今年最初のプレス向け公開練習が実施された10月12日。グラウンドに真っ先に現れ、最後まで残っていたのが福田湧矢だった。練習前にはストレッチとチームメイトとのボール回しで念入りに体をほぐし、練習後には矢島慎也とともにクールダウンのランニングをこなす。聞けば、10月に入って全体練習に合流したそうだ。

「足首を動かすというか、少し慣らしてから練習に入らないと、いきなりボールを蹴ったら左足首が痛くなっちゃうんです。今年はずっとこの痛みと付き合ってきて最近になってようやく落ち着いたので、もう痛くならないでくれ〜って願いながら、でも『きっと、大丈夫』と自分に言い聞かせて、今はただ自分を高めることに集中してチャンスが来るのを待っています」

 7月10日のAFCチャンピオンズリーグ・全北現代モータース戦で負傷交代になった際は、左太もも裏を痛めていたはずだと思い、詳しく状況を尋ねると、シーズンを通して慢性的な左足首痛に悩まされてきたと言う。

「ACLでは確かに左太もも裏を痛めたんですが、そこまで酷くはなかったのですぐに復帰できると思っていたんです。そしたら、そろそろ(ピッチに)戻れそうだなという時に、以前から悩まされていた左足首の痛みが再発して、歩くことさえ辛い状況になってしまった。原因が特定できていないので説明が難しいんですけど、簡単にいうとネズミ(遊離軟骨)みたいなものです。一時は手術も考えたけど、痛い箇所が広範囲にわたるからメスを入れるとかなり時間がかかるらしくて…。しかも日によっては全く痛くない日もあるような状態だったので、できれば手術は避けたいと思って騙し騙しやっていました。そしたら、ACLで左太もも裏を痛めた後、また左足首の痛みが再発してしまい復帰に時間がかかってしまった。それ以外にも、今年は脳震盪を繰り返してしまったし、時間がかかるケガばかりが続いて、考えたらもう10月なのに3ヶ月ちょっとしかサッカーをできていない。こんなことは生まれて初めての経験です。おかげで復帰できた今は、ボールを蹴るのが楽しくて仕方がないです」

 実は、その脳震盪との戦いも壮絶だった。

 過去にも何度か脳震盪を経験していた福田が今シーズン最初の脳震盪を患ったのが2月。沖縄キャンプでの最後の練習試合中、至近距離からボールが頭に当たって意識を失った。以来、頭への衝撃を軽減するヘッドギアを装着してプレーしていたが、にもかかわらず5月にも脳震盪で倒れてしまう。その際は練習中、チームメイトの肩が軽く顎に当たった程度だったが、当たりどころが悪かったのか、またしても倒れた。

「キャンプ中の脳震盪は、コンディション的にはすごく調子が良くて、開幕スタメンも狙えそうだなという時だったので悔しかったんですけど、時を同じくしてチームも(新型コロナウイルスの影響で)活動休止になってしまいましたから。自分も腹を括ってしっかり休んで復帰しようと思えたし、活動再開のタイミングにコンディションを合わせることができて、最初の試合から出場できた。そしたら、5月の練習中にまた脳震盪を起こしてしまって。しかも『癖になっている可能性があるから危険だ』とドクターストップがかかり、サッカーどころではなくなってしまいました」

 当時はコロナ禍による緊急事態宣言が出されていた時期。クラブからは外食はもちろん、練習以外での外出を禁じられていたことも重なって、福田は一人、世間から取り残されていくような気持ちでいたと言う。言い知れぬ不安に何度も襲われ、気がつけば涙が頬を伝っているという毎日が続いた。

 それでも、時にその涙は「嬉し涙のときもあった」と振り返る。一人暮らしで外食ができない福田のためにと、東口順昭が繰り返し自宅まで、奥様の手料理や冷凍食品、簡単に食べられる物を届けてくれたり、宇佐美貴史や小野瀬康介、矢島らチームメイトやメディカルスタッフが毎日のように電話を掛けてきてくれたり。その一つ一つが本当にありがたく、心強かった。

