Yahoo!ニュース

トルコ軍のシリア侵攻:アメリカはクルド人を見捨てたのか?

髙岡豊中東の専門家(こぶた総合研究所代表)
(写真:ロイター/アフロ)

力は正義、正義は力

 かねてからある、あると言われていたトルコ軍のシリア北東部侵攻が現実のものとなった。これについて、当座の槍玉に上がっているクルド民族勢力を、今まで庇護・育成してきたアメリカが見捨てた、という批判や論評がある。しかし、シリア紛争において何故アメリカがクルド民族主義勢力を支援するようになったかの経緯を少し考えるだけで、そうした論評が的外れなことは明白である。というのも、シリア紛争(或いは「イスラーム国」対策)においてアメリカがクルド民族主義勢力を支援するようになったのは、別にアメリカがクルド人の安寧や彼らの民族自決、その他諸々の政治・経済・社会的権利・権益を支持し、それらを保護するためではなかったからだ。

 そもそも、アメリカは2011年にシリア紛争が勃発すると、早々にシリア政府の正統性を否定し、これに代わる「反体制派」を見出そうとしてきた。その資格があるのは自由で民主的で世俗的で、なおかつアメリカの外交・安全保障政策に従属する勢力でなくてはならないが、そのような勢力を育成しシリア政府打倒や「イスラーム国」をはじめとするイスラーム過激派と現場で戦う戦力(=コマ)とするのが当座の目標となった。ところが、そのようにして育成した「反体制派」は、ことごとくイスラーム過激派に敗北し、悪の独裁政権であるシリア政府による人民弾圧・虐殺と戦う前に消滅した。アメリカだけでなくEU諸国、アラブ諸国の一部も、そうした事実を知りながら「穏健で清く正しい反体制派がある」という幻想にすがって支援を続けたが、そうした支援は「イスラーム国」をはじめとするイスラーム過激派に高性能の兵器を流出させただけだった。

 それでも自ら大兵力を動員してシリアにおける悪の独裁政権を打倒することも、まともな統治体制を構築することも、「イスラーム国」と直接干戈を交えることもするつもりがないアメリカは、「現地の提携勢力」を必要とし続けた。他の選択肢がことごとく失敗に終わった末に、消去法で残ったのがシリアのクルド民族主義勢力だったに過ぎない。そうなると、多少のリップサービスはあったとしてもアメリカがYPG(人民防衛隊)に代表されるクルド民族主義勢力に対し、独立のような既存の国境の変更、事実上の独立国であるかのような「自治」の付与、そして外部の圧迫からの保護を「身を切って」やるわけがない、というのは当初から明らかだった。つまり、アメリカとシリアのクルド民族主義勢力との関係は、自らの出費と犠牲を厭う強者が、強者に阿って立場を固めようとした弱者を利用した関係に過ぎない。となると、両者の関係の焦点は、強者の側が「いつ、どのように弱者を切り捨てるか」ではあるが、アメリカが真剣にクルド民族主義勢力を保護するか否か、つまり見捨てないか否かではないことは明白である。結局のところ、紛争では強者が弱者を利用し、それについての物語は声の大きい方(=発信力のある方)がない方を圧倒し、都合のいいストーリーを視聴者に押し付けるというだけの話に過ぎない。

弱者に寄り添うなんて、みーんなでっち上げなのよ

 上記のような事情に鑑みると、今般の侵攻で被害を被っている(はずの)シリア人民に寄り添い彼らの利害に沿った振る舞いをする当事者が現れることは期待できそうにない。もちろん、広報戦略として紛争の当事者のどれかがトルコ軍の侵攻に伴う破壊と殺戮をSNS上で流暢な英語で実況中継する少女を起用するかもしれない。しかし、今のトルコにはそうした活動を報道の主流に載せないだけの政治・外交力がある。別の言い方をするならば、事前に当事国に周到に根回しした結果、トルコは今般のシリア進行への「黙認」を得たのである。

 また、シリアには不正や弾圧に抗し、軍事攻撃の被害にあう民間人をボランティアで救援する白いヘルメットの人々がいる。もし彼らの活動が真に民間人の救助を目的としているならば、今後多大な被害が予想されるトルコの侵攻地域でも活発な活動と情報発信がされるだろう。もし白いヘルメットの人々が、シリア紛争の当事者のどれかに与するだけならば、彼らはシリア北東部には決して現れないだろう。シリア紛争において、被害者・弱者に寄り添うこと、ジャーナリズムや報道の自由を実践することが、実はそうした活動のスポンサーや許認可権者への遠慮や、発信する情報の政治・社会・経済的な価値や「映え」に左右されていないことを切に願う。

