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イスラーム過激派の食卓(シャバーブ運動)

髙岡豊中東の専門家(こぶた総合研究所代表)
(写真:ロイター/アフロ)

 イスラーム過激派が本邦をはじめとする世界各国やその人民の生命・財産に危害を加える可能性は世界中にあるわけだが、そうした事態が起きる可能性に特に警戒が必要な地域の一つとして、アフリカ大陸の東岸を挙げることができる。この地域で活動するイスラーム過激派としては、今やすっかり「老舗」となったシャバーブ運動がある。この団体の日本語の表記については、「アッシャバブ」、「シャバブ」、「シャバーブ」などなどいろいろあるが、これはアラビア語の日本語表記に関し、定冠詞をどう処理するのか、長母音を表記するのか否かについて、報道機関や執筆者が各々「てんでばらばら」にやっているためである。団体名を敢えて邦訳するのなら、「ジハード戦士(ムジャーヒドゥーン)青年運動」とでもすべきであろうか。本稿ではとりあえず「シャバーブ」としておく。

 同派は、中央政府が崩壊、消失して久しいソマリアで2000年代後半に姿を現した。ソマリアに干渉する諸外国の勢力を排除し、イスラーム統治を実現するために活動していると考えられているが、ケニアをはじめとする周辺諸国にも勢力を扶植しており、ケニアでは度々欧米諸国の権益や欧米人を攻撃対象とする攻撃を実行している。なぜケニアがシャバーブの攻撃対象になるのかは、イスラーム過激派としてのシャバーブの思考・行動様式に則る要因だけでなく、ソマリア人民とケニアとの浅からぬ因縁にもよるらしい。(シャバーブの沿革と詳細については、遠藤貢「アッシャバーブの変容と展開」『中東研究』538号を参照

 そのシャバーブが、2019年1月に実行したケニアのナイロビにある欧米企業などが多数立地する街区への襲撃事件について、襲撃犯の出撃前場面を含む独自映像を発表した。同派の映像類は、多くがソマリアで使用されている言語が基になって、そこに英語やアラビア語の字幕や翻訳が付される構成になっていることもあり、アラビア語話者が主力であるイスラーム過激派の諸派やファンには「うけない」。従って、問題の襲撃事件についても、これまでの同派の活動についても、「過激思想の拡散や浸透」とか「ムスリムのアイデンティティー云々」の「大きな話」としてネタにされることはほとんどなかった。それどころか、ソマリアやその周辺で活動する国際機関や諸企業、諸国民の安全をどう守るか、という話題にもならなかった。そんな中、敢えて同派が発表する映像に注目するのならば、それはおそらくは出撃直前であろう潜伏拠点での、襲撃実行犯らの食事風景を含んでいる所であろう。末端の構成員にちゃんと食事を提供できるかは、あらゆる組織が「まともに」機能しているかを判断する重要な指標である。特に、イスラーム過激派の「殉教作戦」や「特攻作戦」に出撃する者たちが、出撃直前にどのように暮らしているかについての情報は案外公開されていないだけに、非常に興味深い。

「殉教志願者」達の食事。(出典:カターイブ広報製作機構)
「殉教志願者」達の食事。(出典:カターイブ広報製作機構)

 襲撃の実行犯たち、おそらくは襲撃対象に近いどこかの潜伏地で、パンケーキのようなもの、食パンのようなものを、紅茶かコーヒーと共に食べている。画像中には、バナナやリンゴ、カフェラテやハム(たぶん豚肉ではない)も見える。潜伏中である以上、派手に飲食するわけにもいかないだろうが、例えばこれが出撃前の最後の食事だったのなら、この程度のものを食べさせられた殉教志願者はどのような心境だろうか。また、「殉教」に向けて、他の事象が全く気にならなくなるような戦闘員の育成の手法とはどのようなものだろうか。

 ここでもう一つ問題とすべきことは、この作戦は、世界中のアル=カーイダが「エルサレムはユダヤ化しない」攻勢と称するアメリカ、シオニスト(≒イスラエル)権益に対する攻撃の一環と位置付けられている点だ。攻勢そのものは、アメリカのトランプ政権によるイスラエル偏向政策に対する反撃として位置付けられているもので、もしイスラーム過激派、或いはアル=カーイダの支持者・共鳴者・模倣者が世界中にいるのなら、それこそ世界中で襲撃が多発すべきキャンペーンである。しかし、現実にはこの攻勢の一環と位置付けられるほど見栄えのする戦果をあげられたのは、このシャバーブと西アフリカのサヘル地域で活動する「イスラームとムスリム支援団(JNIM)」くらいで、「まったく反響がない」のが現実である。アル=カーイダは、アラブ諸国がアメリカに個別に買収されてイスラエルとの「正常化」に舵を切る中、2020年10月に「シオニストと十字軍、及びこれらの利権を代表する大使館、領事館、企業、軍関係施設」は「エルサレムはユダヤ化しない」攻勢の攻撃対象となると脅迫する声明を発表している。要するに、アル=カーイダによるイスラエル・アメリカ権益に対する攻撃扇動は、それはそれで警戒すべきものなのだが、実際これに呼応する組織や個人、何かあった時に喜ぶファンはあんまりいないということだ。

 イスラーム過激派の思考・行動様式や関心事項は、過去20年の間に劇的に変化している。特に、「身近なところで周囲の者を屈服させてイスラーム統治を実現することが大事なのであり、エルサレムの問題やシオニスト・十字軍との闘争は気にしなくていい」という様式を持ち込んだ「イスラーム国」は、イスラーム過激派とは何かという定義すら左右する劇的な錯乱要因である。現世での最後(または最後から何番目か)の食事がこの程度でしかなかったシャバーブの殉教志願者たちの食事風景を見て、イスラーム過激派の変質・劣化・衰退を思わざるを得ない。

中東の専門家(こぶた総合研究所代表)

新潟県出身。早稲田大学教育学部 卒(1998年)、上智大学で博士号(地域研究)取得(2011年)。著書に『現代シリアの部族と政治・社会 : ユーフラテス河沿岸地域・ジャジーラ地域の部族の政治・社会的役割分析』三元社、『「イスラーム国」がわかる45のキーワード』明石書店、『「テロとの戦い」との闘い あるいはイスラーム過激派の変貌』東京外国語大学出版会、『シリア紛争と民兵』晃洋書房など。

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