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レバノン:盗難の続発で「自警」の要望が増加

髙岡豊中東の専門家(こぶた総合研究所代表)
レバノンの街角。街区によって支持政党とその象徴が著しく異なるもの特徴の一つ。(写真:ロイター/アフロ)

レバノンで盗難や強盗が増加し、住民の不安が昂じているそうだ。住民たちは治安部隊の増強を求めているが、その一方で国家が機能していないことを代替・補完するため、「自警」を復活させようとの議論も出ている。別稿で指摘した通り、レバノンは建国当初から「あまり力の強くない中央政府と、比較的自立性の高い地元の政治主体や共同体が存在する」状況であるが、この「あまり力が強くない」には軍や警察・治安部隊も含まれる。1975年~1991年のレバノン内戦の前と内戦中は、各地の地元の有力者や政治勢力が強力な民兵を擁し、支配下の共同体に対する国家権力の介入を許さなかったり、各々が武装抗争を繰り返したりした。

 内戦終結後、これらの民兵は一部例外を除き一応武装解除し、軍や治安部隊の再建が進められた。もっとも、内戦後に再建された軍や治安部隊は、あくまで「レバノンという国家の存在と統合の象徴」としての役割を担うもので、内外に対し何かの戦力や抑止力として頼りになる存在とは言えない。冒頭に挙げた報道によると、レバノン軍は8万3000人、警察が2万7000人、公安警察が8000人などの人員を擁するが、現在もレバノン人民の信頼を勝ち得るまでに至っていないようだ。ヒズブッラーの地盤であるベイルート南郊においては、街角にいる一応武装した兵士や警官よりも、ヒズブッラーの「自警団」の制服を着た非武装のお兄さんたちの方がよほど頼りになる(=怖い)。これは極端な例としても、ベイルートの諸街区やレバノンの各地のそこらじゅうで軍や治安部隊の検問やパトロールを見かけるものの、現地を訪れれば実際に地域に秩序や治安を保っているのは軍や治安部隊とは別の論理や人間関係であることが実感できるだろう。

 しかも、このような背景のもとでもレバノンの軍・治安部隊は、イスラエルによる日常的な領域の侵害、燃料など国内で不足しがちな物資がシリアに密輸されることの取り締まり、イスラーム過激派対策、ベイルート市内で続発する抗議行動への対応などに追われている。さらに、2019年からの経済危機・レバノン・ポンドの暴落や、いまだに組閣ができない政界の混迷が軍・治安部隊の活動の低下に拍車をかけている。年来の危機が治安の悪化の原因であると思われるが、こうした中で地域の住民から「自警」についての議論や要望が出ることは、単に軍・治安部隊の代替や補完のための民兵としての存在を超え、地域の有力者や政治勢力が勢力圏を「外部から防衛」するための民兵へと転じ得ることである。これは、最悪の場合、内戦時のような本格的な「国家の不在、諸勢力の割拠」へと至る危険な兆候である。レバノンの社会や政治勢力の状況は、内戦の前、内戦中からはずいぶん様変わりした。しかし、様々な共同体が利権集団として政治的な権益を分配するというレバノンの政治体制が抜本的に変化したわけではないので、例えば伝統的な名望家層が衰えたとしても、それに代わる新興勢力が共同体のボスとして現れるに過ぎない。

 レバノンが直面する危機は、レバノン人民が政治体制をいかに改善するかという問題であるとともに、シリア紛争やアメリカ・イスラエルとイランとの対立という地域の安全保障状況・国際関係の構図の中から生じたものである。このため、レバノン人民がいくら頑張っても、危機が解消するとは限らない。現場の治安や秩序を担う非公式な論理や人間関係が、治安の維持や「自警」の名目で公然と姿を現し、より組織的で重武装の民兵へと発展するような事態は、レバノンの危機がいよいよ解消不能になることを意味するだろう。

中東の専門家(こぶた総合研究所代表)

新潟県出身。早稲田大学教育学部 卒(1998年)、上智大学で博士号(地域研究)取得(2011年)。著書に『現代シリアの部族と政治・社会 : ユーフラテス河沿岸地域・ジャジーラ地域の部族の政治・社会的役割分析』三元社、『「イスラーム国」がわかる45のキーワード』明石書店、『「テロとの戦い」との闘い あるいはイスラーム過激派の変貌』東京外国語大学出版会、『シリア紛争と民兵』晃洋書房など。

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