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安田純平氏誘拐事件をめぐるいくつかのバッシング

髙岡豊中東の専門家(こぶた総合研究所代表)
安田氏誘拐事件を通じ、イドリブ県を占拠しているのは犯罪集団ということが判明した。(写真:ロイター/アフロ)

 2015年に渡航情報を無視した上でシリアに密航し、消息を絶った安田純平氏が、2018年10月に無事帰国した。無事の帰国は想定されうる状況推移の中で最良のものなのだが、同氏が捕らわれている期間中から、帰国後に至るまでバッシングの嵐が吹き荒れ、何とも後味の悪い展開を遂げつつある。バッシングの傾向と性質は一つではないのだが、この点に無頓着な言辞が、今般の事件についての様々な論争を、一段と「嫌な気持ち」の営みにしている。

「自己責任論」

 安田氏にまつわるバッシングの中で最初に挙げるべきなのは、「自己責任論」についてのバッシングである。同氏やその仲間たちは、日本政府が発信する海外渡航についての勧告や助言を無視した挙句に被害にあった以上、日本政府に保護や支援を求めてはならないのだろうか?中東についての「渡航情報」や「安全情報」については、当事国の政治的な動機や為政者のご機嫌にも左右されたように見える「変な情報」にもたびたびお目にかかる。渡航情報なんて無視して構わない、とは言わないが、人類の移動に対する絶対的な規制ともなりえないように思われる。しかし筆者は、実際に誰がどのような状況で被害にあった場合でも、この種の「自己責任論」には感情面でも実践面でも決して与しない。

 海外での邦人保護という観点からは、どのような人物・事件でもひとたび邦人保護を放棄してしまえばそれは無限に拡大解釈される恐れがあり、海外での旅行や仕事の安寧すら脅かすことになる。在外公館には、緊急を要する重篤な事案から、海外旅行中の浪費がもとで滞在期間を全うするお金が無くなってしまったといった類の「保護要請」に至るまで様々な事案が寄せられていることだろう。後者については同情の余地もなく在外公館が取り合うべきではないだろうか?現実の問題として、在外公館や在外の邦人社会は後者のような事案にも相応の対応をしている。日本のパスポートの信頼度が国際的に高く評価されている理由の一端は、それなりに熱心に営まれている邦人保護活動にもある。「国の言うことを聞かないヤツは保護しなくていい」という発想は、現在日本人が享受している様々な権利を自らなげうつ短慮と言わざるを得ない。

 そうなると、安田氏やその仲間たちが向き合うべき「自己責任」とは、今後彼らが職業的にどう生きるか、という点のみである。これは、プロとしての技量や信頼性への判断、個人の良心の問題として本人や顧客が対処すべき問題である。彼らの行動を支持・評価するならば、それに見合った需要と報酬で報いればよいし、そうでないならば彼らの提供する財やサービスを「買わない」だけでいい。一般論として、人類の社会には素人芸や殿様芸・旦那芸への評価や需要は常に存在しうる。今般の事件の当事者やそれについて論評した人々に一切発言させるな、というのもやはり暴論に見える。

 「自己責任論」に基づくバッシングについて見逃してはならないのは、安田氏や同氏に近しい立場の人々は、自分自身や志を同じくする人々が「自己責任論」的バッシングに反論できるという点である。人類が思想信条・言論の自由を保障する社会を追求しているのならば、主張や反論の機会は可能な限り保障されるべきだ。そうした主張と反論に対しどう判断するか、は聞く側に委ねられているわけであり、どう判断し、反応するかについてはまさに聞く側の「自己責任」も問われるだろう。

日本の政府は無為無策だったのか

 今般の事件でバッシングを受けたのは、安田氏とその仲間たちだけではない。「救出のため何もしなかった」、「悪意で見捨てた」という趣旨の、日本政府や関係機関に対するバッシングも激しく吹き荒れた。論理的に状況の推移をみると、日本政府が何の働きかけもしなかったとは考えにくい。

