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<ガンバ大阪・定期便43>進化の過程にある『新しい食野亮太郎』。憧れの二人の存在も力に。

高村美砂フリーランス・スポーツライター
相手DFの股を抜いて、左足でゴール右下を突き刺した。写真提供/ガンバ大阪

 パナソニックスタジアム吹田に響き渡った、耳をつんざくような歓声が、心地よく幸せだった。

「途中から入ったので、とにかく試合の流れを変えなければいけないと思っていたし、足を振ってやろうと思っていた。前半から、結構あのゾーンが空いているなというのは感じていたし、後半に入ってよりスペースが生まれていたので、あそこでボールを触れたら何かが起こせると思っていてその通りになった。いい形で悠樹くん(山本)がボールをくれたし、自分の得意な形だったので打とうと思いました」

 ボールを受けて切り返すことで、体を振られた相手DFの股が開くことを想定し、そこを通すイメージもあったという。練習から左足の方が調子がいいと感じていたことも、足を振り切れた理由の1つだと振り返った。

「あそこのゾーンに切り込んでいくのがFWとしてサッカーをしている醍醐味だし、あのゾーンで受けて何かを起こすことが自分の特徴でもある。京都サンガF.C.戦では復帰後初ゴールを取れたけど引き分けに終わり、柏レイソル戦ではゴールが(VAR判定で)取り消しになるなど、ちょっとついてないなという流れがあったけど、腐らずにシュート練習をいっぱいして、自分のマインドをリセットして自分に矢印を向けて、試合で何か残してやろうということだけに気持ちを注いできた。それが今日は出せたと思うし、こういう大事な試合で、ホームで、ガンバの勝ちに繋がるゴールを決められたのがすごい嬉しい」

 23節・京都戦で復帰後初ゴールを決めた際は引き分けに終わったため「全然嬉しくない」と笑顔はなかったが、今回は自然に表情が緩んだ。

■「思い切りの良さを失っていないか」。葛藤も力に変えて。

 J1リーグ32節・横浜F・マリノス戦で10試合ぶりに控えメンバーに回り、途中出場ながら貴重な追加点を『アシスト』した食野亮太郎だが、3週間ぶりに迎えたホーム最終戦、33節・ジュビロ磐田戦も控えメンバーからのスタートになった。

「前節の横浜FM戦と同じような形で活躍してくれればいいなということもあったし、是が非でも勝ちたい試合で、スタートから出る小野瀬(康介)と、途中からの食野で役割を分担してもらうというような考えもあった」

 試合後、松田浩監督が明かしたように、この3週間の準備期間でパフォーマンスを落としていたわけでは決してなかったが、だとしても、プロサッカー選手として、先発でチームに貢献したいという思いは強かったはずだ。それでも、気持ちを落とすことはなかった。

「3年前、ガンバに在籍していた時の自分なら『なんやねん』という気持ちになったかもしれない。でも、この3年間、海外で色々と経験して、ガンバのために、っていう思いがさらに強くなって、24歳にもなって、そんなことを言っていられる状況でもない。与えられた時間の中でとにかく結果を残してチームの力になることが先決だと思っていた」

 もっとも、少し前までは「ガンバのために」と思ってプレーすることが、自分の思い切りの良さを失うことになっていないか、頭を悩ませた時期もあったという。

「前回、ガンバに在籍していた時の僕なら、攻撃ではボールを受けるとドリブルでゴールまで向かっていってシュートで終わることの方が多かったし、守備も一応意識していたとはいえ、正直、そこまで頑張っていたわけではありませんでした。でも海外に行って、いろんなサッカーに触れて、やれることが増えたのもあり、また、復帰後はサイドハーフを預かることが多い中で守備のタスクも当然、意識するようになった。攻撃でも、ボールを持ったらとにかくゴールを目指すというよりは、ここでシュートを打ってゴールになる確率はどのくらいあるんかな、とか、パスを出して味方に託す方がゴールの確率は上がるんじゃないかな、とか、より成功の確率が高いプレーを選択することも増えましたしね。でも、京都戦以降、自分もゴールから遠ざかったり、9月に入ってチームも勝てない状況に陥っていた中で、そうしたマインドが逆にチームのブレーキになっているんじゃないか、自分の思い切りの良さをなくしてしまっているんじゃないか、と自問自答したこともありました」

 その答えを導き出すきっかけの1つになったのが、長期離脱から復帰してきた宇佐美貴史の姿だ。食野にとって、アカデミー時代の先輩でもある宇佐美は幼い頃からの憧れの存在で、今もそれは変わっていない。その宇佐美がかつてのようにFWとしてのプレーに徹するだけではなく、ピッチのいろんなところに顔を出しながらチームを助け、『攻撃を作る役目』を担っている姿に感じることも多かった。

