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イラク:「革命」礼賛では済まない現実

髙岡豊中東の専門家(こぶた総合研究所代表)
(写真:ロイター/アフロ)

「体制打倒」はゴールではない

 イラクでの反政府抗議行動は、アブドゥルマフディー首相を辞任に追い込んだ。その一方で、国会や大統領をはじめとするイラクの政治体制は、同首相の後任を指名することができず、深刻な政治空白に至りつつある。イラクの政界で、大統領・首相・国会議長・閣僚のような重要人事の決定に時間がかかるのは今に始まったことではない。このような事態は、イラク戦争後に様々な当事者の個利個略・党利党略が積み上げられてきた結果である。その一端については、こちらを参照されたい。

 毎日イラクの政治や治安のニュースをぼんやり観察している程度の筆者から見ても、イラク戦争後のイラクの政治エリートたちの非効率や政争、そのような政治エリートのだめさ加減に付け入る諸外国の干渉は許しがたい水準にある。しかし、政治エリートを失脚させ、諸外国の干渉を拒絶することは、反政府抗議行動の目的を達成するための過程か手段にすぎず、現在のように首相候補の名前が挙がるそばからそれを拒否するデモを組織するような状態がいいとも思えない。つまり、腐敗した政治家を追放したり、問責したりして彼らが「人民から盗んだ」お金を「取り返して」頭割りにして配っても、本来抗議行動の原因となった生活水準の問題や失業率の問題は解決しないのである。ダメな政治家たちを拒絶・問責する真の理由であるはずのこれらの問題は、一朝一夕に解決するものではなく、「体制打倒」を求める側が論理的な対策とそれに取り組む担い手を提示し、選挙などで人民の審判を受けたうえで問題に取り組むところまで準備しても、まだまだ道半ばといえる。

 残念なことだが、2019年に政変が起きたり、反政府抗議デモが激化したりしたアルジェリア、スーダン、レバノン、イラクについて、「体制打倒」はゴールではないという本質的な問題を洞察した報道や解説は少数である。これらは、昨今の運動を人類規模といっていいほどの災禍をもたらした「アラブの春」の進化版であるとみなし、小手先の動員の技術や抗議行動の現場で創作される「アート」に目を奪われた、不十分な水準にとどまっているように思われる。

様々なレベルでの無責任

 デモ隊や人権団体は、イラクでの抗議行動と治安部隊との衝突で、これまでに490人もの人々が殺害されたと主張している。これは、かつての「アラブの春」の展開に鑑みれば、イラクの政府や指導者たちに国連や主要国から厳しい制裁が科されるべき事態である。にもかかわらず、今日に至るまでそうした措置をとった国・機関はない。つまり、イラク人民の生活水準向上をないがしろにした上、彼らの抗議に暴力で応じたイラクの政治指導者たちだけでなく、それを放置した「国際社会」にも事態を招いた責任の一端がある。しかし、イラクの政治指導者たちは、自ら起草した憲法の規定に反し、欧米諸国との二重国籍を享受し、割のいい出稼ぎか落下傘経営者のようにしてイラクの政治・経済を運営してきた。欧米諸国も、イラク戦争の前から彼らを庇護し、戦争後の新体制でもその不行跡を半ば黙認してきた。欧米諸国との二重国籍を利用したイラクの政治家の堕落と、彼らを甘やかし続けた各国の関係は、現在の深刻な政治不信の原因である。

 一方、格好よく既成政治エリートにダメ出しし続ける一方で、「そのあと誰がどうするの?」という問いに一向に答えようとしないデモ隊と、イラクの政治や社会が抱えるより本質的な問題から目を背け続ける報道機関や専門家も、事態に責任ある態度で臨んでいるとは言えない。現在の情勢は、「革命」や「若者の蜂起」に共感していればいい段階をとうに過ぎ、政治空白とそれがもたらす深刻な悪影響に対処すべき段階に達している。

イスラーム過激派の大好物

 政治空白によりいかなる重要決定もされないことには、多くの弊害がある。例えば、国家予算が策定・執行されず、人民に最低限の行政サービスすら提供されなくなるかもしれない(ダメな政治家の汚職のせいで質の悪いサービスしか提供されない、という状態とはあくまで「だめさ加減」の比較の問題ではあるが)。また、人民を代表する政府や議会が機能しないことにより、人民の監視や問責が及ばない状態で軍や治安部隊が超法規的に活動するような状態も、望ましいことではない。そして、筆者の立場から最も恐れるべきことは、そうした空白は多大な犠牲の上にここまでこぎつけたはずのイスラーム過激派対策を台無しにしかねないものだということだ。

 イスラーム過激派だけでなく、あらゆる反乱勢力・武装勢力・犯罪組織は、国家権力の規制や統制が及んでいないところ(別に物理的な領域でなくてもいい)が大好きで、そうしたところを占拠して自分たちの食い扶持と居場所を確保する。現時点で、筆者は「イスラーム国」が元気に活動しているとも、今後復活するとも思っていないし、イスラーム過激派が主張する「イスラーム統治」が人類を幸福にすると信じる人々はイラクにも世界中にもごく少数しかいないと考える。それでも、政争や政治空白が長期化することは、イスラーム過激派のような武装勢力・犯罪組織への対処を遅らせてしまうし、何よりも「嫌なもの」を人民が拒む社会の抵抗力ともいうべきものを確実に奪い去る。イラクに限らず、アラブの人民一般について、「だめな体制を打倒する」だけでなく、「それよりいい体制を作る」という問題と責任を自覚してほしい。

中東の専門家(こぶた総合研究所代表)

新潟県出身。早稲田大学教育学部 卒(1998年)、上智大学で博士号(地域研究)取得(2011年)。著書に『現代シリアの部族と政治・社会 : ユーフラテス河沿岸地域・ジャジーラ地域の部族の政治・社会的役割分析』三元社、『「イスラーム国」がわかる45のキーワード』明石書店、『「テロとの戦い」との闘い あるいはイスラーム過激派の変貌』東京外国語大学出版会、『シリア紛争と民兵』晃洋書房など。

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