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【高校野球】仙台育英と石川県・飯田、輪島の交流 プラス 「再出発」と、「縁」と

高橋昌江フリーライター
新しいグラブで「再出発」した輪島の秋田(左)

 仙台育英(宮城)で3月27日から29日まで行われた、石川県の飯田と輪島との交流。1月1日に発生した能登半島地震で飯田(珠洲市)、輪島(輪島市)の両校は地元から避難中の部員がいたり、グラウンドも地割れしたりと甚大な被害を受けている。

 今年2月、仙台育英の硬式野球部は生徒会などと一緒に仙台市中心部で募金活動を実施した。そのニュースを見た石川県高野連監督会代表で、金沢桜丘の井村茂雄監督が「石川県を代表してお礼をしたい」と仙台育英・須江航監督に連絡すると、「能登のチームを招待したい」と提案され、3校による合同練習や練習試合を通して交流を深める機会が実現した。

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■「子どもの笑顔がまた見られて嬉しい」

 会場となった仙台育英のグラウンドには飯田、輪島の両校部員の家族の姿もあった。輪島の内野手、秋田憲秀(新3年)が熱心に練習する姿にスマートフォンを向けていたのが母・美和さん。「また笑顔が見られて嬉しいですね、子どもの」と口角を上げ、小さな画面には新しい思い出が増えていった。

 最終3日目は豪雨。室内練習場でポジションごとに分かれての練習となった。「ショート組は筋トレして、そこから守備の練習でゲッツーの送球の形や入り方を仙台育英の方に教えてもらいました」と秋田。スナップスローはかなりの時間をかけて取り組んでいた。「結構、苦手で。それに、ボールも…、4ヶ月も…。入り方も忘れて、結構、一からみたいな感じでした」。秋田が野球をするのは久しぶりだった。

 秋田家があったのは輪島市河井町。元日の地震で大規模火災に見舞われた「輪島朝市」の地域だ。

「地震が起きて逃げる時、近所の方が車に乗せてくれて、大津波警報が出ていたので高台に避難したんです。自分の家の車も出そうとしたんですけど、道路が塞がっていて出られなくて。避難している時に『河井町が燃えている』ってライブ映像を見て。自分の家、やばいかなって思いました。次の日、『行くな』とは言われたんですけど、どんな状況か知りたくて、見に行ったら、戦争の後みたいな酷い状況でした。ショックですね。自分、ファッションに興味があって、結構お金をかけていたんですけど、それも燃えちゃって。野球道具も一式、全部、燃えちゃって」(秋田)

 育った家に街並み、見慣れた光景は信じ難い姿になっていた。震度6強とも震度7とも言われる地震が起こる直前まで当たり前にあって、これからもあると思っていた大切な物も消えた。少年から青年へと階段を上っている高校2年生。現実は受け入れ難かった。

「道具も燃えちゃったし、って感じで、野球から離れちゃって。遊びほうけるっていうか、家族のこともいろいろあるので。自分が野球をやるってなったら、また何十万とお金がかかるじゃないですか。そういうので嫌になって、ヤケクソになって。でも、担任の先生が『そういうことをしとっても何もならんし、自分が痛い目を見るだけやぞ』って言ってくれて。自分、野球をしとったら遊ぶことはないので、野球をすることによって、いい人生を歩めるかなって思って」(秋田)

 胸の内を自分の言葉にできる。それだけ迷い、自分と対話し、考えてきた証だ。

スローイングの練習をする輪島・秋田(右)。仙台育英・美濃部(左)は「練習できる環境があるのは当たり前のことじゃない」と感じたと話す
スローイングの練習をする輪島・秋田(右)。仙台育英・美濃部(左)は「練習できる環境があるのは当たり前のことじゃない」と感じたと話す

 野球をやる、と決めたのは宮城にやってくる2週間ほど前。必要な物やグラブは支援金で購入した。輪島・冨水諒一監督が話す。

「何かできることはないか、と言ってくださる方がいて、私は秋田をイメージして『もう一度野球をやる環境を整えるお金がないんです』という話をしたんです。経済的理由で野球を辞めてほしくないな、と。秋田が野球をやらないかもしれないという時は非常に残念でしたが、今、やりたいと言ってくれているので、すごく有り難いですね」

 母・美和さんも「再出発なんです」と喜ぶ。

「お兄ちゃんが野球をやっていたので、憲秀も小学1年から始めて続けてきたんです。ずっと野球をしてきたんですよ。でも、道具を揃えるのも大変だからもうやらない、って諦めてしまって。それが、支援金から道具を買っていただいて。グローブも今回までに柔らかくする、って張り切っていました」

 公式戦用ユニホームは兄が後輩にあげていたものを戻してもらい、着用した。

 美和さんが避難する時、持っていたのはスマートフォンだけ。発災時は自宅2階にいたが、隣家が倒れたことで貴重品があった3階に続く階段の窓ガラスが割れ、取りに行くことができなかったという。「後にしろ!」という声も聞こえ、外に出た。

「しばらく金沢でホテル暮らしをしていたのですが、今は金沢のみなし仮説住宅(※)に入れました。憲秀はまた輪島に戻りたい、夏までなんとかしたい、と野球を再開することになり、仙台で再出発ということで、じゃあ、私も行こう思って来ました」

