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モスルの民間人被害の裏にある深刻な問題

髙岡豊中東の専門家(こぶた総合研究所代表)
(写真:ロイター/アフロ)

何が問題か?

2017年2月、イラク政府は「イスラーム国」が占拠しているモスル市の西部の奪還作戦を開始した。この作戦を、アメリカが率いる連合軍が空軍や特殊部隊、砲兵隊を派遣して支援している。モスル市そのものに対する奪還作戦は、2016年10月に始まり、同市のチグリス川右岸地域(=東部)は同年末までにとりあえずイラク政府が奪還したことになっている。一方、モスル市は人口規模で言うと首都バグダードに次ぐイラク第二の大都市であり、2016年10月の時点で「イスラーム国」が占拠する地域に150万人の住民がおり、彼らが避難民と化す、戦闘に巻き込まれる、「イスラーム国」によって人間の盾にされる、攻囲の過程で食料・医療の欠如にさいなまれる、などなど、大規模な人道問題が生起することが予想されていた。

モスル西部に限ってみても、イラク政府や国連人権理事会の発表や推計によると、これまでに20万人が避難民となり、依然として60万人が「イスラーム国」の占拠地域に残されている。つまり、単純な比較の問題として、モスルでは2016年末の戦闘で「悲劇」や「戦争犯罪」が発生したシリアのアレッポ東部で被災した民間人(およそ15万人)の5倍~10倍の規模で被害が生じると予想されることになる。ところが、アレッポでの件に比べ、モスルについては報道機関も、国際機関も、人道団体も、被害情報や救援の必要性についての訴えや情報発信の動きが鈍い。もちろん、このような状態になっている理由は、アレッポ東部にいた民間人が「正義の革命を支持する無辜無謬の人々」で、それを「悪の独裁政権であるロシア、イラン、シリアの軍」が「無差別に」殺戮していたのに対し、モスルで犠牲になった民間人は「犯罪集団である「イスラーム国」の支持者」であり、それを「正義の民主主義を代表する欧米諸国やイラクの軍」が被害低減に十分配慮した精密な攻撃を行っているからではない。また、モスルの住民の価値がアレッポ東部にいた人々よりも劣っているからでもない。

アレッポ東部の被害が国際的な重大関心事となり、モスルのそれがさしたる関心を呼んでいない理由は、前者についての情報は国際的な報道機関やSNS上の議論で大きく取り上げられたのに対し、後者はそれほど注目を集めていないことである。具体的には、アレッポ東部の被害状況の発信者は、大手報道機関の注意を惹きつけ、SNS利用者の共感を呼ぶだけの技術と資源を持っていたのに対し、モスルの被害情報を発信する主体はそうではない、ということに過ぎない。モスルの情勢で問題にすべき点は、監視も問責もない状態で、人道危機が深刻化したり、犠牲者数が増えたりする恐れが強いところにある。

モスルには白ヘルメットもツイッター少女もいない

アレッポ東部での民間人被害についての情報は、白いヘルメットに象徴される「ボランティア救援団体」の勇敢な活動や、流ちょうな英語で情報を発信した少女の活動が世界的な同情を集めた。そして、大手報道機関やSNS利用者だけでなく、専門家の一部も彼らの主張を「現場の真実」として流布した。実は彼らの活動は、アレッポ東部を占拠していたイスラーム過激派諸派を主力とする武装勢力の利害や政治目標を代弁するものでもあったのだが、情報発信者たちは、全く非武装で何の罪科もない街区が一方的な殺戮にさらされているというイメージの醸成に成功した。ところが、モスルについては、このようなプロパガンダの手法を使うことができない。なぜなら、モスルを占拠するのは悪名高い「イスラーム国」であり、「イスラーム国」は占拠地域の住民に対しSNSどころかインターネット、衛星放送、携帯端末の利用も禁止しているからである。つまり、「イスラーム国」が占拠している地域の無辜無謬の住民が自発的に被害情報を発信し、連合軍やイラク政府の攻撃の実態や、宗派主義・報復主義的な民兵の悪行を告発する可能性など「皆無である」との予断を持つことができるのだ。今後、モスルにおいて献身的な救護活動団体や、煽情的な情報発信をする「弱者」が現れても、大抵の人々はそのような者は「イスラーム国」の手先であり、同派の振り付けで情報を発信していると考えるだろう。単純に情報発信の巧拙やそのための技術・資源の有無という話をした場合、モスルのそれはアレッポ東部に比べ、文字通り「桁違い」に劣っている

繰り返すが、モスルの被害状況に対する国際的な関心や同情が集まらないのは、同地の一般住民が悪いから、或いは人類としての彼らの価値が他所に比べて劣っているからではない。事態の責任は、攻撃する側、住宅密集地に立てこもる側の双方にある。特に、地元住民の支持を得てそれと一体化することは非対称戦の基本中の基本であるにもかかわらず、モスルを占拠する「イスラーム国」(そしてアレッポ東部を占拠していたイスラーム過激派)は、住民を虐待し、彼らが犠牲になることを計算済みで人口密集地に立てこもった。中東における紛争を、欧米諸国や独裁政権が不当にもスンナ派ムスリムを殺戮しているとみなし、世界各地で発生する「テロ」の本質的原因はそのような殺戮であると考えることができるかもしれない。しかし、そのように考える風潮を醸成することこそが「イスラーム国」をはじめとするイスラーム過激派の広報戦術の目的であり、欧米諸国をはじめとする「外部の」諸勢力が態度を改めさえすれば中東の諸紛争は解決するかのように主張することは、実はイスラーム過激派のプロパガンダの片棒を担ぎかねない危うい行為である。

確かに、紛争の被害についての情報、特に動画や画像は痛ましいものであり、感情を揺さぶられるものである。しかし、たとえ現場から直接発信される情報であっても、それは情報発信者の主義主張や利害関係から全く無縁のものとはなりえない。自覚の有無にかかわらず、そうした情報を「鵜呑み」にしたり選択的に「無視」したりすることは、実は紛争を長期化させ、被害を拡大させることになりはしないだろうか。

中東の専門家(こぶた総合研究所代表)

新潟県出身。早稲田大学教育学部 卒(1998年)、上智大学で博士号(地域研究)取得(2011年)。著書に『現代シリアの部族と政治・社会 : ユーフラテス河沿岸地域・ジャジーラ地域の部族の政治・社会的役割分析』三元社、『「イスラーム国」がわかる45のキーワード』明石書店、『「テロとの戦い」との闘い あるいはイスラーム過激派の変貌』東京外国語大学出版会、『シリア紛争と民兵』晃洋書房など。

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