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「イスラーム国」がトルコ軍のシリア侵攻に呼応

髙岡豊中東の専門家(こぶた総合研究所代表)
(写真:ロイター/アフロ)

「イスラーム国」の支援者としてのトルコ

 2019年10月9日にトルコ軍がシリアに侵攻すると、侵攻地域を占拠していたクルド民族主義勢力は、トルコ軍にまともに抵抗する前に自らが管理していた「イスラーム国」囚人の収容施設の管理を放棄した。ラッカ県のアイン・イーサー付近のマブルーク・キャンプは、10月11日には早くも放棄されたようだ。収容者は他の施設に移送されるとのことだが、トルコの侵攻地域から離れた場所にあるハサカ県のフール・キャンプでは、収容されている「イスラーム国」の女性構成員が暴動をおこし脱獄を図った。

 クルド民族主義勢力による「イスラーム国」構成員の収監は、彼らを訴追することも、更生のための手段を講じることも、懲罰することもなく、「イスラーム国」支持者の孤立した共同体を作らせてそこで「イスラーム国」への帰属意識を強め、他者を脅迫・勧誘する拠点にするものであり、決して褒められるものではない。

 トルコ軍の侵攻に呼応するかのような「イスラーム国」囚人の動きに加え、「イスラーム国」もトルコの侵攻に合わせてクルド民族主義勢力への攻撃を強化した。最盛期には月に700件ほど戦果声明を発表していた「イスラーム国」だが、9月の実績は40件強にすぎず、攻撃→戦果→広報という過程を機能させることが不可欠なテロ組織としては今や「ご臨終」の状態だった。しかも、最近は戦果声明に占めるアフガンでの戦果の割合が急増し、それも含めて「世界中からかき集めて」戦果発表を維持する体たらくだった。それが、この数日俄かにクルド民族主義勢力に対する攻撃の戦果発表を増やしてきた。「イスラーム国」全体の発信件数が増えているわけではないので、クルド民族主義勢力に対する戦果「だけ」が増すのは特異な動きである。よもやトルコ政府・軍が「イスラーム国」と共謀していることはあるまいが、結果としてトルコ軍のシリア侵攻はシリアにおける「イスラーム国」の活動を活発化させる格好の援護射撃となった。

トルコの仲間としての「イスラーム国」

 一方、「イスラーム国」もトルコのための援護射撃ともいえる作戦・攻勢をかけつつあるようだ。11日、「イスラーム国」はシリアとトルコとの国境沿いにあるハサカ県カーミシリー市で「PKKの」情報機関の拠点に対する自爆攻撃を敢行したとの戦果を発表した。シリア紛争の当事者としてのクルド民族主義勢力を「PKK」と呼ぶのは、トルコと「イスラーム国」だけである。このカーミシリー市、実は市街地とその郊外はシリア政府軍が制圧している。つまり、同地はトルコが「安全地帯」の設置を企画している地域のうち、唯一シリア政府軍が管理している都市なのである。カーミシリー市はシリア紛争勃発前の段階で、市の人口が30万人程度、しかもハサカ県唯一の民間利用が可能な空港があるなどの拠点都市である。

 万が一、「イスラーム国」がカーミシリー市を集中攻撃し、同地からシリア政府軍を排除したらどうなるだろうか?トルコが事前の根回しにより、アメリカだけでなくロシアやイランからもシリアへの侵攻に「黙認」を取り付けていたとしても(注:シリア政府自身も、誰かがクルド民族主義勢力を「ぶちのめして」彼らの軍事力や威信を低下させるのは内心「ざまあみろ」という心境なのかもしれない)、トルコ軍自身がカーミシリーのシリア軍と交戦するのは多少ためらうだろう。それを「イスラーム国」が代行するのなら、それは「イスラーム国」自身の戦果である以上に、トルコに対する貴重な援護射撃になるだろう。

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画像:カーミシリーの「PKK」を攻撃したと主張する「イスラーム国」

