カルロス・ゴーン氏の密出国事件:レバノンってどんな国?

レバノンの首都ベイルートに沈む夕日(写真:ロイター/アフロ)

カルロス・ゴーン氏の逃亡先として俄かに報道露出が増したレバノン。これまでは、内戦、イスラエルによる侵攻と占領、パレスチナ難民やゲリラが主なニュースとなってきたところだが、その一方で同国の首都ベイルートは「中東のパリ」と呼ばれたこともあるすてきな街でもあり、同地での駐在経験を懐かしむ日本人も多い。

レバノンってどんな国?

 レバノンは、地中海東岸に位置する、面積約1万平方キロメートル、人口420万人(推定)の国で、日本の書籍類ではしばしば岐阜県のような規模と称される。同国では、自由な経済体制と比較的自由な言論環境の下、かつては「中東のパリ」と称されるほどの経済・文化活動が営まれていた。また、狭い国土の中にキリスト教、イスラームの諸宗派が混在し、それぞれが地元のボスの下で自立性の高い社会を営んできたのもレバノンの特徴である。その結果、レバノンにはあまり力の強くない中央政府と、比較的自立性の高い地元の政治主体や共同体が存在することとなった。「あまり強くないレバノン」は、東隣にシリア、南隣にイスラエルという、地域の政治・軍事・外交上の重要国に囲まれ、その影響や軍事侵攻に悩まされてきた。さらに、かつてはパレスチナ、現在はシリアからの難民・避難民の存在は、レバノンの経済だけでなく、政治にも深刻な影響を与えている。

 と、いうのも、レバノンでは国内に多数存在する宗教・宗派共同体のうち18を「公認」し、それを単位に政治的役職や権益を配分する「宗派制度」と呼ばれる不文律に沿って政治や社会が運営されているからだ。つまり、ひとたび決まった権益の配分の量・質を変更しようとすれば、「損をする宗派」やその仲間から猛反発を受けるし、パレスチナ人やシリア人のように配分の割合が「決まった後で」やってきた者たちをレバノン社会の構成員として迎え入れることも至難となったのだ。その結果、レバノンは複数の内戦と幾多の政情不安を経験してきた。そうした中、辛うじて安定や内外の情勢との均衡を維持してきたのが、「決められない政治」と「決めない政治」(『「アラブの心臓」に何が起きているのか』(岩波書店) 第4章「レバノン」立命館大学末近浩太教授)とも称されるレバノンの政治エリートたちの処世術だった。彼らは、レバノン国内の力関係だけでなく、シリア紛争や地域の国際関係の中で生き残りを図るべく、レバノンの政治や社会の運営で「重要な決定を可能な限り先送り」してきた。

 このような体制や運営手法においては、政治エリートたちは自らに配分された権益を、今度は「子分」にあたる自分と同じ「宗派」の構成員と有権者に配分するボスとなる。有権者は、利益誘導への返礼、或いはボスへの忠誠表明として、ボスが率いる党派への投票に動員される。一般のレバノン人民にとっては、こうした人間関係こそがあらゆる機会を得る上でのカギとなるし、ボスたちは「子分」が自分よりも華々しく成功するような権益の配分は絶対にしない。従って、当然のことながら、そこには公正で中立で透明な司法も行政も立法もない。だからこそレバノンでは2019年10月から「革命」とも称される人民の抗議行動が起きている。抗議行動に参加するレバノンの人々から見れば、ゴーン氏はレバノンの政治・経済・社会の運営や、様々な社会的上昇の機会を独占してきた特権階級の一人ということになる。今般の逃亡についてレバノンの映画監督が寄せたコメントが秀逸なので、それを取り上げた時事AFPの報道を紹介したい。