 一歩を踏み出した息子の姿を目に焼き付け、スマートフォンに記録していった。

(※みなし仮説住宅:賃貸住宅の空室を国や自治体が借り上げ、住宅再建までの間、被災者へ一時的に提供する住宅のこと)

■「引退まで必ず一緒に野球をやろう」

 野球に没頭できた濃密な3日間。秋田に「お母さんが『再出発』とおっしゃっていましたが、再出発できそうですか?」と聞くと、「できます、できます、再出発できます」と答え、こう続けた。

「もう、寄り道はしないって、仙台育英の選手に約束したので。もう、野球一筋って」

 その相手は、昨年の春夏と甲子園でベンチ入りしている登藤海優史(新3年)。同じ内野手だ。

「引退まで必ず一緒に野球をやろう、という話をしました。夏まで短い期間ですけど、しっかり野球と向き合って、野球を楽しもう、って。(趣味のことも)言っていましたけど、この短い間はいいんじゃない? 夏まで野球に集中しよう、って。もし、輪島が甲子園に行けなくても、俺らが連れて行くから、絶対に観にこいよって言いました」(登藤)

 巨大な揺れによる恐怖。一瞬にして変わった日常。辛く、厳しい、ショッキングな出来事がきっかけではあるが、秋田が心の葛藤を乗り越え、野球に戻ったことで接点のなかった人生が交差し、育まれた友情。男の約束だ。

 一緒に練習していた仙台育英・美濃部塁翔(新2年)は「できるようになろうという気持ちが強くて、練習しているうちにすぐに上達していました」と振り返った。自宅の状況は2日目のグラウンド整備中に聞いた。

「家って、何より安心するところなので、自分だったら、と考えたら…。安心するところがなくなるって考えたら、悲しいことだし、辛いことだと感じました。今まで、身近に火災で家を失ったり、地震で家が倒壊したりという人が一人もいなかったので。状況を知らない方が失礼かなと思って聞いたんですけど、逆に失礼だったかなと感じてしまいました」

 気まずさを覚えた感情の揺れ動きも人生の厚みだ。

 真新しいグラブと、新しい“仲間”と再出発した秋田は「毎日が新鮮で、本当に仙台育英さんには感謝しかないですね。自分たちにプラスしかありません。逆に、仙台育英さんは自分たちがおるせいでいい練習ができないんじゃないですか。本当に感謝です」と言った。

■「父がそういうことをしていたのはすごい」

「不思議な縁だなと思います。13年が経って、そんな縁がつながるわけですよ」

 初日の開会セレモニーで仙台育英・須江監督が13年前、石川県に招待された話をしていた時だった。2011年3月11日に東日本大震災が発生。4月に入り、星稜中軟式野球部の田中辰治監督(当時)から「落ち着いたら石川に来ないか」と誘われたという。須江監督は当時、仙台育英学園の秀光中等教育学校(現・秀光中)の軟式野球部(現・秀光ボーイズ)で監督をしていた。

「珠洲市の緑丘中の山岸(昭彦)先生からも『こちらに来ませんか』というお誘いをいただいていたんです。今回、山岸先生の息子さんがいらっしゃるということで、不思議な縁だなと思います」

「山岸先生の息子」である飯田の山岸大祐(新3年)は「13年前のこと(秀光中の招待)はあまり知らないのですが、父がそういうことをしていたのはすごいなと思いました」と驚いた。さらに、ホームステイ先は須江監督の自宅。「びっくりですね。ご飯も美味しかったですし、娯楽も楽しんだりして、貴重な体験になりました」と話した。

 飯田には選手として入部したが、2年生からマネージャーになり、チームの活動をサポートしてきた。「正直、今、選手をしたくて」。そんな思いを1日目の夜に相談。「上手いとか下手とか関係なく、やってみようとすることが大事、ということを言われて、気持ちが大事だなと思いました」。2日目はキャッチボールやシートノックに入り、「選手の方が面白さを感じました」とプレーする喜びを噛み締めた。

飯田の山岸(右から2人目)は2日目の練習試合前の合同ノックで外野に入った
飯田の山岸(右から2人目)は2日目の練習試合前の合同ノックで外野に入った

 3日目も打撃練習に励むなどし、「野球が上手い人たちに教えてもらい、仲良くもなれて、すごく楽しいです」と声のトーンを上げた。そして、こう続けたのだった。

「石川に帰ったら、父に勉強になったことや楽しかったことを話したいです。感謝の気持ちや恩返しする気持ちを忘れず、宮城と石川でお互いに助け合える関係でいたいなと思います」

■石川はあすから県大会

 石川県ではあす20日から県大会が始まる。飯田の1回戦は21日で金沢市立工と対戦。輪島は2回戦から登場し、28日に七尾との初戦を迎える。

(写真はすべて筆者撮影)

フリーライター

1987年3月7日生まれ。宮城県栗原市(旧若柳町)出身。大学卒業後、仙台市在住のフリーライターとなり、東北地方のベースボール型競技(野球・ソフトボール)を中心にスポーツを取材。専門誌やWebサイト、地域スポーツ誌などに寄稿している。中学、高校、大学とソフトボール部に所属。大学では2度のインカレ優勝を経験し、ベンチ外で日本一を目指す過程を体験したことが原点。大学3年から新聞部と兼部し、学生記者として取材経験も積んだ。ポジションは捕手。右投右打。

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