どのような悪影響が出るのか

 それでは、トルコ軍のシリア侵攻により「イスラーム国」対策には具体的にどのような悪影響が出るのだろうか?第一に、トルコ自身には「たいして悪影響は出ない」と思われる。というのも、トルコは「イスラーム国」にとって、ヒト・モノ・カネに代表される資源をイラク+シリアとEU諸国をはじめとする世界各地との間を往来させるための兵站拠点であり、この機能を守ることこそが同派にとっては合理的な方針となる。確かに、「イスラーム国」は2017年の大晦日にイスタンブルの年越しパーティーが襲撃されて多数が殺傷された事件を戦果として発表した。これを受け、兵站拠点としてのトルコの居心地も多少は悪くなったようだが、それでもトルコ経由でイラク・シリアに潜入する「イスラーム国」要員は後を絶たなかった。つまり、今般のトルコ軍の侵攻を受けて野に放たれるかもしれない「イスラーム国」の構成員たちは、トルコを攻撃するよりも同国を潜伏・兵站拠点として様々な活動を営む可能性が高いということである。そうでないのならばトルコ自身が自国に巣食う「イスラーム国」の兵站活動を根絶するとともに、トルコとイラク・シリア間を往来するヒトの移動を徹底多岐に管理しなくてはならない。

 そのように考えると、クルド民族主義勢力が管理していた施設から野に放たれるかもしれない「イスラーム国」構成員はシリアやイラク、その他世界各地のテロ行為・犯罪行為の援軍になる可能性が高い。シリアでは、イドリブ県を占拠するイスラーム過激派諸派が有力な受け皿となろう。「イスラーム国」と他のイスラーム過激派諸派とは非常に仲が悪いため、その構成員がイドリブ県を占拠するイスラーム過激派にすんなり加入できるかには疑問が残るが、末端の構成員レベルでは眼前の利得を理由とする移籍への障害は低いことも考えられる。また、イラクでも最近突如反政府抗議行動が激化して政府の機能が著しく低下しているので、「イスラーム国」にとっては巻き返しの好機に見えるだろう。さらには、野放しになった「イスラーム国」構成員たちが資源調達の任務を帯びて、トルコ経由で出身国に戻ることも警戒すべきだろう。

 一方、シリアに駐留するアメリカ軍にとって、「イスラーム国」がアメリカ軍に襲い掛かってきさえしなければ同派の活性化はそれほど都合の悪いことではない。むしろ、「イスラーム国」がイラクとシリアで「復活」することは、アメリカ軍が引き続きイラク・シリアに駐留する口実としてうってつけである。また、「イスラーム国」がイラクやシリアの政府軍を攻撃し、9月末に再開したばかりのイラク・シリア間の国境通過地点を通じた往来を妨害してくれれば、両国間の往来を「イラン・イラク・シリア・レバノン間の陸路連結」と危惧するアメリカ(そしてイスラエル)にとっては何よりの成果である。

 結局のところ、この問題の当事者のいずれにとっても「イスラーム国」は自らの都合によって利用しうるカードかチップに過ぎないことが明らかになった。クルド民族主義勢力にとって、「イスラーム国」との戦いは自らが欧米諸国にとって「使えるコマ」であることを示す絶好の好機だったが、欧米諸国がコマとして使った対価をくれそうもないとわかると早々に「イスラーム国」との戦いを放棄した。イラクとシリアの政府にとっては、一定の範囲内で「イスラーム国」が暴れている限り、自身が抱える様々な問題点の解決や改革をサボタージュする絶好の口実となる。イランにとっても、イラクやシリアで「イスラーム国」がそこそこ暴れてくれれば、それと戦う両国の政府を支援するという形で両国に勢力を伸ばすことができる。トルコや欧米諸国にとっても、自国にコナがかからない限り、「イスラーム国」やイスラーム過激派にはいくらでも利用のしようがある。だからこそ、各国はイラクやシリアに向かう「イスラーム国」への合流希望者が100カ国以上から約4万人も移動するのを放置できた。

 「イスラーム国」に関わる諸当事者のこのような振る舞いを見ると、同派をはじめとするイスラーム過激派の害悪を絶つことが人類に役立つと信じ、そのため(と思って)少なからぬ時間と労力を費やしてきた筆者は無力感・脱力感を感じてしまう。

中東の専門家(こぶた総合研究所代表)

新潟県出身。早稲田大学教育学部 卒(1998年)、上智大学で博士号(地域研究)取得(2011年)。著書に『現代シリアの部族と政治・社会 : ユーフラテス河沿岸地域・ジャジーラ地域の部族の政治・社会的役割分析』三元社、『「イスラーム国」がわかる45のキーワード』明石書店、『「テロとの戦い」との闘い あるいはイスラーム過激派の変貌』東京外国語大学出版会、『シリア紛争と民兵』晃洋書房など。

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