「物語」としてのレバノン人像と実際にレバノンに住んでいるレバノン人像

 商才にたけ、世界をまたにかけて活躍する移民や経済人というのが、レバノン人について世界的に持たれているイメージであり、一部のレバノン人も「フェニキア人の末裔」と称してこうしたイメージを強調している。実際、そのようにして活躍するレバノン起源の経済人・芸能人も少なくない。また、彼らの一部は、本当に「シャレにならない」経済活動(≒犯罪や陰謀)の場で名前が挙がることも少なくない。ただし、これは本当に世界をまたにかけて活躍しているレバノン人の自己表象の一端であり、実際にレバノンに住んでいるレバノン人が全員そういう活躍をしているわけではないことに注意が必要である。

 筆者らは、2010年にレバノンにて同国に居住するレバノン人を対象に越境移動についての経験と意識に関する調査も含む世論調査を実施した。その結果、筆者らは積極的に越境移動をし、なおかつそれを繰り返す、つまり世界をまたにかけて活躍しているレバノン人は、一定以上の所得を得ているごく少数の人々なのではないかと考えるに至った。つまり、レバノンに住んでいる人々の大多数にあたる、所得が一定水準に達しないレバノン人は、出稼ぎやビジネスに限らず越境移動の経験も乏しければ、越境移動に積極的なわけでもない。ゴーン氏の経歴や行動様式は、現在レバノンに住んでいる一般のレバノン人の姿を体現・代表しているわけではなさそうだ。では、世界をまたにかけて活躍する(つまり経済的機会や社会的上昇の機会を独占している)レバノン人とはどのような人々か?と考えた際、それは同地で「ザイーム」と呼ばれる指導的な階層に属する人々なのではないか、というのが上記世論調査とその分析から得られた仮説である。この件についての世論調査とその分析の稿を含む論集が、『中東諸国民の国際秩序観(仮)』(晃洋書房)として刊行予定なので、詳細に関心がある方はそちらを参照されたい。

 ここまでで、レバノンには筆者を含む多くを惹きつける華やかさや魅力がある一方で、その内部には容易には解決・克服できない格差があるようだということが見えてきた。要するに、地域の事情に通じている風に「初心な日本人が老練なレバノン人に翻弄されている」なんてせせら笑ってみたところで、この問題についてもレバノンの状況についてもちゃんと語ったことにはならないのだ。

きれいごととしてのグローバル企業とその経営者の役割

 ゴーン氏の逃亡事件は、単に同氏やその家族の生活ぶりや資産状況をネタにしたり、日本の司法制度や当局の問題点をあげつらったりするだけでは済まなそうだ。同氏の振る舞いは、世界的な大企業とその経営者たちに求められる資質や行動様式はどのようなものか、という問題を考える上で絶好の教訓となろう。

 筆者の勤務先でも、以前「世界的な大企業と提携し、外国籍の幹部を最高責任者として迎えた企業」が、「これを機にグローバル企業となった以上、日本的なお付き合いにはかかわることができない」と称して賛助会員を退会してしまったことがある。筆者の勤務先は、「補助金」と称されるものは一銭も受け取っておらず、個人・法人会員の賛助会費で運営しているため、法人の退会は大きな打撃だった。そして、何よりも筆者を含む職員の仕事が、「日本的お付き合い」としか評価されていなかったことに大変な衝撃を受けた。

 このような筆者のつまらない経験や日常はさておき、昨今の世情に鑑みると大企業やその幹部には自らの利益や成功とならび、いかに社会に貢献するかが問われているように思われる。とりわけ、レバノンのような格差が顕著な国で、身銭を切ってその解消に尽力することがゴーン氏をはじめとするレバノンの指導層・特権階級に求められているからこそ、同国で抗議行動が起こっているのではないだろうか。また、ゴーン氏やその仲間たちが勤め先から不透明に引き出したお金があれば、どれだけの数の日本人の大学生や卒業者に貸与された奨学金をチャラにできるのかと場面設定したら、それでもなお、この問題を他人事としてただの話のネタにし続けることができるだろうか?