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イラク:アメリカがイラクの民兵の幹部を制裁対象に指定

髙岡豊中東の専門家(こぶた総合研究所代表)
(写真:ロイター/アフロ)

 アメリカ政府が、イラクの「シーア派」、「親イラン」民兵諸派の幹部らを制裁対象に指定した。その理由は、2019年(!!!)10月のイラク政府に対する抗議行動の際、「親イラン民兵」がデモ隊に実弾射撃を行って「イラクの民間人」を殺傷したことに関与したとのものだ。もしアメリカが当時のイラク人民の人命や政治・経済・社会的権利にちょっとでも親身に対応するのなら、この種の決定は2019年当時になされるべきものだ。また、今般の決定のポイントは、制裁対象に「親イラン」民兵諸派のとりまとめ役であるファーリフ・ファイヤード氏が含まれていることだ。同人は、「人民動員隊」と呼ばれる民兵組織諸派の代表としてイラク政府内でも閣僚級の公的な地位を占めており、イラク政府は制裁対象指定を「受け入れられない」と論評した。「人民動員隊」は、元々イラクで活動していた「シーア派」民兵諸派が2014年以降の「イスラーム国」の増長に対抗すべく再動員・再集結し、イラクにおける「イスラーム国」との戦いの前面に立った勢力だ。その代表がアメリカの制裁対象に指定されるということは、今般の措置は2020年1月にイランの革命防衛隊エルサレム軍団のソレイマーニー司令官と、「人民動員隊」のアブー・マフディー・ムハンディス副司令官が暗殺された件と同様の文脈にあると言ってよい。

 現時点で、アメリカがイラク(そしてシリア)に軍事的に関与・干渉する動機は、「イスラーム国」討伐ではなくイランの抑止・排除が主眼となっている。アメリカ政府としてはうっかりイラク(やシリア)で“「イスラーム国」を殲滅”してしまうと、イラク(とシリア)での活動することや現地で手先を雇っておく理由や正統性が減じることになるので、この地域で「イスラーム国」がそこそこ元気に活動し、なおかつ「イスラーム国」に対してイラク政府(または「親イラン」民兵)やシリア政府とその同盟者が完全勝利するような状況を阻止すべき立場に置かれている。だからこそ、アメリカの軍や官庁は、トランプ大統領が“「イスラーム国」の殲滅”を口走った際には、本当に、本当に必死に「イスラーム国」が健在であり、依然としてアメリカにとって脅威であると主張した。要するに、イラクに限っても、現在のアメリカの振る舞いは“自ら「イスラーム国」を殲滅するつもりは無いし、誰かが「イスラーム国」に完全に勝利するのは困る”、そして“汚職や生活苦や権利の侵害に抗議するイラク人民を真剣に保護・支持するつもりはない”、さらには“常に「親イラン」勢力が与党の一角を占めるイラクの政治体制と制度を抜本的に改めるつもりはない”というものだ。これこそが、筆者が長年「中途半端で無責任」と評するアメリカの中東政策の典型みたいなものだ。

 より本質的な問題は、今般槍玉に上がった「人民動員」が様々な理由で必要な機能を果たしていないイラクの軍・治安部隊、そして政府の機能を代替・補完するために組織され、イラクの政治・軍事で半ば公的な地位を占める「民兵」だというところにある。「民兵」というと、内戦や国際紛争で既存の政府に対抗する反政府勢力や、どこかの国に侵略・干渉する他国が育成した武装勢力、政治家の私兵、犯罪組織・テロ組織の戦闘員のような、「民兵」が活動する国家の法規に反する存在のように思われるかもしれない。しかしながら、「民兵」は近年発展が著しい「非国家武装主体についての研究」の対象として重要な論題であり、その研究では、紛争地を領域とする国家や政府が動員・育成して紛争の場で起用する武装勢力も対象となる。国家・政府が「民兵」を必要とする理由としては、(1)正規の軍・治安部隊・警察が求められる役割を果たすことができないため、その代替が必要である。(2)紛争の現場で、正規の軍・治安部隊・警察が果たすことが憚られる「汚れ役」を果たす。の2点を挙げておこう。

 この点を踏まえると、イラク政府はまさに「民兵」を必要としていた(いる)ことがわかる。第一に、「イスラーム国」が勢力を拡大した2014年当時、モスルの陥落に象徴されるようにイラクの正規の軍・治安部隊・警察は「イスラーム国」に対抗する上で役に立たず崩壊の危機に瀕していた。これについては、当時のマーリキー首相による個利個略・党利党略、そして宗派主義に沿った政権運営により政府や軍がイラク人民の支持されていなかったことが非難を浴びたが、その後何代首相が変わろうが政府や軍が人民に必要なサービスを提供したり、人民から支持されたりするようになったとは思われない。この点については、2003年以来多くの国や機関が膨大な費用と労力を費やしてイラクを支援した結果でもあるので、単にイラクの政治家を非難するだけでは済まない問題でもある。ともかく、正規軍が役に立たない以上、イラク政府はその欠落を埋め合わせる戦力として、国家・政府とは別の求心力で戦力を動員する必要に迫られた。そこで採用されたのが、地域・宗派・部族などに沿って動員された「人民動員」だった。第二に、「イスラーム国」の討伐が進むに従い、その構成員(と家族)の処遇が問題となった。「イスラーム国」の構成員は、理由が何であれ彼らが享受した立場は他者に対する破壊・殺戮・略奪に基づくものであり、何らかの報いを受けるべき者たちだ。しかし、これを法に基づいて訴追し、適切な懲罰を与えるのは困難だ。さらに、「イスラーム国」に多数の構成員を送り出した欧米諸国においては、各国が「イスラーム国」に構成員の多くに下す懲罰は、彼らにとっては「天国」のような保護に過ぎない。となると、多くの当事者にとって、「イスラーム国」の構成員(女性や子供を含む)は戦場でいつの間にかこの世から消えてしまうことが望ましい存在である。これこそが、「人民動員」が果たすことが期待されている「汚れ役」である。

 とはいっても、イラク政府としては「人民動員」に全く統制が効かない状態は望ましくない。そのため、「人民動員」を半ば国家の機関として位置付けて戦闘員に給与を支払ったり、幹部に何らかの公的な地位や役職を与えたりして「人民動員」に法的な地位を与え、制御しようとしている。また、「人民動員」を構成する諸派は、元々イラクの政治勢力の傘下の武装部門だったり、政党・宗教指導者の支持者だったりするので、国会議員選挙があれば諸派の幹部が国会議員に当選する可能性も高い。こうした状態は、“「民兵」がフロントの役割を演じる人物を国政に送り込んでいる”とも、“政党・政治組織・政治指導者が私兵として「民兵」を養っている”ともいえる。「民兵」とそれを背景とする政治家との関係は、状況に応じてこの両者の間のどこかの均衡点を行き来している。イラクでは、2021年6月に国会議員選挙が実施される予定になっているので、この選挙の結果や選挙にまつわる動静をちゃんと観察すれば、イラクにおける政府と「民兵」との関係について重要な情報が得られるだろう。

中東の専門家(こぶた総合研究所代表)

新潟県出身。早稲田大学教育学部 卒(1998年)、上智大学で博士号(地域研究)取得(2011年)。著書に『現代シリアの部族と政治・社会 : ユーフラテス河沿岸地域・ジャジーラ地域の部族の政治・社会的役割分析』三元社、『「イスラーム国」がわかる45のキーワード』明石書店、『「テロとの戦い」との闘い あるいはイスラーム過激派の変貌』東京外国語大学出版会、『シリア紛争と民兵』晃洋書房など。

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