「イスラーム国」対策なんて馬鹿げてると言ったろ

 視点や立場が異なるものの、「アメリカがクルド人を見捨てたこと」により、「イスラーム国」対策に深刻な悪影響が出るとの見通しはかなり強い。一説には「アメリカに見捨てられて」トルコの侵攻にさらされたクルド民族主義勢力が、「イスラーム国」との戦いや「イスラーム国」構成員の収監者管理を放棄して逃亡したり、トルコとの戦線に動員されたりするため、「イスラーム国」囚人の大量脱獄が起こる恐れがあるそうだ。また一説には、クルド民族主義勢力を放逐した後に「イスラーム国」囚人の管理を引き受けるべきトルコにそうする意志がないせいで、「イスラーム国」の構成員が多数野に放たれる恐れがあるそうだ。いずれにせよ、アメリカ、クルド民族主義勢力、トルコのどれにとっても「イスラーム国」対策や「イスラーム国」囚人の管理の問題はまさに「二の次」であり、自らの利益を犠牲にしたり、資源を費やしたりしてかかわる問題ではないようだ。

 となると、彼らにとっては、本当は「イスラーム国」が流行する、イラクやシリアをはじめとする世界のどこかで人民を虐げるという問題は、自分に火の粉がかからない限り「どうだっていい」問題なのかもしれない。実際、アメリカの支援の下で「イスラーム国」囚人を管理していたクルド民族主義勢力のやり方は、非常に問題が多かった。本当に求められる「イスラーム国」対策とは、同派に資源、正統性、広報の機会を提供しないことであり、そうする対策の現場は実はイラクでもシリアでも西アフリカでも東南アジアでもなく、欧米諸国や日本のような先進国と、アラビア半島諸国である。「イスラーム国」囚人、特に外国人の構成員が野に放たれることを恐れるというのならば、その責任は彼らを最初に送り出した送り出し国と、彼らの移動を放任した経由国が負うべきである。

それでも、「安全地帯」が絶望的に筋悪な事業である理由

 最後に指摘しておきたいのは、今般の侵攻によってトルコが企画している「安全地帯」の設置は、いろいろな意味で非常に筋が悪い事業だということである。おそらく、シリアの安定や紛争の収束、難民の帰還、シリアの主権と統一の尊重という目的には逆効果だろう。また、クルド民族主義勢力への対処がトルコにとっての安全保障上の問題だとしても、それはトルコ国内のクルド人をいかにして同国の政治や社会の一員として迎え入れるか、という問題であり、その解決がシリア領への侵攻でないことは明らかだ。

 トルコ在住シリア難民の「帰還」の対策だとしても、筋が悪いことには変わりがない。なぜなら、トルコ在住シリア難民の全てが「安全地帯」設置予定地域の出身者というわけではなく、少なくとも一部は「新規入植者」に過ぎないからだ。筆者も関与した調査の結果などを勘案すると、トルコ在住シリア人の少なくとも3分の1は「安全地帯」設置予定地と地縁も血縁もない人々である。逆に、トルコ以外の地域に在住するシリア難民や国内避難民の、少なくとも2割弱は「安全地帯」設置予定地の関係者で、彼らはトルコが企画する「帰還」からは排除されるだろう。また、「安全地帯」設置予定地には数十万人から百万人強の住民がいるはずなのだが、そこにトルコ在住シリア人を百万人も「帰還」させるとなると、追放や土地の収用が起こることも確実である。

 悪いことに、「安全地帯」設置予定地の一部は、既に「アラブベルト」の設置事業という、追放・土地収用・新規入植を経験済みである。「アラブベルト」以外の場所でも、紛争に伴う追放や住民の移動が起きたことだろう。要するに、今般の侵攻の意図がシリア領の占領だろうが、クルドの「テロリスト」の制圧だろうが、トルコ在住シリア難民の「帰還」だろうが、そして諸当事者から「黙認」を得るために根回ししていようがいまいが、これまで幾重にも積み重なった住民追放・土地収用・新規入植の層に、新たな追放・収用・入植の層を積み重ねるという性質からは逃れられないのである。

中東の専門家(こぶた総合研究所代表)

新潟県出身。早稲田大学教育学部 卒(1998年)、上智大学で博士号(地域研究)取得(2011年)。著書に『現代シリアの部族と政治・社会 : ユーフラテス河沿岸地域・ジャジーラ地域の部族の政治・社会的役割分析』三元社、『「イスラーム国」がわかる45のキーワード』明石書店、『「テロとの戦い」との闘い あるいはイスラーム過激派の変貌』東京外国語大学出版会、『シリア紛争と民兵』晃洋書房など。

髙岡豊の最近の記事