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レバノン:それでもアメリカはレバノンの面倒を見る

髙岡豊中東の専門家(こぶた総合研究所代表)
(写真:ロイター/アフロ)

 2019年に顕在化したレバノンの政治・経済危機は、2020年8月のベイルート港での爆発事件でその頂点に達したかに見えた。しかし、フランスがレバノンの政治指導者らに対し事態打開のための新内閣の組閣を強く迫ったにもかかわらず、事態は今日に至るまで「何の前進もしていない」のが実情だ。こうした状況に中国発の新型コロナウイルスの蔓延が拍車をかけ、レバノン人民の困窮が一層深刻化している。フランスは、組閣を「妨害」するレバノンの政治家らに制裁を科すことを表明して組閣を急かしているが、状況の改善は遅々として進んでいない。

 そうした中、アメリカの専門家が「レバノンの失敗国家化」を防止するため、バイデン政権に対しアメリカの対レバノン政策を変更すべき時が来たと訴えた。それによると、アメリカがレバノンに対してとるべき態度として以下の3点が挙げられている。

1.アメリカは、フランスなどと共にレバノン人を安心させる計画を策定すべきである。計画は世界がレバノン人を忘れてはいないと示すもので、レバノンに有効な政府ができさえすれば各種国際機関はレバノン人を支援する用意があると示すものだ。

2.アメリカは、レバノンに対する人道支援で国際社会を指導すべきである。支援は飢餓防止、医療、失業対策など広範に及ぶものだが、現在の政府の機関を用いることなく実施されるべきだ。現在の政府の高官は腐敗し、ヒズブッラーも含む政府であり、援助を横領しかねない。

3.レバノンはアメリカの安全保障上重要であり、同国を安定させる唯一の機関としてのレバノン軍を強化すべきだ。

 このような呼びかけがされる理由としては、レバノンが「失敗国家」と化して得をするのは、同国や周辺地域においてアメリカと敵対するイラン、及びレバノンにおける親イラン勢力の代表であるヒズブッラーだけだという認識がある。実際、ヒズブッラーは食糧などの価格が高騰する中、スーパーマーケットの経営とそこでの物品の割引販売に乗り出し、支持者の囲い込みを図っているようだ。ただし、こうした認識に基づいてアメリカ、そして西側諸国がレバノンの政治や社会に干渉することは、それに阿る新たな「腐敗した」集団をレバノンに植え付けることにもなりかねない。そして、レバノンの政治エリートの間にも、(イランなどとの対抗上)西側諸国はどんなにダメでも自分たちを見捨てないとの驕りや甘えがあるからこそ、彼らは必要な「改革」に取り組まないともいえる。

 確かに、元々レバノンは地域社会のボスによる分権的な政治・社会体制が敷かれており、中央政府の権限や機能は西側諸国が「それ」と信じる国家の姿から見れば著しく弱く、不安定だ。様々な分野で中央政府の権限が及ばない「領域」を確立し、「国家内国家」として振る舞う主体の代表が、ヒズブッラーだという見方もできる。その一方で、上記の専門家の訴えを見る限り、アメリカが「レバノンの面倒を見る」ことも、実はレバノンの「失敗国家化」をさらに推進することになりかねない。なぜなら、国内的には政府の主権に挑戦する主体がないこと、対外的には各国と対等な外交関係を営むことが国家としてのあるべき姿であり、これを満たすことができないものを「失敗国家」なり「破綻国家」なり「崩壊国家」と呼ぶのなら、アメリカがレバノンの領域内に同国の政府の関与を拒絶して国際的な支援を提供する制度を構築しようとすることこそ、レバノンの「失敗国家化」を意味するからだ。また、「レバノン軍の強化」にしても、それは専らアメリカの都合により、アメリカにとって都合の悪い主体と闘うための兵力を意味するものに過ぎない。つまり、アメリカは、レバノンが対外的に「主権」を確立し、レバノン領域侵犯を繰り返すのみならずレバノンの領域を侵犯してそこからシリアを攻撃するイスラエル軍に対し、そうした行為を許さないレバノン軍の存在は初めから期待していない。

 おりしも、レバノンではベイルート国際空港のラウンジで酒類の提供が禁止されたことが、ちょっとした波紋を呼んでいた。これは、禁止措置がイスラーム教徒(ムスリム)にとっての断食月(ラマダーン)に配慮した宗教的な動機により導入されたものと噂されたことで起きたものらしい。レバノンでは、様々な宗教・宗派の共同体が混在しているし、ムスリムの中でも世俗的な行動様式に従って暮らしている者も多い。そうしたところに、特定の宗教解釈や実践が公共の場である空港のラウンジで導入されると、それ以外の宗教解釈や実践に基づいて暮らす人々にとっては不愉快極まりない侵害行為ととられかねない。実際には、ラウンジでの禁酒は新型コロナウイルスの感染防止措置であり、空港内の別の場所で飲酒が可能な場所が確保されていたのだが、この逸話はレバノン社会の機微な均衡を如実に示すものと言える。そのようなところに、レバノンを陣取りゲームの盤くらいにしか思っていない外部の当事者が、専ら自らの主観に基づく目標を設定し中途半端な干渉を繰り返すところに、レバノンの悲しさがある。

中東の専門家(こぶた総合研究所代表)

新潟県出身。早稲田大学教育学部 卒(1998年)、上智大学で博士号(地域研究)取得(2011年)。著書に『現代シリアの部族と政治・社会 : ユーフラテス河沿岸地域・ジャジーラ地域の部族の政治・社会的役割分析』三元社、『「イスラーム国」がわかる45のキーワード』明石書店、『「テロとの戦い」との闘い あるいはイスラーム過激派の変貌』東京外国語大学出版会、『シリア紛争と民兵』晃洋書房など。

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