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イスラーム過激派の没落とアメリカ軍のサウジ駐留再開

髙岡豊中東の専門家(こぶた総合研究所代表)
(写真:アフロ)

アメリカ軍がサウジに駐留するとはどういうことか

 2019年7月19日、サウジのサルマーン国王が同国にアメリカ軍が駐留することを認める旨決定したことが明らかになった。駐留の目的は、地域の安定維持のためにアメリカとの共同作業の質を向上させることとされ、サウジ軍とアメリカ軍との共同訓練が実施される予定である。その一方で、戦闘機や防空ミサイルが配備されるとの情報もあり、昨今のペルシャ湾岸地域の緊張に鑑みた軍備の増強のようにも感じられる。この決定は、ホルムズ海峡の交通の安全の問題が注目されていたこともあり、日本はもちろん国際的にもさほど大きくは取り上げられなかったようだ。しかし、アメリカ軍がサウジに駐留するということは、単にアメリカが同盟国に部隊を派遣するということ以上に大きな問題なのである。

 アメリカ軍は、1990年~2003年にサウジに部隊を駐留させていたことがある。駐留開始のきっかけは湾岸危機・戦争であり、駐留を終えるきっかけはイラク戦争だった。この駐留は、アル=カーイダをはじめとするイスラーム過激派を流行させた原因の一つとなった。アル=カーイダの指導者だったウサーマ・ビン・ラーディンは、この駐留を再三非難し、ついにはアメリカに対するジハードを宣言するに至った。同人にとっては、マッカ、マディーナというイスラームにとっての二つの聖地を擁するサウジが、自らこれを防衛できないだけでなく、防衛のために異教徒であるアメリカ軍(ビン・ラーディンにはこれが「十字軍」に見える)を招き入れた行為は許し難いものだった。また、イスラーム過激派の著名な著述家であるアブー・ムハンマド・マクディスィーは、1980年代後半からイスラームではなく人定法に基づく統治を行うムスリムの為政者を非難する著作を発表していたが、アメリカ軍のサウジ駐留は、サウジの為政者たちの「背教性」を実証しマクディスィーの著述の説得力を高めるできごとだった。

 1990年の駐留と今般の駐留とでは、派遣された部隊の規模やサウジを取り巻く安全保障・軍事情勢が異なるため単純な比較はできないようにも思われる。しかし、「二聖地の守護者」のはずのサウジの為政者が、自国の防衛や近隣諸国との競合に際し、「異教徒の」アメリカを頼りにして「二聖地の国」のはずのサウジ領にアメリカ軍を招き入れたという構図になることには大差がない。すなわち、今般の駐留も、「イスラームの地を侵略する十字軍」や、「十字軍の片棒を担ぐ背教為政者」に対するイスラーム過激派の反応を惹起したり、イスラーム過激派が支持を拡大したりする契機になる恐れは十分ある…はずだった。

「失われた30年」:イスラーム過激派の劣化

 しかし、本稿執筆の時点で、アメリカ軍のサウジ駐留再開についてイスラーム過激派諸派からのめぼしい反応はない。ビン・ラーディンの決起から30年が経とうとしているが、この間、イスラーム過激派から見れば「十字軍の侵略」にも「背教為政者の圧政」にも何の変りもないはずだ。この間変化したのは、むしろイスラーム過激派の方だったように思われる。特に過去15年余りの期間中、イスラーム過激派の扇動や脅迫、攻撃の対象に「ラーフィダ(シーア派の蔑称)」が占める割合が劇的に増加した。イスラーム過激派がどれだけシーア派、或いはイランとその仲間たちをたたいても、アメリカやその同盟国にとっては何の痛痒も感じないことだろう。また、「イスラーム国」による派手な広報や脅迫にもかかわらず、西洋諸国やイスラエル、これらの同盟国の政治的権益に対する攻撃もあまり行われなくなった。記者や観光客、多くの通行人に対する攻撃を美麗な動画と共に広報されれば、確かにそれは衝撃的なことではある。しかし、対象の政治的価値や重要性を度外視し、破壊と殺戮の規模拡大とSNS上の「映え」だけを重視した攻撃は、政治目標の達成やメッセージの流布を旨とするはずのテロリストの行動としては、工夫が足りないようにも見える。つまり、この30年余りの間、イスラーム過激派は彼らが決起した理由となった状況を改善できなかった上、より安易な非難・脅迫・攻撃の対象へと逃避したのである。

