・ジャジーラ地域の部族の政治・社会的役割分析』三元社、『「イスラーム国」がわかる45のキーワード』明石書店、『「テロとの戦い」との闘い あるいはイスラーム過激派の変貌』東京外国語大学出版会、『シリア紛争と民兵』晃洋書房など。

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