「周りの選手をうまく使って、チームのために効果的にプレーすることは、どんなチームでも、残留争いをするにしても、優勝争いをするにしても必要だと思うんです。サッカーは一人では成立しないからこそ、必要な時に守備に戻って体を張れるとか、攻撃に顔を出して組み立てに関わるとか。必要な時にゴール前に入っていって効果的なスルーパスを出したり、クロスを上げたり、シュートを打てる選手がこの世界に生き残れる。そう整理ができた今は、効果的に周りの選手を使うところ、自分でフィニッシュまでいくところ、気を効かしたパスを出すところ、と使い分けることで、これまでとは違う視点でゴールに迫れる『新しい食野亮太郎』を見出せる気もしているし、今はそういう進化の過程にいると捉えています。それによって、残留争いの渦中にいても、個人としても思うように得点を取れなくてもサッカーを楽しめている事実は、いずれきっと、結果につながっていくんじゃないかと思っています」

 試合前にはそんな思いを明かしていた中で、奪い取ったジュビロ戦でのゴール。決めた瞬間は、迷わずサポーターの元に走り寄り、喜びを爆発させた。

「ゴールパフォーマンスに目新しさはないけど、もう食野=あれでいいかな、と。なんか、決めたら体が勝手にあっちに走っていっちゃうんです (笑)。しかも、今回は声出し応援の試合だったから、歓声もめちゃめちゃ嬉しかった。パナスタではいつもガンバサポーターが素晴らしい雰囲気を作ってくれて…松さん(松田監督)も試合後に言ってましたけど、今日もあの雰囲気を作ってくれたサポーターに感謝していますし、だからこそ、ゴールを決めてみなさんと喜びをシェアできたのもすごい良かった。ただ、次の最終節で鹿島アントラーズに勝たないと、今日の勝利も、ゴールも意味がなくなってしまうので。勝って兜の緒を締めるというか、オフ明けからより一層集中して、鹿島に勝つための準備をしたいと思います」

パナスタに響いたサポーターの歓声が、心地よく頼もしかった。
パナスタに響いたサポーターの歓声が、心地よく頼もしかった。

■レジェンドにもらった宝物。

 そのパワーを蓄えるべく、試合が終わると、いの一番に、磐田・遠藤保仁の元に歩み寄り、ユニフォーム交換を願い出た。ガンバ育ちの食野にとっては宇佐美と同様に、子供の頃から憧れ続けた存在だ。

「ピッチではあとでね、と言われたからロッカーで待ってたら、ヤットさん(遠藤)がみんなに挨拶に来てくれたんですけど、その手にユニフォームは持ってなくて。『あれ? ヤットさん、ユニフォームは?』と聞いたら『あ、忘れた』と言って取りに戻ってくれました(笑)。昔からずっと欲しかったヤットさんのユニフォーム。なんならガンバ時代の7番のユニフォームが欲しかったんですけど、僕が移籍する時には言い出せず…今回ようやく念願が叶いました」

 そして、その変わらない姿にも刺激を受けた。

「ヤットさんはいつ会っても、どこにいてもヤットさん。いつだって柔らかくて、優しい。ピッチでは、ワンタッチ、ツータッチのプレーの判断が早すぎてプレッシャーに行く気すら失せてしまうくらい、精度も、巧さも相変わらずだったし、誰からも慕われて、誰からも愛される姿も変わらずで…。今日もヤットさんがボールを持つたびに、サポーターもブーイングしようかどうしようか、という感じで躊躇して、中途半端な感じになっていましたけど(笑)、試合中のブーイングですら戸惑わせてしまうほどガンバに関わる全ての人にとって特別で、偉大な選手なんやと思う。僕もいつかはあんな風に、ガンバのレジェンドとして愛される選手になりたい。そのために、まだまだ結果を積み重ねないといけないし、何より、ガンバを勝利やタイトルに導けるくらいの選手にならないといけない。改めて今日、そう思いました」

 『嬉しいゴール』に表情を緩ませたのとは違う、少年のような笑顔を弾けさせ、「もっと練習します!」とバスに乗り込んだ食野。その背中に『新しい食野亮太郎』への決意を滲ませて。

フリーランス・スポーツライター

雑誌社勤務を経て、98年よりフリーライターに。現在は、関西サッカー界を中心に活動する。ガンバ大阪やヴィッセル神戸の取材がメイン。著書『ガンバ大阪30年のものがたり』。

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