 「イスラーム国」の週刊機関誌の最新号も、アフガンやニジェールでの「戦果」の誇示や、どのような段階でいかなる「テロ作戦」を実施すべきかという小手先の戦術論に紙面を費やした。今の同派は、「「イスラーム国」が現在も存在し、活動している」と言い募ることそのものが存在目的になりかけている。「イスラーム国」の共鳴犯や模倣犯が世界中に拡散していることが懸念されているが、拡散しているはずの「思想」や「メッセージ」に、同派のプロパガンダの中でもほとんどお目にかからなくなって久しい。この場合、心配すべきなのは「イスラーム国」とその共鳴犯・模倣犯の過剰な自己顕示と、その手段に成り下がった度を越した暴力なのであり、彼らは拡散するような「思想」や「メッセージ」をろくに持っていないと言える。

○○は死んでも治らない:イスラーム過激派の没落

 今後、アル=カーイダとその関連団体のように、ビン・ラーディンによるサウジ王制やアメリカ・イスラエルに対する非難・告発を活動の指針としている個人や団体が、アメリカ軍のサウジ駐留再開を論評する作品を発表することだろう。しかし、彼らは今や過去の成功体験にすがるだけで現実には何の実績も上げられない、古株の「おじいちゃんたち」にすぎない。現在のイスラーム過激派のファンたちに、そんなおじいちゃんたちの説教調の長話を聞く根気のある者はほとんどいない。万が一ちゃんと聞いたとしても、現在のイスラーム過激派ファンにはアル=カーイダの古参活動家たちのご高話や世界観を理解する知性がない。また、もしイスラーム過激派を操る黒幕やスポンサーがいたとしても、彼らももはやイスラーム過激派の矛先をアメリカやイスラエルに誘導するつもりはないだろう。そんなことをすれば、彼ら自身も相応の反撃を受けるからだ。

 その結果、イスラーム過激派と彼らのファンやスポンサーたちは、ムスリムの共同体にとっての内憂外患のほとんどを「些末なこと」と切り捨て、身近な異教徒・異宗派殺しと「イスラーム統治の実践」を自己目的化するに至った。実は、紛争の主体として現れる武装勢力が領域を占拠し、制圧下の人民となにがしかの関係を取り結ぶこと(=つまり「統治」すること)は、あらゆる紛争に普遍的な現象である。そして、武装勢力にとっては、領域と人民を統治することは、本来は彼らのより大局的な政治目標(例えば分離独立とか、既存の政治体制の打倒とか)を達成するための過程に過ぎない。それを見失って「統治」そのものが目的となった武装勢力がすることは、現地の資源の収奪と、本来味方や支持者とすべき地元の人民に対する干渉と虐待くらいしか残らない。「イスラーム国」は、その昔あったはずの「決起の動機」を忘れ去った、「思想」の無い抜け殻に過ぎない。

 アメリカ軍のサウジ駐留は、本来ならばイスラーム共同体に対する十字軍の侵略と、その片棒を担ぐ背教為政者たちの無能と悪辣さを何よりもはっきり示す、イスラーム過激派にとって格好の材料である。この件に対しイスラーム過激派が感度をなくしている状態は、彼らがすっかり没落しきり、少なくとも政治や思想上の現象としての命脈が尽きたことを示している。

中東の専門家(こぶた総合研究所代表)

新潟県出身。早稲田大学教育学部 卒(1998年)、上智大学で博士号(地域研究)取得(2011年)。著書に『現代シリアの部族と政治・社会 : ユーフラテス河沿岸地域・ジャジーラ地域の部族の政治・社会的役割分析』三元社、『「イスラーム国」がわかる45のキーワード』明石書店、『「テロとの戦い」との闘い あるいはイスラーム過激派の変貌』東京外国語大学出版会、『シリア紛争と民兵』晃洋書房など。

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