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シリア難民がいつまでも惨めに暮らさなくてはならない理由

髙岡豊中東の専門家(こぶた総合研究所代表)
(写真:ロイター/アフロ)

 2020年12月26日、レバノン北部のミンニーヤ地区にあるシリア難民キャンプが放火により焼け落ち、数百人の難民が被災した。事件そのものは、レバノン人とシリア難民とのいさかいの末にキャンプが放火されるに至ったというもので、レバノン当局は放火の原因となったいさかいに関与した者複数を拘束した。

 驚くべきことは、シリア難民・避難民問題が世界的な問題として顕在化してから10年近くが経とうとしているのに、いまだに難民たちが一瞬にして焼け落ちるような、ブルーシートハウスや段ボールハウスの類に住まわされ続けていることだ。レバノンで暮らすシリア難民の数はおよそ90万人とされているが、受け入れるレバノンの人口は400万人程度で、2015年に4億人規模の人口を擁するEUが「たった」100万人ぽっちの移民・難民が移動してきた程度でパニックと深刻な政治危機を起こしたことに鑑みれば、これがレバノン社会にとってどのような影響を与えたかは容易に想像できるだろう。その上、レバノンには40万人を超えるパレスチナ難民が数十年にわたり居住し続けており、2020年8月のベイルート港の爆発事件を待つまでもなく、レバノンの社会や経済は極めて不健全な状況にあった。

 今般の放火事件のような事態を防止する方策としては、難民を収容する施設を適切に整備し、「国際社会」も受け入れ国・社会に対し必要な支援をする、というものがすぐに思いつくだろう。しかし、レバノンには、数十年間同国に滞在し、レバノンで生まれ育った二世・三世の方が多数かもしれないパレスチナ難民も、過去10年の間にレバノンで避難生活を送ることになったシリア難民も、容易に社会に包摂できない理由がある。シリア人に限らず、難民・避難民の処遇に関する問題は、レバノンのように極端な状況でなくとも、難民・避難民を受け入れる国・地域のどこにでも生じうる問題だ。シリア難民について考えるならば、トルコやヨルダンでも、シリア難民の9割がたは「キャンプ」になんて居住しておらず、少しでも条件のいい都市部の賃貸物件での生活を選んでいるように、多数がキャンプでテント生活を送るという状況、或いはいつまでもテントやプレハブしか難民の住処として提供されていない状況の方がおかしいと言ってもよい。レバノン、ヨルダン、トルコのような隣接国での避難生活を選択したシリア人たちは、「避難後」に得られた支援や構築したネットワークだけでなく、「避難前」から持っていた縁故や経験に基づく選択・適応の手段を最大限用いて、なるべく安全かつ快適に暮らすことを必死に追求している。こうした現実を踏まえると、難民の努力を疎外し、彼らをいつまでも惨めな生活にとどめておくための理由が何かあると考えざるを得ない。

 そうした理由として最初の考えられるのは、受け入れ国・社会がシリア難民・避難民を社会の成員として受け入れることができないことである。レバノンのように、宗教・宗派ごとに政治的権益を配分し、それが硬直化してしまっているのは極端な状況だが、ヨルダンにもトルコにも資源が無尽蔵なわけではないので、シリア難民をすんなり社会に受け入れる余裕は乏しい。この問題の解決策は、「シリア難民・避難民をなるべく早期に帰還させる」しかないのだが、これはシリア紛争に対する各国の立場により困難を極める。トルコ軍が数次にわたりシリアに侵攻し、シリア領の広範囲を占領しているのも、難民の帰還をシリア紛争の終結やシリア政府との合意に基づいて実現できなくなった行き詰まりの末のことである。ヨルダンについても、単にシリア紛争への立場やシリア政府との関係だけでなく、アメリカをはじめとする域外の諸国のご意向を忖度しなくてはならないので、国内のシリア難民をなるべく早く帰還させたくても思うに任せないのが実情である。シリア政府やそれを後援するロシアについても、難民の早期帰還に努めていると主張するものの、帰還する者たちの政治・経済・社会的安全を保障する手立てが十分講じられているとは言えない。その上、シリア国内の避難民の帰還の問題もあるので、中国発の新型コロナウイルスの蔓延を待つまでもなく、難民帰還は困難を極めている。

 上記に加えて我々が意識すべきなのは、世界中のシリア難民・避難民を常に恵まれない、悲劇や不満にあふれる状況に押しとどめておくべき理由である。「シリア難民・避難民をなるべく早期に帰還させる」、または「シリア人を政治・経済・社会的に不満のない状態で受け入れる」が難民・避難民問題の解決策だとするのなら、受け入れ国で講じる政策や、シリアの復興のために講じる手段は掃いて捨てるほどある。しかし、現実にはシリアの復興についても、受け入れ国での包摂についても、問題が放置されるどころか状況の改善を阻害する措置がどんどん講じられていると言わざるを得ない。シリア難民・避難民が惨めに暮らすことで「いいこと」は、本来誰にとってもないが、彼らには「シリア紛争がいつまでたっても解決しない/悪の独裁政権が人民を弾圧している被害者」の姿を報道機関や世論にさらす役割があてがわれてしまったのだ。しかも、彼らにこの役割をあてがった諸当事者には、シリア紛争を自分たちの構想に沿って解決する意思も能力もない、というおまけまでつく。

 要するに、シリア難民・避難民の苦境は、一時的な「かわいそうネタ」として消費されつくされた後は、シリア紛争を解決する意思も能力もない諸当事者によって、(本当は解消するつもりがない)悲劇の犠牲者としての姿を演出するための諸政策によって作り出されている。もしシリア難民・避難民のことをちょっとでも「かわいそう」と思うのならば、紛争の現実を踏まえたシリア人の自発的な身の処し方を支援するほかなく、「包摂しないけど帰還もさせない」ことが解決策ではないことは明らかだ。また、「かわいそうな」シリア難民に非常食や毛布やテントを送ることも、一時しのぎにはなるだろうが、「紛争や弾圧の被害者」役を押し付けられ、自分たちの生き方の決定権を奪われたシリア人民を救済することの役には立たない。シリア難民・避難民の状況は、彼らの「苦境」についての情報を漫然と流し続ける報道や、一時しのぎの「支援」で満足する状況も、打開する局面にある。

中東の専門家(こぶた総合研究所代表)

新潟県出身。早稲田大学教育学部 卒(1998年)、上智大学で博士号(地域研究)取得(2011年)。著書に『現代シリアの部族と政治・社会 : ユーフラテス河沿岸地域・ジャジーラ地域の部族の政治・社会的役割分析』三元社、『「イスラーム国」がわかる45のキーワード』明石書店、『「テロとの戦い」との闘い あるいはイスラーム過激派の変貌』東京外国語大学出版会、『シリア紛争と民兵』晃洋書房など。

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