 ただし、事件の性質上、諸当事者の実態や具体的な行動を明らかにすることは、安田氏の無事帰国に至るまでの過程や、今後同種の事件を予防することにも悪影響を与える行為である可能性が高い。つまり、日本政府、その他の当事国、関係機関の行動は、具体的には「決して明らかにできない」性質のものが多い。また、これについて知りえた情報があっても、それをひけらかすことには、ひけらかした本人の自己顕示を実現する以外の効能はない。

 日本政府を無為無策と非難するのならば、「それでは何をすればよかったのか」という点にもぜひ触れてほしい。救出部隊を編成・派遣して犯罪集団を討伐すればよいのだろうか?犯行集団を保護・後援する支援者・国を軍事攻撃すればいいのだろうか?犯人の言い値の通りの身代金を迅速に支払えばいいのだろうか?シリア紛争の当事者のどれかを声高に非難すればいいのだろうか?中東で頻発する紛争や誘拐事件を見る限り、事件を華麗に解決する超人的エージェントも腕利き工作員も、現実にはいない。特に、日本においては政府や関係機関が海外で諜報活動や工作活動を行うことについて、何の裏付けも世論の支持もない。放っておいても国家やその機関が常に自分の利益に全力で奉仕し、何もかも思い通りにしてくれる、というのはおそらくは幻想に過ぎない。国家権力の側が個人や団体に対し「意に沿わない行為」を妨害・禁止するという発想に問題があるのと同様、個人や団体の側も国家権力に完全無欠の奉仕や保護を期待する発想にも顧みるべき点が多い。

 問題は、こちらのバッシングについてはそれを受けている当事者が、事実を挙げて反論できないことである。反論するには当事者の身許や具体的な行動を証拠と共に明らかにする必要があろうが、同種の犯罪被害を防止するという観点からは、そうすることはまず不可能だろう。今般の事件については、相手が反論・反撃できないことを承知でバッシングが繰り返されているようにも見受けられる。この種のバッシングは、たたかれる側に反論・反撃機会と可能性が十分にある「自己責任論」的バッシングと明らかに性質を異にしている。

「身代金」に関する問題

 今般の事件については、「身代金」が支払われたか否か、誰がいくら支払ったのかが好奇の対象となっている。しかし、「自己責任」の追及のような、日本の内輪の論理や感情に基づいて「身代金」について論じることは、日本人やその権益が将来被害にあう可能性を上昇させるという意味で立派なバッシングに見える。

 第三者による裏付けや検証が不可能な「身代金」支払情報は、「シリア人権監視団」なる団体からもたらされた。この団体を情報源としてどの程度信頼するかについては、既に一定の答えが出ている。

 アラビア語のSNS、特にイスラーム過激派・犯罪集団の支持層・ファン層の間では、今般の事件での「身代金」の支払いについて多くの書き込みがある。安田氏の事件に関する「身代金」報道・情報は、「テロリストにさらわれたらおとなしくお金を出そう」、「日本人をマトにかけると膨大な利益が期待できる」という、絶大な宣伝効果を上げつつある。

 従って、検証不能な情報に基づいて「自己負担させろ」、「国が払って当然」との議論をしても、「日本人はマトとして“おいしい”」という印象を醸成・強化するだけである。筆者は職業的に「日本人やその権益にイスラーム過激派の害悪が及ぶのをいかに予防するのか」について重大な関心を抱いている。その観点から、「身代金」を巡る根拠が不確かで無責任な議論は看過できない。

中東の専門家(こぶた総合研究所代表)

新潟県出身。早稲田大学教育学部 卒(1998年)、上智大学で博士号(地域研究)取得(2011年)。著書に『現代シリアの部族と政治・社会 : ユーフラテス河沿岸地域・ジャジーラ地域の部族の政治・社会的役割分析』三元社、『「イスラーム国」がわかる45のキーワード』明石書店、『「テロとの戦い」との闘い あるいはイスラーム過激派の変貌』東京外国語大学出版会、『シリア紛争と民兵』晃洋書房など。

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