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アフガニスタンでの中村医師殺害事件(「イスラーム国」の観察)

髙岡豊中東の専門家(こぶた総合研究所代表)
(写真:ロイター/アフロ)

 アフガニスタンでの中村医師殺害事件、様々な憶測が乱れ飛んでおり、中には「「イスラーム国」が日本人や日本権益をつけ狙った」との憶測もあるようだ。しかしながら、真の分析とは検証や反証が可能な事実にのみ基づくべきもの(早い話、「あの時あの場で私にだけ」という目撃証言はボツ、ということ)なので、本稿はそういう原則に沿っていくつか事実を並べるだけにしておく。

「イスラーム国」はアフガンでNGOを撃つ

 単純な理屈(=「イスラーム思想」と呼ばれているヤツ)に沿って考えると、「イスラーム国」は無論、ターリバーンにとっても外国人や非ムスリムのNGOや援助団体なんかと仲良くする理由も、それを保護してやる必要も全くない。しかし、実際にはターリバーンがそうしているように、紛争地では先進国のNGOや援助団体を「統制して利用する」理由や実践は掃いて捨てるほどある。しかし、そうした事情に鑑みても、アフガンで活動している「イスラーム国」とその仲間たちはNGOや支援団体を攻撃することを広報の「ネタ」として利用してきた。2018年にアフガンで長期間活動し世界的にも著名な「Save the Children」を含む援助団体を、「イスラーム国 ホラサーン」が襲撃して多数を殺戮したとの犯行声明を出した時点で、こうした状況について人類は十分警戒すべき材料と教訓を得ていたはずだ。筆者を含む多くが指摘していたはずだが、イスラーム過激派とその支持者・ファンから見える景色は、日本や先進国で「フツー」と思う景色とは全く異なる。つまり、日本の感覚で善意や奉仕に見える行為が、「ヤツラ」から見れば決して許せない不正と悪事に過ぎないことなんてざらなことだ。

にもかかわらず、「イスラーム国」は中村医師殺害事件に興味ない

 「イスラーム国」の広報のやり方や、その視聴者層の興味・関心の動向に鑑みると、ある事件について「犯行声明」やそれに類する広報製作物が1週間以内に出てこないことは耐え難い怠慢である。これを考慮して考えると、日本時間の2019年12月6日には世界中にばらまかれていた「イスラーム国」の週刊の機関誌は、中村医師の殺害事件について当然何かしらの反応を示すべきだった。また、「イスラーム国」傘下の自称通信社の「アアマーク」は、即座に何か短信を発信すべき立場にあった。しかし、本稿執筆時点で、「イスラーム国」はこの事件について何の反応もしていない。「イスラーム国」の広報のやり方では、本当は何の関係もないが報道機関や世論が盛り上がるならばそれに便乗するための伏線を張る、というやり方もある。伏線を張る重要な手段が週刊誌で言及することなのだが、「イスラーム国」の週刊誌最新号ではそうした言及すら皆無だった。残念ながら(?)、または幸いにして(?)「イスラーム国」は中村医師殺害事件について一言も言及しなかった。

ダメな反応がテロリズムを呼ぶ

 テロリズムとは、政治的目標を達成したり、政治的主張を流布させたりするために暴力を用いる思考・行動様式のことである。となると、テロリズムが有効な社会とは、暴力を振るって政治的主張や示威行動をする主体をもてはやす社会のことである。中村医師殺害事件については、それによって実現したい政治目標を公言した主体も、何か主張を流布させようとした主体も皆無である。にもかかわらず、何の材料もないのに、それがあたかも日本人や日本社会そのものをつけ狙ったかのような憶測を巡らせてしまうことは、自ら進んで日本は「テロリズムに弱い社会である」と触れ回ることと同義だ。本来、在外邦人の安全を保護する業務も、テロリズムやイスラーム過激派の害悪から日本人・権益を遠ざける活動も、こんな事件を起こさない、万が一起こってしまったら二度と繰り返さないを本義とすべきものである。事件について著した駄文・雑文の売れ行きやアクセス数を増やすことが目的ではない。現時点で明らかなのは、「イスラーム国」は事件について何の関心も反応も示していないということだけだ。そこでへたくそな憶測を乱舞させることこそが、「イスラーム国」のような思考・行動様式を流行させ、みんなを危険にさらす愚行に他ならないのだ。

中東の専門家(こぶた総合研究所代表)

新潟県出身。早稲田大学教育学部 卒(1998年)、上智大学で博士号(地域研究)取得(2011年)。著書に『現代シリアの部族と政治・社会 : ユーフラテス河沿岸地域・ジャジーラ地域の部族の政治・社会的役割分析』三元社、『「イスラーム国」がわかる45のキーワード』明石書店、『「テロとの戦い」との闘い あるいはイスラーム過激派の変貌』東京外国語大学出版会、『シリア紛争と民兵』晃洋書房など。

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