安田純平氏解放の第一報

(写真:ロイター/アフロ)

2015年夏にシリアについての情報を無視して現地取材に入った末に消息を絶った安田純平氏について、2018年10月23日に解放されたとの第一報が入った。無事の解放が事実ならば非常に喜ばしいことである。その一方で、解放の時期や、日本政府に第一報をもたらしたのがカタルである点などについて、読者諸賢から予想される問いに所見を述べたい。

1.なぜカタルか?

 23日夜の菅官房長官の会見では、安田氏の解放の第一報がカタルからもたらされた旨発表があった。「なぜカタル?」という疑問については、至極順当な筋であるとお応えすべきである。なぜなら、カタルは2011年秋ごろからシリア紛争の中で活動するイスラーム過激派・武装勢力・犯罪組織の大口のスポンサー・保護者の一つであり、これまでもシリアで発生したイスラーム過激派による誘拐事件を同国が仲介した事例があったからだ。また、トルコもカタルと協調しつつシリアにおけるイスラーム過激派・武装勢力・犯罪組織諸派を支援・後援してきた経緯がある。その上、安田氏が捕らわれていたとされるイドリブ県においては、イスラーム過激派の同伴を得つつトルコ軍が展開して拠点を設けていた。こうした経緯から、イドリブ県のイスラーム過激派・武装勢力・犯罪組織を統制するのはカタルやトルコの義務ともいえることである。このあたりの事情は国際的に周知のことだったので、日本政府においても当初から最有力の働きかけの経路だったと思われる。

2.なぜこの時期か?

 安田氏が捕らわれていたとされるイドリブ県が、シリア政府軍やその同盟勢力による総攻撃にさらされるとして国際的な懸念が高まったのはつい最近の2018年9月のことである。総攻撃が実現した場合、イドリブ県で「人道上の悲劇」が発生するかどうかはともかく、同地を占拠するイスラーム過激派・武装勢力・犯罪組織が徹底的に殲滅されることが予想された。イドリブ県での大規模戦闘を防止するため、ロシア・トルコ合意(9月17日)が成立したが、こちらについてはイドリブ県を占拠するイスラーム過激派・武装勢力・犯罪組織を制御するのはトルコの責任となった。現時点で、この合意は履行されているとはいえず、合意の破綻、少なくともトルコの統制に服さない諸派の殲滅は時間の問題だったと言える。こうした経緯から、イドリブ県を占拠するイスラーム過激派・武装勢力・犯罪組織は、今後の身の振り方、特にいかにして窮地を脱するかが重要な問題となっていた。ここから、安田氏を捕えた犯行集団が、この時期に本件に決着をつけ、何処かに高飛びを図ったことも十分考えられる。

3.「誰がさらったのか」という問題について

 今回の事件の最大の「謎」は、犯行主体は何者か、という点であろう。しかし、カタルを通じて半ば非公然に決着がついたということは、犯行主体の正体や意図が今後明らかになることは期待しにくい。特に、これまで犯行主体がシリアにおけるアル=カーイダである「ヌスラ戦線」(現「シャーム解放機構」)や、「宗教擁護者機構」であるとの憶測があったが、両者ともある意味「まともな」テロ組織であり、これまでに漏出した各種の動画のように、製作元も、要求事項もわからない状態で情報を発信することは賢明な方法とは言えない。それでもあえて身代金などを目当てに身許やメッセージを明らかにせずに事件を引き起こしたとすれば、「ヌスラ戦線」や「宗教擁護者機構」にとってはテロ組織からただの山賊へと堕する愚行と言えよう。また、もしイドリブ県を占拠している勢力が、同地に何かまっとうな政体や秩序を樹立する意志や能力がある勢力だったのなら、そもそも安田氏は誰からも誘拐されなかったし、誘拐されたとしてもそうした勢力が迅速に摘発し、日本に送り返してくれただろう。革命やジハード、反体制派やムジャーヒドゥーンなどの言辞を弄したところで、イドリブ県を占拠している者たちは犯罪者の行動様式しかとらなかったことになる。

4.最後に

 日本の政府や社会がこの種の事件に対応するのは、極めて難しいことである、特に、海外における政府の情報収集や、いわゆる「諜報活動」に固有の制約を課される上、そうした行動に国内の世論の理解も支援もほとんど得られない中での対応は困難を極めただろう、この点については、筆者がイスラーム過激派による邦人権益に対する脅迫や攻撃の問題にかかわるようになった2000年代初頭から、報道機関・世論の反応や対策(特に予防)にあたる体制に至るまで、実質的な進歩が感じられない。今般の事件についても、実際の情報収集や関係方面(今回についてはカタルとトルコ)への働きかけは決して公になってはならないものだし、仮に情報を得たとしてもそれを触れ回ってはならないものである。そうした中で、「自己責任論」(なお、筆者はこのような事件に際し、被害者がどのような方であれ、「自己責任」であるから救出の努力を放棄せよとの暴論には絶対に与しない)や政府の不作為に対する誹謗中傷じみた論評まで噴出した。テロ行為に対する予防・防衛策や、実際に事件が発生した際の解決の努力は、人目に触れずに行うものであり、映画やゲームの登場人物のような工作員やエージェントは現実には存在しない。心無い非難を受けつつここまでこぎつけた関係各位の努力には、本当に頭が下がる。