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新型コロナウイルスはアッラーからの神罰??

髙岡豊中東の専門家(こぶた総合研究所代表)
(写真:ロイター/アフロ)

「水際対策」とその破綻

 中東諸国とその人民のほとんどにとって、新型コロナウイルスの流行は当初人ごとに過ぎなかった。各国は問題の重要性をそれなりに理解し、中国の一部との間の航空便の運休や減便、中国からの自国民の退避、自国の入国管理の強化、検査、隔離の実施などの対策を講じた。つまり、各国はいわゆる「水際対策」で事態に対処することが可能と考え、中東の人民にとって新型コロナウイルスは他所で発生した災難、よそから持ち込まれるかもしれない厄介ごとだった。

 だからこそ、中東諸国では日本人も含むアジア人に対し、新型コロナウイルスの流行にかこつけた嫌がらせや差別が激化し、一部は日本語の報道やSNSでも広く知られるに至った。実は、中東諸国においては日本人を含む外国人に対する差別や犯罪まがいの「いたずら」は昔から少なからずあったのだが、「人懐っこい」のような高度な言い回しで「なかったこと」にされていた。また、イスラーム過激派の蛮行も含む諸々の非行を、その原因は日本も含む先進国が当事者である政治・経済・社会的抑圧や不平不満にあるので、そうした抑圧にこそ目を向けるべきで、非行を責めるべきではないとの主張にも時折お目にかかる。

 しかし、中東諸国による「水際対策」は、早々に破綻をきたした。中国で新型コロナウイルスが発生・流行した時期がそもそもいつなのかについての情報が信用されない中、各国が対策を講じた時点ですでに多くの無症状病原体保有者が様々なところを訪れていたようだ。また、紛争などが原因でそもそもまともな政府や出入国管理が望めない場所も多い中東で、病原体保有者を確実に掌握して隔離することが本当にできたのかは疑わしい。

それでもやっぱり他所の話

 新型コロナウイルスの感染例や、感染者の死亡例が中東、特にイランで顕在化すると、各国も対策を強化した。各国、特にイランの近隣諸国は、イランを含む新型コロナウイルスの流行地との往来を制限するなどして対策を強化した。しかし、既にイランだけでなくEU諸国でも感染例や死亡例が増加していく中でも、アラブ諸国ではまだ「人ごと」であるかのような反応が見られた。この段階では、イランでの政府要人を含む感染・死亡の増加、イラン政府による情報隠蔽の疑いなどを、「イランコロナ」と呼んでアラブ諸国にとっては他所からの厄災、イランの体制の動揺要因として論じる報道も散見された。

 また、各国による出入国規制は、報道の量、特に当事国の対策に問題があるとの非難報道が多い国を対象とするだけで、感染や死亡例があっても経済・社会的な結びつきが強い国との対策をなかなか進められない場合もあったようだ。日本も各国による規制や管理の対象となり、現場では様々な不便・不利益が生じるようになった

そして変わった論調

 新型コロナウイルスの流行を他所の問題とみなし、「水際対策」で事足れりとしている状況は、サラフィー主義者と呼ばれる政治・思想潮流の唱道者やその支持者の中での本件についての論調に象徴される。サラフィー主義者は中東諸国社会やムスリムの中で主流というわけではなさそうだが、彼らが新型コロナウイルスを「ウイグルのムスリムを迫害する中国のような不信仰者への神罰」であるかのように論じたことは、中東における「人ごと感」の一端を示している。

 しかし、この「人ごと感」は、新型コロナウイルスの問題が切迫感を増し、サウジアラビアが「小巡礼(ウムラ)」と呼ばれるマッカへの巡礼のための査証発給を停止したことにより、一変したようだ。ちなみに、「巡礼(ハッジ)」とはイスラームの暦の特定の時期に行われるマッカ巡礼のことで、それ以外のマッカ巡礼を「小巡礼(ウムラ)」と呼ぶ。事態がここまで至ると、サラフィー主義者たちは新型コロナウイルスの流行を「信仰心を試す試練」と論じたり、イスラームの真面目な実践がウイルスの感染予防に役立つという説を唱導したりするようになった。

本当の懸念事項

 現在、中東諸国の一部は海外との往来を遮断したり、教育機関・企業を休業させたりするなど、思い切った措置をとるようになっている。しかし、本当に懸念すべき問題は、新型コロナウイルスの拡大防止のために強力な措置をとることができない場所や、そうした措置の対象にならないかもしれない人々が存在することだ。

 例えば、シリア、イエメン、リビアのような紛争地で、検査・隔離・予防のための方策が徹底されない可能性は高い。また、イスラエルが厳格な措置をとったとしても、そのすぐ隣には最低限の社会・行政サービスの提供もおぼつかないパレスチナがある。また、産油国などで出稼ぎしている労働者たちの中には、休業や隔離によって収入源が絶たれるのを恐れ、検査や受診を嫌うかもしれない。さらに、難民キャンプやイスラーム過激派の構成員やその家族を収監する施設での対策をどうするかについての情報は乏しい。また、かつてほど多数ではないが、現在もイスラーム過激派の構成員による密航は現在も続いており、密航者たちはおそらく正直に検査や隔離に服さないだろう。移民・難民の移動も続いているが、多数が移動すれば中には無症状病原体保有者が含まれる可能性も否定できない。中東諸国においては、日本や欧米諸国が新型コロナウイルスに対処する以上に困難な要素が多数みられる。事態と課題を把握し、効果的な対策をとるための地域・国際的連帯の機運が高くないことにこそ、真の問題があるのかもしれない。

中東の専門家(こぶた総合研究所代表)

新潟県出身。早稲田大学教育学部 卒(1998年)、上智大学で博士号(地域研究)取得(2011年)。著書に『現代シリアの部族と政治・社会 : ユーフラテス河沿岸地域・ジャジーラ地域の部族の政治・社会的役割分析』三元社、『「イスラーム国」がわかる45のキーワード』明石書店、『「テロとの戦い」との闘い あるいはイスラーム過激派の変貌』東京外国語大学出版会、『シリア紛争と民兵』晃洋書房など。

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