「連戦でみんな大変な時なのに、僕のことも気遣ってくれていろんな人が連絡をくれて、励ましてくれた。みんなが寄り添ってくれたからあの辛い時期を乗り越えられた。本当に感謝しています。ガンバって素敵だな、あったかいなって何度も思って、やっぱりガンバって最高やなって思って、ますますガンバが好きになりましたし、これから一生かけてみんなに恩返ししていかなきゃいけないと思っています」

 もっとも、苦しい時間がそれで終わりではなかったことは先に書いた通りだ。2度目の脳震盪を乗り越え、ACLで復帰した途端に、左太もも裏を痛め、復帰が近づいた矢先には左足首痛の再発ーー。

 それが悔しくて、痛くて、不安で、時にトレーナーと二人でリハビリトレーニングをしている最中にも「俺、何もできひんやん」と涙を流しながらボールを蹴っていたと聞く。それでも、最後は「大丈夫、乗り越えられる」と自分に言い聞かせ、ケガと向き合い、乗り越えて福田は再びピッチに戻ってきた。たくさんの感謝を力に変えて。

「U-23の監督だった仁志さん(森下/現ユース監督)にU-23でプレーしていた当時、よく言われたんです。『感謝の気持ちを持ち続けられる選手が上にいける』って。改めて今はその言葉の意味を噛み締めています。人間ってどうしてもいろんなことに慣れてしまう生き物で、僕自身も頭では仁志さんの言葉を理解していながら、どこかで元気にボールを蹴れることが当たり前になっていたと思うんです。でも今は違います。サッカーができなくなって本当の意味でサッカーをできる幸せ、グラウンドに立てる幸せ、支えてくれる人がいる幸せ、応援してくれる人がいる幸せを感じたし、心からそれをありがたく思えるようになった。だからとにかく今はその感謝の気持ちをガンバのために、全部使い切ろうと思っています」

 その思いを確認できたのは、10月16日に戦った浦和レッズ戦だ。70分、途中出場で3か月強ぶりに公式戦のピッチに立った福田は、左サイドMFを定位置にハードワークを示しながら、縦への推進力を活かして攻撃を活性化。2年前、自身の『J1初ゴール』を刻んだ思い出の埼玉スタジアムで躍動した。試合前に話していた決意のままに。

「正直、チーム状況は決して良くないし、降格圏まで6差という数字には危機感しかないです。でも、ガンバのエンブレムを背負っている責任を果たすためにも、本当に死に物狂いで持っている力を出し切って戦うしかない。僕が子供の頃から好きで憧れたガンバは毎年優勝争いを続ける強いガンバ。この先、その姿を取り戻すためにも、まずは残りのシーズンで自分の覚悟を全力で示さなきゃいけない。思えば、7月にACLで復帰した時は正直、体力的にはキツかったけど、プレーだけを切り取れば、以前に試合に出ていた時よりいいプレーができたという手応えがあったので…っていうか、そうなるようにイメージしてめちゃめちゃトレーニングをしたし、だから痛みが再発して奈落に落とされた時のショックも大きかったんですけど(苦笑)。で、今回もみんなに力をもらって、まためちゃめちゃトレーニングをして、準備してきましたから。やれる自信はあるし、絶対にやってやるって思っています。今はようやく今シーズンのスタートラインに立てた気分。試合に出るチャンスをもらえたら、自分の特徴をしっかり発揮して、背後に走って、仕掛けて、球際で戦って…とにかくガンバが勝つために戦います」

 もちろん、勝ち切れなかった悔しさはある。浦和戦後の囲み取材でも、藤春廣輝と連動しながら左サイドの守備を安定させ、攻撃に勢いをもたらしたことには手応えを口にした一方で、決して表情を崩さなかったのはそのせいだろう。それに左足首には、いつ痛みが再発するかわからないという爆弾を抱えていることを思えば、戦列復帰を果たした今も心のどこかに一抹の不安を抱えているはずだ。

 それでもーー。

「サッカー、楽しかったです。久々だったから」

 悔しくて、泣いて、乗り越えて、ようやく取り戻した『宝物』はきっとこの先もガンバの、彼自身の揺るぎない力になる。