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アルジェリアとスーダンに「アラブの春」が波及?:二度目は茶番として

髙岡豊中東の専門家(こぶた総合研究所代表)
アルジェ市、殉教者の塔(写真:ロイター/アフロ)

 人民の抗議行動を発端として、アルジェリアのブーテフリカ大統領が再選断念・辞任に追い込まれた。また、スーダンでも、抗議行動の高まりを受けバシール大統領が失脚した。2011年ごろの「アラブの春」の時点では抑え込まれていたアルジェリアとスーダンでの抗議行動が、ここにきて「勝利」したかのような様相だ。軍部が事態収拾に乗り出しているのに対し、抗議行動側は長期間政権を担った政治家や彼らと親しい実業家らの追放や懲罰を要求している点も両国で共通しているし、「アラブの春」の焼き直しを見るかのようだ。しかし、アルジェリア、スーダンでの政治変動については、これを見守る諸外国の政府・報道機関・専門家らの間に、「アラブの春」の当時のような無邪気な評価・肯定や、根拠の乏しい楽観論が見られないという点で、「アラブの春」とは大きな違いがある。このような雰囲気になっている理由としては、諸外国の政府・報道機関・専門家には、例え「落第」の権威主義体制でも、満足な受け皿もないまま破壊してしまってはろくなことがないという、「アラブの春」の教訓が残されたことが考えられる。

 一方、抗議行動の扇動者・参加者たちは、「アラブの春」の時期に比べて運動を発達させることができただろうか?政府や事態収拾に乗り出した軍部との対峙での戦術面、SNS利用の技術面において、「アラブの春」から教訓を得ているとの指摘もあるが、両国の政治変動を「アラブの春」と比較する上で、このような見方は視野が狭い小手先のものと言わざるを得ない。実のところ、権威主義体制を打倒するための運動については、人類が近代的な国家を形成・運営するようになって以来世界中で多数の事例が観察されており、その成功・失敗のための条件は相当程度類型化されている。平和的な運動を貫く(と装う、でも可)、敵方の暴虐行為を強調して正統性を喪失させる(敵方を挑発して暴力を振るわせる、でも可)、権威主義体制の側から提示される移行過程や選挙を拒絶する、欧米諸国(特にアメリカ)の報道機関・人権団体・教会を味方につける、などが成功の条件の一部である。これらの諸条件は、「アラブの春」の際にも見事に演出された。むしろ、多数の事例研究が集積していたにもかかわらず、各国の政府・報道機関・専門家が事態をろくに観察せずに賞賛を寄せたことの方が、今後の研究解題となろう。

 しかし、「アラブの春」の担い手たちは、権威主義体制の打倒、その後の民主化という観点からは、運動を成功させるために必須の条件の一つを満たしていなかった。それは、「次の体制の担い手として信頼に足ると内外に納得させること」である。これを軽視・無視した挙句生じた中東・アラブ諸国の混乱の顛末まで視野に入れないと、「アラブの春」を観察・分析したとは言えないだろう。アルジェリアやスーダンの抗議行動の担い手たちが本当に「アラブの春」から教訓を得て運動を進化させたというのならば、進化は「彼らが次の体制の担い手として信頼に足る」存在となることによってのみ示されるべきだ。

 筆者は、アルジェリアでもスーダンでも、人民の抗議行動をたいして評価していないし、今後の両国の進路を極めて悲観している。しかし、その理由は、筆者がブーテフリカ政権やバシール政権を好きだからでも、権威主義を肯定するからでもない。抗議行動の担い手たちが、権威主義体制打倒の後の重要な責務である、民主的な体制への移行、旧体制に対する問責と赦し(後者の方が実は重要である)、様々な社会の構成要素間の利害調整、そもそも抗議行動の原因となった政治・経済・社会問題の解決に向けた準備をしているように見えないからだ。

 論点を整理すると、1.「悪い政権を打倒する」と、2.「そのあといい政権ができる」と、3.「いい政権が定着する」は、実は各々全くの別問題だということだ。「アラブの春」においては、政治変動が起きた諸国の人民も、それを無邪気にはやし立てた部外者たちも、1.の劇的な展開を見たことに満足し、2.と3.について何の準備もなかったし、実際2.や3.を実現する作業を怠った。その結果、チュニジアは「イスラーム国」への世界最大規模の人員供給源、つまり世界最大級の犯罪者・人殺しの輸出国となり、リビアは政府がなくなり、エジプトではムスリム同胞団の失政を経て、放逐したムバーラク政権の劣化版にも見えるシーシー政権が登場した。イエメンとシリアが政変や内戦どころではない国際紛争の惨禍に沈んだのも、1.、2.、3.が別問題であり、各々に十分な準備と資源の投入が必要であることへの無理解の結果ともいえる。つまり、悪い政権を打倒した後の状況は、悪い政権下の状況よりも悪くなる可能性がある、という初歩的な想像力が欠如していたともいえる。

 個別に見ると、アルジェリアでは政治的に指導的な立場に立つ上での正統性の拠り所を、独立戦争(1954~1962)への貢献とする現行の憲法体制をどうするのか、石油輸出偏重・重度の輸入依存をどうするのかなどの重要な問題が抗議行動の争点になっているように見えない。つまり、2.の準備はおそらくできていない。政治体制や経済的な権益の配分を根本的に改変しなければ、現行の体制は変わらない。そして、抗議行動に立ち上がった人々が満足行くような政治・経済的権益の配分を受けることはできない。抗議行動に参加した人々は、そこまでの変革を起こすだけの準備や、困難な利害調整に堪える政治的な知恵や忍耐力を持ち合わせているだろうか。このような知恵と忍耐力こそが、3.を実現するためには不可欠だ。

 スーダンについても、経済の立て直し、イエメンへの派兵問題などの懸案が議論されているように見えない。経済立て直しや事態収拾に向けた政治的正統性確保のために非民主主義の代表選手であるサウジやUAEに頼り、それに人民から強い異論が出ないのならば、今後スーダンで2.と3.が実現する可能性は絶無と言っていいだろう。

 「アラブの春」が、イスラーム過激派の増長、新たな権威主義体制の出現、紛争の勃発という惨憺たる結果に終わった原因は、抗議行動に立ち上がった人民の側にもある。少なくとも、抗議行動の扇動者たちには、既存の権威主義体制やその後成立した政権に格好よく「ダメ出し」したものの、自分自身が諸問題の解決の主体となり、結果に責任を負う準備が見られなかったという致命的な欠陥があった。失敗を「反革命」、「イスラーム過激派」、「諸外国の干渉」のみに求めるようでは、政治行動の実践の面でも、社会運動の研究という面でも生産性に乏しい。「アラブの春」とその後の混乱に見舞われた諸国だけでなく、アラブ諸国はほぼすべてが人民の政治的権利を抑圧する「悪い政権」の下にある。アラブ人民が抑圧から脱し、健全な発展を遂げられることを願うからこそ、彼ら自身、そして諸外国の政府・報道機関・専門家らが失敗から教訓を得て運動を発展させてほしいのである。

中東の専門家(こぶた総合研究所代表)

新潟県出身。早稲田大学教育学部 卒(1998年)、上智大学で博士号(地域研究)取得(2011年)。著書に『現代シリアの部族と政治・社会 : ユーフラテス河沿岸地域・ジャジーラ地域の部族の政治・社会的役割分析』三元社、『「イスラーム国」がわかる45のキーワード』明石書店、『「テロとの戦い」との闘い あるいはイスラーム過激派の変貌』東京外国語大学出版会、『シリア紛争と民兵』晃洋書房など。

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